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考える道具を考える

The instrument which I think

考える道具を考える-阿修羅像
奈良・興福寺に所蔵される阿修羅像が上野に来ている。

三つの顔と6本の腕を持つ小柄なこの像。仏法の守護神であるにも関わらず、その凛とした表情に少年のようなあるいは少女のような清新な輝きすら見る人も多いという。
天平仏師の力量を示す阿修羅像には、永遠の問いかけがあるようにも見える。

  ‥おまえは、誰か?

三つの顔の中で私が引かれるのは、正面右側の顔(写真)。この表情は「忍」を表しているといわれています。(ちなみに左の顔は怒りの顔とも‥)。眉は憤りの逆への字でありながら、目はどこまでも哀し気で、唇はしっかりと引き締めている。

世界の悪や不正など、負の部分に目を向けて戒めているようでもあり、悲しんでいるようでもあり‥。

怒りと悲しみを左右に配した阿修羅の顔には、人間の六道を考えさせられる凄みが実はあるんだな‥と思わずにいられません。

仏教の考え方に「利他」がある。
他者を思い、他者に対する心配りの大切さを説いた言葉だが、同時に「利己」の哀れさ、悲しさをも説いているわけですね。

利己主義という言葉があるように、自分の利益のためだけに人間関係を考える人は、総合して人間関係の哀しい側面だけを体験する。結果として自分のみ利益を得ることができたとして、そこに本当の幸福があるのかどうか疑わしいということかもしれない。

「利他」は、人間の欲を排し、欲に溺れない自分を鍛えることでしか達成できないが、これはまた困難な課題でもあるわけですね。

他者のために生きる。
時々、こうした生き方に情熱を持っている人に出会うことがあります。どうしてこの方は、こんなに他人のために生きることができるのか不思議なくらいです。

そして、それは時として、自分の利他の目標を相手が拒絶した時に、逆説的に相手を恨むという意識に転換する場合があるようです。「私がこんなに相手のことを考えているのに‥」。この思いは、相手に負担を強いるわけですね。

これは恐らく本当の「利他」ではない。
本当の「利他」は、他者が自分で幸福と思えるかどうかにある。あくまでも自己認識の範囲内のことなのでしょう。相手が自分を拒絶することもまた容認する心がなければ本当の「利他」にはならないということ。

しかし、本当に難しい。


4月というのは、日本人にとっては新しい区切りの月ですね。

学校が始まり、会社の多くが新しい期の始まり。
転勤も転居も4月が一番多い。人が移動する月、正確には異動した後の新しい月の始まり。

手帳を使っていて、毎年、1月から12月までの期間設定に違和感を覚えている人も日本人なら多い筈。私が愛用している超整理手帳も、このタイプだが、実は前年の11月中旬から翌年の1月末までがセットになっている。実はこの利便性が、実際に使おうとすると結構不便であったりする。つまり、11月以降のスケジュール管理をしていると、翌年の11月から1月始まりまでのスケジュール表がダブルのだ。これをどちらに書き込むか、いつも迷う。

それに、スケジュールが立て込んでくると、どうも超整理手帳だけでは、全ての情報を一括管理するのがとても難しくなってしまう。

そこで、今回は、4月始まり版の蔭山手帳を手に入れてみた。
年度の区切りから始まるこの手帳は、仕事と生活のバランスを考えたレイアウトになっていて、この一冊で済みそうだと感じる。やはり、手帳はスケジュール管理だけのものではなく、人情報、街情報、マスコミ情報など様々な情報の宝庫にしていかなければならないと思うのですね。

但し、心配なのは、どうも「重い」ということ。
携帯性と情報格納性は相容れないものなのだろうか?

まぁ、4月からは新年度という気分をまずは大切にしてみましょうか‥。

ビジネスの話。

新しいプロジェクトが様々に始まる。
そして始まるプロジェクトがあれば、終わるプロジェクトもある。

人々との出会いもそう。
新しい出会いがあれば、別れもある。

出会いは楽しいものだが、別れは悲しい。寂しい。

しかし別れの本当の悲しさは、
別れることそのものではなく、分かれることによって失ってしまう「未来の時間」への未練だといわれていますね。

現在の中で空想する様々な「次の時間」とは、まだ訪れていない時間。
人間は、その「次の時間」をはるかにイメージすることができる。
この能力が、他の動物と一番に異なる能力だが、一番やっかいな能力でもあるのでしょう。

一つの区切りは、必ずやってくる。
それが、次の新しい出会いを準備することだと考えれば、哀しがってばかりはいられない。

輪廻転生。
地球は回る。そして、私は、きっと未来の時間のどこかに、誰かになってまた訪れると信じたい。その期待が、ビジネスでも人との出会いでも、活きる時、人々はそれを希望と呼んでいい。

  ‥春だというのに、感傷的になって、今日も朝を迎えることになっているはず‥

つくづく思うのですが、
毎日の多くの時間は、何がしかの準備のための時間に費やされていると!

旅行に行くと決める。
すると、その準備のために多くの情報を収集し、最適な場所、最適な時間、最適な予算、そして最適な同行者などを計画し、準備する。実際に旅行に行く時間より多くの時間をその準備のためにかけている。

仕事をする。
あるテーマに関する企画提案をする。
そのための情報を収集する。最適なアイデアを生み出すために、情報を整理する。仮説を立てる。仮説を検証する。実際にやってみる。提案書を書く、書き直す。推敲する。破棄する。他人に聞く‥。
提案するその瞬間は極僅かに与えられた時間だが、そのための準備の時間は膨大だ。

準備。
備えを過不足なくする行為は、
既に、目標達成のための大半の活動そのものでもあるような気がする。

結果は、やってみなければ分からない。
でも、準備は怠らず!

人生も‥もしかしたら、何がしかのための、準備なのかもしれないな‥‥。

大不況の最中、脳の無限の可能性だけを信じて‥本日も準備を続ける。

眠いな‥‥!