4.パチンコ企業就職編(6)
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年が明けて1995年になった。
ここで皆大好きホルコンの話をしたい。
ホルコンとは私はH/Cと書き、一般的にホールコンピュータと呼ばれる。
遊技台の玉の出入りや大当り情報、そして玉・メダル貸サンドやCRユニットからの売上情報など
遊技に関わる全ての情報を表示するだけ、表示をするだけの機械である。
ただの数字を見るだけの装置だ。
遠隔の話をすると長くなるので止めておくが、遠隔なんてくだらないシステムを使うようなおかしな法人は、
自分の周囲に殺人を犯すおかしい人の数と似たような比率なので、まず関係ないと思って問題ない。
当時はH/Cの親機からロール紙のジャーナルを出し、釘調整・設定変更用の資料にした。
もっと詳しい情報は管理コンピュータであるダイコク電気のM52?M56?そんな名前の機種で、
リアルタイムの全台データを出すのになんと約10分は必要だった。
ゆえにデータ抽出をスタートさせて、一旦他の仕事をやってから戻って確認するという状況であった。
それまでは管理コンピュータはさほど使っていなかったが、やはり定期の時間で払い出しに異常がないかベースチェックを
するべきだと主張してルーチン業務にした。
この頃パチスロは4号機最初の機種としてクランキーコンドルなどが流行りだした。
技術さえあれば設定1でも出率100%超えるという今も語り継がれる名機だ。
しかし私にはパチスロをして遊ぶ時間はあまりなく、とにかくがむしゃらに働く日々を続けていた。
そんな私に「副主任」の辞令が出た。
店長→店長代理→主任→副主任と4つの役職の内、最初の役職に付くことになった。
業務内容は一般社員の直属の上司として作業全般の管理、それからパチスロの営業管理、つまり設定だ。
「お前パチスロの設定できるんか?」
いきなり主任にそう聞かれて私は「はいっ!」と答えた。
もちろん嘘である。
ここは織田信長軍なのだ。出来ませんなどという発言は御法度。出来ないと言えば即退場なのである。
出来ないけれど閉店までに出来るようになれば嘘は嘘でなくなる。
私は先輩の副主任に設定の仕方を乞うた。
「パチスロというものは一定のスパンに基づいて出玉が収束されるように作られている」
「概ね30000ゲームで収束するので出なかった台を明日吹かせたくなければ同じ設定数で打ち替えるといい」
は?バカなの?
私が今まで雑誌などで得た知識によるとスパンなんて一つも記載がない。
であればなんだ?設定1で出過ぎたら突然ボーナス確率が重く変化して本来の出率に収束するとでもいうのか。
しかし私は答えた。
「はいっ!分かりました!ありがとうございますっ!!」
口ごたえなどもってのほかなのだ。
分かったフリをして意味不明な教えは完全に無視した。
この時はまだどんぶり勘定でオール3だとこれくらいの粗利が取れるなど、おおよその感覚で設定を決めていた。
30万だの60万だのと日々に必要な粗利益額を聞いて、それを目指して設定するのだ。
設置機種は全台ノーマルタイプで、スーパーモグモグ(ECJ)、トリコロール(IGT)、エニィセブン(高砂)、D51(タイヨーかパイオニアで記憶がない)
しばらくよく分からないまま設定をしたが、特に問題もなく管理はできた。
そんなある日に黒歴史が発生した。
比較的出しても良いとなった日の前夜、とにかく異様なまでに気合が入っていた私は閉店後の全体終礼でこう宣言した。
「明日は恐ろしい出玉を魅せる!私はやると言ったらやる。絶対にだ!!だからお客様にパチスロを勧めるように!」
キマった。過去これほどの宣言をした人がいるのだろうか? 俺はなんて格好良いのだ。
自信満々で全台設定オール5・6半々にした。
こんなに設定ベースを上げるのは初めてだ。明日は私のすごさを思い知るがいい!
翌日遅番で出勤した私の目にとてつもない光景が広がった。
ほぼ満席のパチスロコーナー、ほぼ全員が小さくないドル箱を2箱以上積んでいる!
