事業が上手く回らなくなり、自分の事業を買ってくれないか? という相談が多くなった。
これも100年に一度の何とか‥が影響しているからなのか?
お話しをしていると、「成功」しなかったという話が多いのに気づく。事業を売りたいというのは、事業を「失敗」したことではないのか? 成功する条件が整っていなかったからなんです‥と、その方は語ります。でも、途中で事業を止めるのだから、それは失敗なんです。成功するとは、成功するまで続けることなんだよね。
ところで、最近、出版物の中で「成功」というタイトルが入っている著作が売れているらしい。
「成功」するとは一体何か?
そもそも成功とは、失敗の反対概念なのか?
それとも「上手くいっていない」ことの反対概念なのか?
何となく‥それでも、私は「成功」のハウトゥ書を自然と手にとっている。成功の9ステップ、7つの習慣、5大意匠‥‥成功の著作が成功するには、どうやら「奇数」に意味があるようですね。
それにしても、私は「成功」したいのか?
常に、そんな疑問がわくのです。「成功」って何だ! それは相対的な概念なのか? 単なる通過儀礼なのか? でも私は誰よりも成功している‥とは言わないよね。だから、それは、自分の目標に対して「成功」を言うのでしょう。社会的に豊かになり、不安のない生活を送ることができれば、それは人生を「成功」したというのだろうか?
恐らく、「成功」という二文字に拘っている以上「成功」は永遠に来ないのでしょう。
何故なら、「成功」は、それ自体を認識することはなく、絶対的な「成功」などというものもなく、所詮「誰かと比べれば‥」という概念に過ぎないのだから。
私は、「成功」という二文字に、愛着も持たなくなった。それほどの執着もない。そもそも、「成功」したいと思ったこともないのだ。
あるがままに在る。
それでいいじゃないか?

東京渋谷Bunkamuraザ・ミュージアムで開催されている「奇想の王国 だまし絵展」(8月16日まで)をようやく観ることができた。
今年の6月から始まっているロングランの企画展だが、私が「視覚の幻想」の世界に誘導されたきっかけを作ってくれたエッシャーやマグリッド、ダリの近代シュルレアリストの作品が、この「奇想」の歴史の中に位置づけられていると聞いていたので楽しみだった。
‥‥
現代の表現技術は、高度に発達したコンピュータ映像技術によって、視覚の遊びを様々に楽しむことができる。しかし、この視覚の遊びの原点は、1700年代のオランダから出発し、絵画技術の中で熟成され表現されてきたことは有名だ。
その日本を含めた「奇想」の歴史的作品を時間の経緯と共に観ることができる本展示会は、「だまし絵」のエンターテインメント性や意外性との出会いというより、それぞれの作品を通した極めて真面目な歴史的検証の展示会といえるかもしれない。
夏休みに行ったビックリ箱の世界との出会いの驚き。
人間の持つ視覚の不確かさや、それが故の絵画描写のディテールのリアリティ性の表現など、面白さを発見するのに不足はないが、決して「お化け屋敷」ではないとを追記しておこう。
1日24時間。
人間の誰もが平等に持っている時間。
あるいは与えられた時間。
自分の時間は自分で使うことができる。
これが社会的存在の人間が、唯一、自由という言葉を当て嵌めることができる財産だ。
しかし、1日のうち5時間から8時間は睡眠をとる必要がある。
最近は睡眠中も脳は活性化しており、1日の記憶の整理を睡眠中に行っているのだという研究発表があって、本来、睡眠の大好きな私のいい訳には大いにプラスになっている。しっかり睡眠をとれば、考える途中の段階でも自然に脳は課題を整理してくれているのだから、こんなに嬉しい話はない。
24時間のうち8時間を睡眠にあてるとすると残りは、16時間。
仕事に使う時間は、規則でいえば1日8時間。(まぁ、この時間で終わることはほとんどないのだが‥)、睡眠と仕事で使う時間を除くと8時間。
えっ? 1日8時間も自分の自由になる時間があることになるの?
でもそんなに自由時間? があると感じることはほとんどない。
仕事と睡眠で、ほとんど1日が終わってしまうような気分だ。
これは何故か?
つまり、集中する力を活用していないからだと考えてみた。
一つのことに集中できる限界は3時間だと言われている。
じっと、そのことだけを考える。3時間はあっという間に過ぎていく。
しかし、3時間を集中すると、おおかたの目的は達成できる。
いわば1日のうちのコアの時間は3時間でいいという考え方を、最近私はするようにしている。
コアタイムを設定し、そこで何をするのか?
