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考える道具を考える

The instrument which I think

※一定の人生を送ってきて、
 世の中的には、立派なシニアの世代になって、
(こういう言い回しは自己回避的な表現ではありますが、使いやすいのも事実)
 時々思うことは、

 もし自分が別の生き方をしていたら‥‥
 どんな人生を送っていただろうということですね。

※出会いの不思議さを感じるのも、
 多くの人との出会いと別れを経験してきたからこその思いなのでしょうか?
 もし、愛するこの人との出会いがなければ、
 いったい自分の人生はどんなものだったろう。

 もし、今の仕事についていなければ、
 どんな仕事をしていたのだろう?
 もし、この町に住んでいなければ、
 どんな街角を散歩していたのだろう?

※これが感傷というものなのか。
 萩原朔太郎の感傷の世界は、
 どこまでも、自分の中にある
 「悔い」の感傷なのだろうか?

※そして、同時に今、ここにこうしている自分と関係してきた
 多くの人々には感謝の気持が素直に感じられるのも事実。

 どこをどう歩いてこようと、
 結局、私は私の運命付けられた終点に向かって歩いている。
 こんな仏教の言葉に素直に頷けるのも、

 今、だからなのでしょう。

 今日も、精一杯、元気で生きましょう!

※FBI捜査官が教える「しぐさ」の心理学(河出書房新社2010年1月20日刊)を読んだ。
 ジョー・ナヴァロとマーヴィン・カーリンズの共著、西田美緒子訳。

※人間の「しぐさ」の中に、無意識に表現されてしまう「本音」。その「しぐさ」に、ノンバーバル・コミュニケーションの本質を見出し、様々な犯罪心理を読み取ってきたジョー・ナヴァロの経験を科学的に分析したのが本著だ。

※言葉によるコミュニケーションをバーバル・コミュニケーションと呼び、言葉以外のコミュニケーションをノン・バーバル・コミュニケーションと呼ぶ。ボディ・ランゲージという言い方もある。

※言葉では「否定」していても、本当は自分が犯罪を実行したと分っている自分には、その言葉にある「嘘」を、足の動き、手の動き、身体の動き、表情の細かな動きの中に反映させてしまうというコミュニケーションの仕組みが分って、とても面白い。

※これまでも、例えば、話をしていて腕組みをした場合は、その話を拒否する心理を表すとか、足を組んだ姿勢で話をする人は、虚勢的な心理を隠そうとするとか、いろいろなことが言われてきましたね。
あるいは、露骨に嫌な表情をすれば、それは拒絶を表しているのは誰でも分かるとして、一見好意的な表情をしていて言葉でもそういっている場合でも、本音は拒絶であったりすることもあるわけですね。

※犯罪捜査官の、様々な質問の投げ掛けにより、言葉だけでかわしていこうとする犯罪者の心理は、逃げ切れないというわけですね。ここで重要なのは、「巧みな質問」にあります。

※人の心は、自分でも分からない本能的な判断を伴うものであるということ。もしかしたら自分でも分からない「なんとなく嫌な気分」、「何となく楽しい気分」を、自分の身体の動きを観察することで、理解していこうとするのも楽しいことかもしれない。

※但し、これはあくまでも、態度やしぐさの中に現れる表現に対する「仮説」であることを忘れてはならないと、本著は警告もしています。
人間の心理は、1億5000万個の脳の神経細胞の複雑な交流の生み出す謎だと指摘されることもあり、単純化する場合は「決め付け」の間違いにも十分注意が必要というわけです。でも、空気を読んだり、相手の本音を覗くためには、「しぐさ」は興味深い信号であることは確かですね。


※あるIT系ベンチャー企業の代表と会食。
 最近の採用面接でのお話し。

 「この会社に入って何を目指しますか?」
 という質問に、
 「社会に役立つ仕事をしたい。」
 と答える若者が多いと言う。

 「自分のため、お金のためではないの?」
 と聞くと、
 「それはありません。自分はどうでもいいんです。」
 と答えると言う。

※ボランティア志向性。
 若者達に、脂ぎった上昇志向が見られない。
 その代表は言う。
 自分が食べていけなくても、
 他人志向を自分の中に立てておかないと、
 社会の中での存在理由が確認できないようですね。

※草食系男子とは、言い得て妙ですね。
 動物的な本能の赴くままに、
 他人を蹴飛ばしてまで自分を通すことはない。

 何だか言葉のイメージは、文字通り、草を食って生きる人々?
 筋肉質の志向性を失っていくようです。

 それでも、それが決して善悪の判断とは違う時限で語られている
 ところが、今の時代なのでしょうか?


