通訳や翻訳を生業とする者は、誰しも一度はこういう質問を受けたことがあるだろう。
答えようがない。
公務員になりたい、医者になりたい、新幹線の運転士になりたい、飛行機のパイロットやCAになりたい、という類の職種ならネットを検索すれば出てくる。手順や必要資格が明記されている。しかし、通訳・翻訳者にそんなものはない。帰国子女だのTOEICだのも関係ない。私は通訳です、翻訳者です、と言えば、あなたは通訳であり翻訳者だ。その仕事を無難にこなせれば、また別の仕事が回ってくるだろうが、クレームを出すと、まず当分お声はかからない。基本的に、国民年金の支払いも苦しいフリーランスから出発する。
もっとも、通訳仕事は現今のコロナ禍でほぼ 死滅 冬眠状態にあり、翻訳仕事もAIの進化により(テキトーな顧客は、何でもグーグル翻訳でテキトーに処理するので)じわじわと減ってきている。とは言え、世界の主流であるインド・ヨーロッパ語と違って、日本語は辺境のウラル・アルタイ語に属し、かつ東西文化の相違、日本文化の特異性が大きいものだから、例えばAIもグーグルも「よろしくお願いします」ひとつまともに訳せない。
業界はこの文化・言語の壁に守られている。だが、将来は分からない。ある日突然『進撃のAI』がこの壁を粉々に破っても、それほどの驚きはない時代に我々は生きている。
翻訳会社を営んでいると、時折、クライアントの担当者から「私も定年後は翻訳やってみたいんだけど」という相談を持ち掛けられることがある。学生時代に英語が得意だったという人が多い。何で翻訳を?と聞くと、ある人はこう答えた。
「だって理想的な仕事じゃないの。晴耕雨読ってのかなあ、日曜菜園でもやりながら、雨の日はじっくり机に向かって翻訳する、とか」
私はまだ四十歳前で若かったので、これを聞いて吹き出した。
「川端康成が温泉宿に長逗留して、原稿用紙に文字をしたためる、みたいなことを」
何より「晴耕雨読」には思わず頬が緩んだ。二葉亭四迷がツルゲーネフを訳していた明治時代のイメージではないか。
言うまでもなく、今では翻訳は、特に産業翻訳の分野では時間勝負だ。タイミングを逃したり、納期を落とせばただの電子ゴミに過ぎない。WORDやEXCELやPDFは当たり前、Adobe Illustratorに直接英語を流し込めだの、ぼったくりトラドスで納入しろだの、フォトショップのフォントを加工しろだの、と媒体制作会社の下請けみたいな事までやらされる。
しかし世間的には、いまだに「翻訳家」という名称に、「晴耕雨読」幻想が混じっているように思われる。
もう一つ、忘れられない思い出がある。
創業したての頃、私は当てにしていた機器の貿易販売がやることなすことうまく行かず、一時、語学学校の翻訳講師をして売上の足しにしていた。そんなある日、翻訳コースの全聴講生を対象とした講演会があり、私が講師を務めた。
質疑応答の時間になり、一人の大学生風の痩せた、若い女性が手を挙げて発言許可を求めた。
「私は柳瀬 尚紀先生のように、たとえ一生かけてもジェイムズ・ジョイスの『フィネガンズ ウェイク』を訳したいと思っています。その仕事を依頼されるようになるには、どういう勉強をしたら良いでしょうか?」
発言は、そんなような趣旨だった。
産業翻訳家をめざす受講生が大半で、彼女の質問に関心を示した者はいなかった。
私は驚き、一種の感銘を受けた。(まだこんな若者がいるのだ!)
何か気の利いた激励のアドバイスをしたかったが、とっさには出てこない。それで、正直な意見を述べた。
----- 『フィネガンズ ウェイク』のような難物に取り組む物好きは限られている。出版社だってこれで儲けようなんて最初から思っていない。商業的に全く割に合わないし、一冊の発行部数などたかが知れている。名誉仕事のイメージアップ効果と割り切っている筈だ。だから、翻訳者もその道の権威とか大御所とかを指名する。若者の出番があるとは思えない。
『フィネガンズ ウェイク』を一生かけても訳したい、という志とマッチするのは、大学の英文学の教授ポストしかない。だが、元々英文学の教授ポストは「オーバードクター」達にとって宝くじ同然で、しかも学閥的な人事が行われやすいとも聞いている。どうしても「フィネガンズ ウェイク」に拘るのであれば、自費出版でもするよりない、と思う。------
思い返すと、「君の将来は真っ暗だ」と言ったも同然で、後で大いに後悔した。
かと言って、どう言い繕っても、「生涯を費やしても一事を成し遂げたい」と覚悟を決めたこの若い女性の将来に待ち構えているであろう苦難を和らげることなどできない。
あの時、彼女がどんな反応をしたか、もう覚えていない。
その後どうなったのか、今どうしているのかも分からない。
ただあの時、本気で(グッドラック!)と祈ったことだけは確かだ。