ライターじゃない、アイドルだ -12ページ目

3.パチンコ攻略編(15)

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今回は1993年9月付近~1994年4月までのこと。

 

私も23歳という新社会人の年齢に達するまでの期間の話だ。

 

ミスチルのイノセントワールドやTRFを聴き、虎舞竜のロードになんとなく痺れていた。

 

私の中ではこの頃が何をやっても上手くいかず、漠然とした将来の不安があった。

 

初めて勤務したパチンコホールを退社した理由は単純に飽きたのだと思うが、

 

多少まとまった金が出来たので本厚木駅前のワンルームマンションへ引越しをした。

 

 

この時、かなり厳しいパチンコパチスロの規制があったと思う。

 

パチンコは保留玉連荘が規制され完全ノーマルとなった。

 

1/230くらいでただ1度当るだけのパチンコだ。

 

確か本厚木の一千大などは当時珍しい等価交換制、

 

そして開店時に全台にドル箱1杯分の玉が設置されているサービスがあるなど必死なもよう。

 

我々もどう楽しめば良いか必死だ。

 

前職場で仲良くなったIくんと並んで西陣の完全ノーマル機を並びで打つ。

 

「わ!このリーチ絶対あちいい!」 「ホントだあちいいい!ぐおおお心臓痛てええ!!」

 

などと勝手に妄想して無理やり熱くなるごっこ遊びをしていた。

 

パチスロも裏モノが徹底的に取り締まられ、ニューパルサーなどのノーマルタイプのみとなった。

 

効果的な攻略要素が少なくなってしまい、趣味打ちばかりの日々が続いたと思う。

 

 

仕事はアイルバイトを色々とやった。引越し業者、警備員など。

 

特に警備の仕事は酷な現場もあった。

 

ほどよく通行のある道路工事や催事場の警備はやることがあるのでまだ良いが、

 

一番辛かったのは人も車も来ない山奥の外れ道の現場。

 

トラックが来るということだったが結局1台も車も来なかった。

 

人の気配はない。草木しかない。

 

しばらく好きな歌を大声で熱唱して時間を潰す。

 

スマホが使える時代ならまだしも、記憶している歌もなくなってしまう。

 

ポップス。

 

アイドル。

 

他にはないか。そうだ演歌だ。

 

くちなしの花、みちのくひとり旅・・・

 

他は・・・もうない。

 

することがない。辛い。

 

そうだ草を観察しよう。お、これいい形の草だな!何ていう草なんだろう。

 

この草もなかなか珍しいぞ!

 

・・・虚しすぎる。

 

それから警備の仕事は辞めた。落ち着きのない自分には向いていないようだ。

 

さほど収入も得ていないし、このままでは良くない。ひとまず稼げる仕事をしなければ。

 

 

そうだあの場所にあったパチンコ店。あそこに電話してみるか。

 

私は電話帳をめくり、とあるパチンコーホールに唐突に電話をした。

 

女性事務員さんが出て、店長へ取り次いでもらう。

 

「おう、なんや?ウチで働きたいんか」

 

受話器の向こう側で、野太い声が応えた。

 

 

次回-パチンコ店勤務編-突入

3.パチンコ攻略編(14)

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1992年。

 

街には槇原敬之の「冬がはじまるよ」が流れていた。

 

私はパチスロのモーニング、デートライン銀河Ⅱの1枚掛け攻略法、スタート回数ボーダー越えのパチンコを打つ、

 

これらを主軸に私はパチンコで稼いでいった。

 

収支帳の続きを一気に貼っていく。

 

 

 

 

 

 

稼働日数が少なく収支がしょぼい月もあるが、

 

収支帳を付け始めてからのこの一年の合計額は

 

プラス1,838,000円

 

ホール勤務をし、パチンコ以外の遊びも満喫しながらなので十分ではないだろうか。

 

 

それにしても収支帳を見ると懐かしい機種名があふれている。

 

三共系は

 

フィーバーアタックGP(7が揃うと複数回分の大当り獲得とかだったような)

 

フィーバーレジェンド(三共最後の保留玉連チャン機)

 

フィーバークイーン(言わずと知れたロングセラー超名機)

 

フィーバーキング(リールがでかいクイーン)

 

その他、綱取物語、ブルーハワイ、アメリカンドリーム、エスケープ、リゾート、ポンポンガール

 

思い浮かべると思わず涙腺が・・・。

 

 

そして同年5月。

 

 

なんと月間マイナスになっているではないか。

 

プロとあるがホール勤務しているので実際は二足のわらじである。

 

 

さらにページをめくると驚愕の記述が現れる。

 

 

引退しているではないか!