※少し気分を変えて、背景デザインを変えてみた。
 ずっと同じ絵柄でいることの安心感と、
 その時その時の自分の気分を反映した絵柄への
 変化の欲求が交差したあたりで、
 絵柄を変えたいという欲求がわいてくるようですね。


※林成之先生「脳に悪い7つの習慣」(幻冬社新書)を読んでみた。
 救急センター勤務の経験から得た脳科学の知見と、
 具体的で分りやすい脳と心の関係の論述は勉強になりましたね。

 特に、キーワードとして記憶に残ったのは、
 脳の中のダイナミック・センターコアという存在。
 人間の「思考」を生む脳の機能の集まりの部位。
 
 人間の心とは、感情と思考によって生まれるもの。(A10神経系)
 信念は、思考の過程において
 脳が「統一・一貫性」を判断するしくみを使い、
 主に記憶との情報照合によって生まれる。

 この二つの渦が統合され混合されることで「思考」が生成される。

 こんな解釈でしょうか?
 結局、否定語を使わず、常に前向きに積極的に考え抜くことで、
 脳は活性化されるようです。明るく楽しく、いつも上機嫌‥が重要。
 でも、タイトルの「脳に悪い習慣」という言葉は
 否定語にならないのか心配ではありますが‥。

地域から発信する「ふるさとマルシェ」というECサイトを運営している私は、最近ようやく、プロとアマの違いを実感することが多くなってきました。(いまさらですか?)

例えば、このサイトでは、地域に隠れた逸品ばかりを扱っています。逸品の評価はまちまちですが、私達が求めている本物だけを選りすぐり、生産する人の想いや信念に共感したものだけを取り扱っているのですね。モノが誕生するまでの物語がそこにはあり、その物語の中に本物だけがもつ創造性と驚きがあるわけです。

しかしもっと大切なことは、サイトでこれらの商品を紹介し、販売する時の、その表現力、伝える力にも、やはりプロの手を借りないと伝えられないということなんですね。どんなにモノが優れていても、そのことが伝わらなければ、モノは生きていかない。


例えば林檎。
日本人に最も愛されてきた林檎の生産にも、一つひとつの育成には努力の時間の積み重ねが必要です。生産者の心が生み出す林檎を、どのように伝えるか‥一枚の写真でどのように伝えるか‥一つの言葉でどのように伝えるか‥そこにはプロが手がけるものとアマとの差が歴然とあるわけです。

プロとアマの差とは、何か?

それは、アマは写真やデザインやコピー表現が、自分の内部に向かっているのに対して、プロは、それを購入し、食事の場面にセットし、おいしく頂く、家族や友人達と一緒に「食べる」ことの幸福感、すなわち他人に向かって作品が創られるという違いなのではないかと思うのですね。

一言でいえば、他人志向と自分志向の差異こそ、プロとアマの決定的な違いなのではないかと思うのです。

カメラのハード的な技術はデジタル化の波の中で高度に発達し、アマチュアカメラマンでもかなりの作品を撮影することができるようになりました。しかし、一瞬のシャッターを切るその指先の向かっている先がどこかというと、自分の満足度と他人の満足度という二つの大きな差異があり、それが作品の出来栄えの決定的な差異となって現れてしまうということです。

このプロとアマの差は、スポーツでも、音楽でも、芝居でも、絵画でも、農業でも、ビジネスでも人間の営為の動機という視点で見ると決定的なものなのだということが、ようやく分ってきたのでした。共通しているのは、どんな仕事をしていようと、その世界のプロでなければならないということでしょう。サラリーマンでも公務員でもベンチャー起業家でもいい。プロであるということは仕事を通じて他人を楽しませること、他人に満足していただくことに志向性があるということなのだと実感しています。

どう思いますか?