それ以外の時間は、コアタイムに集中してやり遂げる目的のための準備の時間だと考えるようにしている。
関連の情報を収集したり、人と会って話しをしたり、メールを処理したり、趣味に没頭する。音楽も絵画も映像も、ある時はゲームでさえ、私にとっては「準備」のためのもののように思える。
睡眠時間以外の16時間のうちの3時間のために、13時間を自由に使えるのは、膨大な時間を与えられたような気がして、とても幸福だ。
人間の誰もが平等に持っている時間。
あるいは与えられた時間。
自分の時間は自分で使うことができる。
これが社会的存在の人間が、唯一、自由という言葉を当て嵌めることができる財産だ。
しかし、1日のうち5時間から8時間は睡眠をとる必要がある。
最近は睡眠中も脳は活性化しており、1日の記憶の整理を睡眠中に行っているのだという研究発表があって、本来、睡眠の大好きな私のいい訳には大いにプラスになっている。しっかり睡眠をとれば、考える途中の段階でも自然に脳は課題を整理してくれているのだから、こんなに嬉しい話はない。
24時間のうち8時間を睡眠にあてるとすると残りは、16時間。
仕事に使う時間は、規則でいえば1日8時間。(まぁ、この時間で終わることはほとんどないのだが‥)、睡眠と仕事で使う時間を除くと8時間。
えっ? 1日8時間も自分の自由になる時間があることになるの?
でもそんなに自由時間? があると感じることはほとんどない。
仕事と睡眠で、ほとんど1日が終わってしまうような気分だ。
これは何故か?
つまり、集中する力を活用していないからだと考えてみた。
一つのことに集中できる限界は3時間だと言われている。
じっと、そのことだけを考える。3時間はあっという間に過ぎていく。
しかし、3時間を集中すると、おおかたの目的は達成できる。
いわば1日のうちのコアの時間は3時間でいいという考え方を、最近私はするようにしている。
コアタイムを設定し、そこで何をするのか?
それ以外の時間は、コアタイムに集中してやり遂げる目的のための準備の時間だと考えるようにしている。
関連の情報を収集したり、人と会って話しをしたり、メールを処理したり、趣味に没頭する。音楽も絵画も映像も、ある時はゲームでさえ、私にとっては「準備」のためのもののように思える。
睡眠時間以外の16時間のうちの3時間のために、13時間を自由に使えるのは、膨大な時間を与えられたような気がして、とても幸福だ。
守破離。
人間修行の日本独自のノウハウ。
何度かこのブログでも取り上げましたが、やはり賢人の「教え」は役に立ちますね。
千利休が茶の湯の作法の中から、人間を磨き上げる道筋を描いた考え方で、世阿弥の「序破急」を下敷きにした自らの独自性を展開する基本と考えるのが一般的ですね。
人生もまた、守破離で考えてもいいのかもしれません。
守は生まれてから青春時代。学習の時代の基本的心構え。
ある意味、守という意識はない時代の作法。
破は、自己意識が確立され、自分を描き出す時代。
円熟の時代に向けての作法。
離は、人間の完成時期。
基本の教えから脱皮し、自らの独自性を創造する時代の作法。
オリジナリティがない日本人が語られることが多い国際社会でのわが日本。
しかし、この時代から独自性が生き方の最終章におかれていたことを考えると、あながち「みんな一緒」という考え方が当たっているとは思えません。
私も、人生の最終章に 近くなり、
自分の「離」を描くことができるのか‥戦う日々が続きます。
暑さ厳しき折、皆様におかれましては、ご自愛ください。
人間修行の日本独自のノウハウ。
何度かこのブログでも取り上げましたが、やはり賢人の「教え」は役に立ちますね。
千利休が茶の湯の作法の中から、人間を磨き上げる道筋を描いた考え方で、世阿弥の「序破急」を下敷きにした自らの独自性を展開する基本と考えるのが一般的ですね。
人生もまた、守破離で考えてもいいのかもしれません。
守は生まれてから青春時代。学習の時代の基本的心構え。
ある意味、守という意識はない時代の作法。
破は、自己意識が確立され、自分を描き出す時代。
円熟の時代に向けての作法。
離は、人間の完成時期。
基本の教えから脱皮し、自らの独自性を創造する時代の作法。
オリジナリティがない日本人が語られることが多い国際社会でのわが日本。
しかし、この時代から独自性が生き方の最終章におかれていたことを考えると、あながち「みんな一緒」という考え方が当たっているとは思えません。