 

 

しかし数ヵ月後

 

 

引退していないではないか!

 

すぐにパチンコ引退しますと言ってしない人を白い目でみていたりするのだが、

 

まさか自分も同じことをしていたとは。情けない。

 

新しい電話とあるが携帯電話は普及されていないので、当然家電話のことである。

 

自分が少し可愛く見える。

 

この収支帳はその後数回の記録をもって書くのを辞めてしまったもよう。

 

 

1993年9月。

 

私は22歳になり、ホール勤務も辞めた。

3.パチンコ攻略編(13)

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そして8月となり、私が生涯で最も好きな台、かつ最も稼がしてもらった台である

 

デートライン銀河Ⅱ(興進産業)との出会いとなる。

参考youtube(必勝ガイド 射駒さんの動画)

https://www.youtube.com/watch?v=2GLVCuv8PzA&t=1151s

 

 

記述にあるように、このデートラインはいたずらされたモノだと思う。

(店の内情を知る人間ではないので断定はさける)

 

だとするなら、36段階設定の貯金方式の裏モノである。

 

天井に到達するまでボーナスを貯金し続け、天井到達でボーナス放出をする。

 

尚、最大天井が選択された場合は7,200Gであり、4号機北斗や吉宗も真っ青の深い深い天井なのだ。

 

ゆえに数日に渡って貯金を続け、大連チャンをすることもある爆裂機なのである。

 

これを普通に打てば単なる博打好きの破天荒でしかないのだが、私は攻略法を使った。

 

ある日、攻略雑誌を眺めていると、デートライン銀河Ⅱの裏モノの記事がひっそりとある。

 

そこに「1枚がけでも1G消化とみなす」との文章があった。

 

通常の3枚がけでの平均消化G数が不明だが、あって30くらいだろう。

 

1枚がけでプレイすることにより単純に3倍のG数が回せる。つまり通常の1/3の投資額で天井到達できるのだ。

 

私は設置店へ趣き試してみた。

 

1枚がけでプレイする。予想通り70G、80Gとかなり回せる。

 

そして1枚がけ有効ラインでない形、ナナメに7図柄が3つ揃う。これがリーチ目、つまり貯金放出の合図だ。

 

できた・・・!1枚がけ攻略法が使える!

 

それから何台も試してみて成功した。

 

しかし時間をかけた割に2、3連チャンで終わることも度々で、たくさんの貯金がなければ大連チャンはない。

 

また1枚がけも目立ってしまっては注意されかねない。

 

 

疑心暗鬼にもなりながら、試し試し打った8月の結果はこれだ。

 

 

今ひとつの結果。

 

1枚掛け攻略に自信が持てず3枚入れしたという記述もみられる。

 

あえて説明するが、この頃ナンバーランプにボーナス回数や消化G数の表示などはない。

 

どれだけ当たったか、打ち込みされたのかは終日ホールを観察するしかない。

 

しかし仕事をしている自分には到底無理だ。

 

が、消化ゲーム数を推測する手立てはあった。

 

リールの下部を斜め上から覗き込むと、ホッパーに溜まったメダルが見えるのだ。

 

少なければ打ち込みは少ない。多ければ打ち込まれた後。

 

たっぷり溜まった場合は大連荘が待っているので、天井到達できれば間違いなく期待できる。

 

そんな狙い方をするようになった。

 

 

そして翌月9月の結果。

 

 

大勝利だ!

 

 

10月も

 

 

まずまずだ。

 

やたらと「ザマーみろ」という言葉が多用されているのだが

 

パチンコは親の仇か何かなのだろうか・・・。

(恥ずかしい)

 

 

いずれにせよ

 

パチンコパチスロは、まじめに打てば勝てると確信する日々の始まりである。