前代未聞のお祭り騒ぎである。
その日の粗利結果もお祭り騒ぎだった。
マイナス100万円
私は店長に呼び出され、烈火のごとく怒鳴られた。
「何なんだよこの赤字は!こんなんじゃ恥ずかしくて店長会議に出れねえだろうが!!」
店長会議で何かあるのだろうか。店長に恥をかかせてしまうなど何たる不覚。完全にやりすぎた。
この日より、私は今まで以上に慎重に設定管理をした。
4.パチンコ企業就職編(5)
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1994年は生活用品に劇的な変化があった。
まずは携帯電話を初めて購入した。
厳密に言えばピーアークでパチスロでメダルを出して景品交換で入手したのだ。
東京デジタルホンの肉厚な携帯電話だ。もちろんディスプレイには数字しか表示されない。
ちなみに東京デジタルホンはJ-PHONE→Vodafone→ソフトバンクとなっていく。
携帯メール、Iモードなどは少し先の話だ。
個人に1台携帯電話の時代となり、女の子を誘う為に実家に電話したら父親が出てウチの娘に何の用だと言われて慌てふためくことも無くなってしまうのだ。
外で電話が出来るのだから驚きである。外で食事するバーベーキューのような爽快感があった。
この頃ローンを組んで買ったレガシィの車内でエラそうに使っていたのを覚えている。
さて、精鋭スタッフが新店準備でいなくなったが、パチンコ店勤務は自主的に公休も拒否して猛烈に取り組んだ。
朝の出勤時は店が開く1時間以上前には出勤して外の清掃を開始する。
G店長代理が店開けに来たら、あの遅いんですけど?と生意気な口を叩いて挑発した。
やがて新店がオープンを迎え、ヘルプ勤務にも行った。
各店から屈指の精鋭を集めた新店のやる気あふれる気迫はすさまじく、ヘルプ勤務であっても私は必死に駐車場整備などを努めた。
この時は意識していなかったが、この会社は戦国時代で例えたらきっと織田信長軍だと思う。
絶対的な殿がいて、緊張感あふれる厳格な規律があり、やる気のないの者や粗相する者は容赦なく打ち首。
そんなイメージなのだ。
同僚同士でもそれは同じである。ホール巡回中に笑顔が少なければ容赦なく誰からかインカムで指摘が飛ぶ。
尚、インカムとは厳密にはとあるメーカーの商品名であるが、片耳にイヤホンを入れてマイクで声を飛ばす無線機だ。
「○○さん、ちょっと笑顔が足りないんじゃないですか?」 「了解しました」
各自がやる気に満ち溢れているので、スタッフ同士でもこのような感じだ。程良い緊張感でピリピリしている。
だがYくんだけは少し違った。とんでもなく陽気で男性アイドル的なYくんは周囲のムードを明るくする。
カラオケが異常に上手くBZを良く歌った。ゆえにあおりマイクも天下一品だ。
そんなYくんが退職することになった。
信長軍の過酷な日々に疲れてしまったのだろうか?地元に帰るという。
彼の最終勤務日。早番で遅番との交代時に、Yくんは得意のあおりマイクを入れた。
店舗での最後の仕事である。
一通りのお決まりセリフ入れ、まるで歌うかのごとく意気揚々と気持ち良さそうだ。
そして最後にYくんは発した。
「本日も○○店に御来店誠にありがとうございまーす! そして・・・サヨナラ」
は?
サヨナラのセリフを聞いた女子社員4名程が泣きだす。号泣だ。
何なのだこれは。
ふざけんな!バカか!
ラストライブかよ。
私はただ嫉妬した。
けれども芸達者だったYくんにもう一度会いたいなと思う。
きっとゆかいな親父になっているに違いない。
4.パチンコ企業就職編(4)
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新卒社員を中心にやる気に満ち溢れたホールスタッフで店は毎日順風満帆な営業をしていたが、ある日突然の人事異動が発表された。
-新卒社員全員+数名の社員を新店立ち上げチームに異動-
何ということだ。それでは残った面子はろくなもんじゃない。
全体的にはやる気にあふれたスタッフ構成であったが、その一部には積極性もなく向上心もないいわゆるダメな部類もいた。
そんなダメなスタッフしか残らないというのである。
終わった。この店はこれで確実に終わってしまった。
や、そんなことは、俺は・・・
腰掛けで軽く働くつもりでたどり着いたパチンコ店。
その場所はスタッフがやる気に満ちていて、声を出し、機敏に動き、全力で働く初めて見る世界。
新卒を小馬鹿にし、何食わぬ顔で行動を共にしながらも私は常に何かを感じていたのだ。
心の中でぐずついていた得体の知れない何かが弾けた。
俺が!俺がやる!!
現場を仕切っている店長代理は私と同い年。
ふざけるな!同い年でこの俺より仕事ができるやつが存在するなど冗談じゃない。
許さない。俺だ。俺がこの店を守る。
その日、G店長代理の元に行き私は告げた。
「穴の空いたイベント担当私がやります。それから今後公休は一切いりません」
G店長代理は本当に良いのかという返答をしながら、その顔はニヤリと笑っていたように思う。
今まで斜に構えてろくでもない姿勢で仕事をしてきた。
そんなのはもうお仕舞いだ。
23歳のこの時、私は大人になったのだと強く感じたことを今でもはっきりと覚えている。
ついに私は大人として覚醒をした。
まずはイベントの仕切りだ。
この店のイベントは俺が盛り上げる!
この頃は毎月の商品抽選イベントの他に、別名目の商品抽選イベントを実施していた。
新装開店以外での出玉イベントという概念はまだなかった。
私は案を練り、新しい商品抽選イベントを提案し、実施されることになった。
題して「キーワードを探せ!」
内容はこうだ。
4日間イベントを開催し、毎日一つずつキーワードを店内ポスターで発表する。
4つのキーワードが分かったら応募用紙に答えを書き込んで商品抽選の当選を願うだけ。
ポスターはワープロと呼ばれる文字印刷機の使い方を必死に覚えて作成した。
ちなみこの時代は、WindowsをOSとしたパソコンはまだ普及されていない。
まず初日は「お」だ。
2日目が「ま」だ。
そして3日目に「ん」だ!
3日目の発表が済み、きっとお客様の頭の中は「おまん◯」で一杯だ。
もう、おまん◯しか考えられないに違いない!
俺の手によって店内はおまん◯で話題騒然だ。
うっしゃっしゃっしゃっ
笑いが止まらない。
ちなみに4日目は「ま」だ。
つまり答えは「おまんま」
最低だ。
後日、常連様からお叱りを頂戴した。
大人として覚醒したとあったが、まだガキだった。
さめざんすの役物を裏から突然驚かしてイタズラしていた頃と何も変わっちゃいない。
もし過去の私にDメールが送れるならば送りたい。
キーワードは絶対「おまんま」にするなと。