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考える道具を考える

The instrument which I think

記憶には限界がある。
だからメモをこまめにとって、忘れるようにする。

備忘録として、
私のノートに書き込まれたメモを、
後で見返す。
脳の何処に仕舞い込まれていた記憶がワーキングテーブルに置かれ、
メモの意味を問い直す。

しかし、最近、
メモの意味が分からないことがある。
言葉や書いた日時が分からないわけではない。
何故、メモをしたのかが分からない。

これでは備忘録としての役割を果たしていない。
忘れるために書いたことも、
本当に忘れてしまっては洒落にならない。
次は、忘れたことも忘れるのか?

ちょっと怖いですね。

追記 忘れるという漢字は、心を亡くすと書くのですね!






雑談です。

四方山話という言葉の語源は、「四方八方」、つまりいろいろな方面に向かって話をすると言う意味だそうで、なんでもありの略脈のないお話しのことだと理解できます。

ということで、本日は、雑談風に‥。


ところで今日10月31日で、10月も終わり。
今年も残すところ2ヶ月。
時のたつのは早いもんですな。

ツイこの間、今年が始まりました!
なんていうことを書いた記憶がありますが、
その時に、今年も残すところ364日、などと書いている人もいました。

年をとると一年が早く感じられる。
これは、自分が生きてきた年数を分母に割り算するから、
そう感じるのだそうだ、と聞いたことがある。
子供は、分母が小さいから、一年は長く感じられるのだそうです。

50歳の人の一年は、50分の一。
5歳の子供は、5分の一。
確かに違いますな。


でもって、一年が何故365日かというと、
地球が太陽の周りを一回、回るのに約360日かかるから、
というのが太陽暦ということでさ、多少の誤差を閏年で微調整して、
365日を一年としたとありますね。

50歳の人は、生まれてから、太陽の周りを50回回った計算になる。

よく言いますね。
全ての人に最も平等に与えられているのは、
時間だと。

しかし、時間は平等に流れていても、
時間を感じる速度は人によっても、日によっても違う。

時間を大切にする人は、
時間を長く使える、と聞いたこともありますね。

無駄に時間を消費しないこと。
この精神で、残り2カ月を暮らしてみましょうか?

 ‥とはいえ、本日は日曜日。
  まずは朝からちょいと一杯やって、昼寝して、
  夕方風呂入ってまた一杯やって‥

 これ、時間の無駄遣いかな?
 まぁ、いいか。


NHK BShiの「100年インタビュー」。
イギリスの政治経済学者、ロナルド・ドーア(85)さんが登場。

ドーアさんの主張は、

‥‥互いに共存する中で、より良い結果を目指そうとする日本型資本主義。

の検証のお話しだった。

グローバル社会の浸透の中で、
日本が日本的なるものを失わず、
新しい資本主義の構造を確立すること。

やはり、こういう提言には、耳を傾けたくなる。

日本的共同体の価値と、
それを未来に向けて構造変革しようとする試みは大切だが、
アングロサクソン的新自由主義の形だけをまねた構造では、
日本人は戸惑うだけだ。

資本の考え方も、
株主絶対主義の嵐が吹き荒れたときに、
日本人は、明らかに、
ホリエモンや村上流の拝金主義を唾棄した。

その根底にあるものは、
共存による社会システムの価値を信頼する
日本的な精神のあり方だったと思う。

今も、六本木ヒルズあたりにいる起業家の方々と話していると、
そこには、こうした志向性は感じられない。
一攫千金、ジャパニーズドリーム?

ドーアさんの日本に対する警鐘は、
日本の近未来の重要な転換点に位置づけられた、
歴史的発言になる気がする。


‥日本人は、大切な日本的なるものを、失おうとしているのか?



孤独な時代なのだろうか?

大都会の大衆食堂でランチ。
オカズのサラを自分で選択して、
レジで合計金額を精算し、広いラウンジで食事する。

時間がない時のランチは、
富士そば、マック、すき家のどれかに決まっているが、
そこにお好み大衆食堂が入るのかと思える利便性。

テーブルで食事をしていると、
目の前で不思議な老婆が、
三越の紙袋をもって、誰とでもなく話し掛けまくっている。

話すタイミングは、
「今、私に何か言いましたか?」
「私を呼んだでしょ?」
と言って、話しかけていく。

「いぇ、別に‥」

曖昧な言葉で、その災難を避けようと、
何か言葉を発すれば最後、
「私の話を聞きたいんでしょ!」
と強引に摩り替えて、自分がいかに正しいか主張し始める。

そんな空気を感じて、
ランチを食べ終わらないのに、
さっさと席を立つ女性もいる。

一体、この老婆に何があったのか?

この大衆食堂は、私のランチの場所からは削除された。


マイケル・サンデル教授。
ハーバード大学政治哲学の、その授業が、
東大で開催され、特に教育界、実業界、
それに政治の世界にも大きな影響を与えた。

NHKはこの流行をさらに増長させ、
日本全国に、この対話式授業の価値を普及させようと、
様々な試みを開始した。


対話式の授業は、
ディベートに疎い私達には、
常に新鮮だ。

自分の意見を、
大勢の前で堂々と述べる。
その意見に対して、
また別の意見が発せられる。


GMが開発した、
ワークアウトという手法も、
また日本人にとっては新鮮だった。

グループディスカションにより、
様々な問題点を抽出し、
解決策を話し合う。

ワークアウトの凄いところは、
ビジネスの世界で、
そこで話し合った結論を、
その場で上長にプレゼンし、
直ぐに実行するという仕組みを持っていること。


形をまねるのが得意な日本人は、
ワークアウトの手法を直ぐに取り入れたが、
この最後のハードルである、
上長にその場でプレゼンする、
というフローを採用しなかった。

故に、日本流ワークアウトは、
職場の人間の動機付けに役立ちはしたが、
問題解決まで到達しなかった。


サンデル教授の対話式授業を、
再び日本で流行させても、
この時のように「形」を真似るだけの、
一時期の流行に終わらせてしまうと、
結果は何も残らないような気がする。

やはり、対話によって齎されるものは、
「考える」習慣を身に付けることであるから、
その方法の狙いを理解し、
その目的をはずさない意識が必要なのだと思う。