「成功」を疑うことから「成功」の本質が見えてくる | 考える道具を考える

考える道具を考える

The instrument which I think

事業が上手く回らなくなり、自分の事業を買ってくれないか? という相談が多くなった。
これも100年に一度の何とか‥が影響しているからなのか?

お話しをしていると、「成功」しなかったという話が多いのに気づく。事業を売りたいというのは、事業を「失敗」したことではないのか? 成功する条件が整っていなかったからなんです‥と、その方は語ります。でも、途中で事業を止めるのだから、それは失敗なんです。成功するとは、成功するまで続けることなんだよね。


ところで、最近、出版物の中で「成功」というタイトルが入っている著作が売れているらしい。

「成功」するとは一体何か?

そもそも成功とは、失敗の反対概念なのか?

それとも「上手くいっていない」ことの反対概念なのか?

何となく‥それでも、私は「成功」のハウトゥ書を自然と手にとっている。成功の9ステップ、7つの習慣、5大意匠‥‥成功の著作が成功するには、どうやら「奇数」に意味があるようですね。

それにしても、私は「成功」したいのか?
常に、そんな疑問がわくのです。「成功」って何だ! それは相対的な概念なのか? 単なる通過儀礼なのか? でも私は誰よりも成功している‥とは言わないよね。だから、それは、自分の目標に対して「成功」を言うのでしょう。社会的に豊かになり、不安のない生活を送ることができれば、それは人生を「成功」したというのだろうか?

恐らく、「成功」という二文字に拘っている以上「成功」は永遠に来ないのでしょう。
何故なら、「成功」は、それ自体を認識することはなく、絶対的な「成功」などというものもなく、所詮「誰かと比べれば‥」という概念に過ぎないのだから。

私は、「成功」という二文字に、愛着も持たなくなった。それほどの執着もない。そもそも、「成功」したいと思ったこともないのだ。

あるがままに在る。
それでいいじゃないか?