私も、人生の最終章に 近くなり、
自分の「離」を描くことができるのか‥戦う日々が続きます。
暑さ厳しき折、皆様におかれましては、ご自愛ください。
フォートラベルという会社が運営する「みんなの旅行記」というサイトがある。
このサイトは、「誰でも書きたくなる旅行記」を「海外」と「国内」に分けて自由に掲載してもらおうというサイトで、「日本にさらなる旅行需要を生み出し、旅行マーケットの拡大に寄与、また、結果として 「日本人の旅行文化の向上に貢献する」ことを目標としています。」というのが事業ビジョンとなっている。
このサイトの規模は、トラベラー会員約7万4千人。旅行記32万冊。掲載写真約600万件。
旅行体験は、実は身近な人に話しても、あまり喜ばれないという経験を持っている人のための、旅行の記憶のためのサイト、広場なのかもしれませんね。
‥‥
旅行中の写真を見せられて、
旅行の楽しさ、旅行の思い出を共有化することはなかなかできませんね。
それは当然です。その場にいないのですから。聞かされているほうは、自分のイメージの中で体験を共有化しなければならず、そのイメージが同じものであることは不可能なことなのです。
しかし、旅行の思い出は、「旅行記」を書くことで、再体験され、自分にとっては極めて大切なアウトプット作業なのですね。興味深く聞いてくれる人に話すほうがよっぽどいい。
この仕組みを利用して作り出されているのが、上記のtravel.jpなのでしょう。
‥‥
それにしてもインターネットの中には、驚くほどの旅行記サイトがありますね。海外の国別旅行記もあれば、書店が運営するものもある。個人的体験のコミュニティサイトもあれば、個人のブログのジャンルでも旅行に登録する人は多い。
旅行の体験は、言葉でアウトプットされた時に、追体験される。
だから旅行記を書くという行為はとても大切ですね。
でも、旅行記を書く段階では、それは自分の旅行の姿を、客観的に書く必要が出てきます。自分が歩いている姿を客観的な視点で書き直していくとでもいえばいいのでしょうか?
そこに脳にインプットする体験をアウトプットすることで追体験する意味があるように思えます。
まぁ、日常の生活の記録もまた、こうした旅行記のシステムに近いものがありますね。
何故なら、生きるということは、旅をしているようなものなのですから‥。
このサイトは、「誰でも書きたくなる旅行記」を「海外」と「国内」に分けて自由に掲載してもらおうというサイトで、「日本にさらなる旅行需要を生み出し、旅行マーケットの拡大に寄与、また、結果として 「日本人の旅行文化の向上に貢献する」ことを目標としています。」というのが事業ビジョンとなっている。
このサイトの規模は、トラベラー会員約7万4千人。旅行記32万冊。掲載写真約600万件。
旅行体験は、実は身近な人に話しても、あまり喜ばれないという経験を持っている人のための、旅行の記憶のためのサイト、広場なのかもしれませんね。
‥‥
旅行中の写真を見せられて、
旅行の楽しさ、旅行の思い出を共有化することはなかなかできませんね。
それは当然です。その場にいないのですから。聞かされているほうは、自分のイメージの中で体験を共有化しなければならず、そのイメージが同じものであることは不可能なことなのです。
しかし、旅行の思い出は、「旅行記」を書くことで、再体験され、自分にとっては極めて大切なアウトプット作業なのですね。興味深く聞いてくれる人に話すほうがよっぽどいい。
この仕組みを利用して作り出されているのが、上記のtravel.jpなのでしょう。
‥‥
それにしてもインターネットの中には、驚くほどの旅行記サイトがありますね。海外の国別旅行記もあれば、書店が運営するものもある。個人的体験のコミュニティサイトもあれば、個人のブログのジャンルでも旅行に登録する人は多い。
旅行の体験は、言葉でアウトプットされた時に、追体験される。
だから旅行記を書くという行為はとても大切ですね。
でも、旅行記を書く段階では、それは自分の旅行の姿を、客観的に書く必要が出てきます。自分が歩いている姿を客観的な視点で書き直していくとでもいえばいいのでしょうか?
そこに脳にインプットする体験をアウトプットすることで追体験する意味があるように思えます。
まぁ、日常の生活の記録もまた、こうした旅行記のシステムに近いものがありますね。
何故なら、生きるということは、旅をしているようなものなのですから‥。