考える道具を考える -39ページ目

考える道具を考える

The instrument which I think

「時間」が価値を生む!

最初に「時間」を経営資源の中に位置づけたのは誰だったのでしょうか?
人、モノ(商品)、金の3大経営資源に、「情報」が加えられたのが、
20世紀後半。そして、「情報」+「時間」で、新しい価値が創造される。

それにしても「時間」に対する価値観は、人それぞれ違う。
それまで一時間でこなしていたものが、30分で終われば、
二倍の「時間価値を創造」したことになる。

しかし、この時間価値に対する解釈は、言葉の本当の意味からすると違うらしい。

本来は、金融の世界の用語で「将来に値上がりするかもしれないという期待に対する価値のことで、予想期待度、期間の長さ、金利を尺度として計算される」価値計算となるらしい。(金融用語辞典から)

今持っている金融資産の将来的な値上がりを、その期間という時間で価値計算した値のことらしい。これは市場というロジカルな世界での話し。

でも私は、時間価値とは、
人が生きるという有限の時間の中での、
もっと情緒的な時間の創造という意味での価値を問いたい。

スピードを上げることで、時間の価値を二倍にするという、
効率性、生産性だけを捉えた価値観で事業経営すると、
どこかに大切な何かを置き忘れてきてしまうということですね。

時に、静かに、
自分の呼吸を数える「時間」を持つこと。
それを私は、マインド性の高い「心の時間価値」と呼びたい。

これは大切な経営資源だと思うのですが、
いかがでしょうか?








年度末に向けて、
地域めぐりが続いている。

沖縄は、27度。日差しも厳しく、真夏の太陽が煌いている。
夜の最終便で羽田に到着し、翌日は、奥会津まで常磐西線でトコトコ移動。
猪苗代、磐梯あたりはまだ雪の中。朝夕は零度を下回る。

日本列島の中で30度近い温度差。

仕事の連続で、夏と冬の衣装を同時に持って歩くことはできない。
沖縄にコートを着ていく馬鹿と、
奥会津にコートなしでいく阿呆が共存する。
たはは‥。

でも、これも日本。
そして、実は日本は、とんでもなく、広い国なんだと実感する。

偕楽園では梅が満開。
桜の季節に、今年もなりましたね。


温かくなると、懐かしい人に会いたくなります。
冬眠していた記憶の扉が、一つだけ開いた音を聞きました。

しあわせ、という日本語が、
幸福という漢字に変化してから、
欧米流の幸福論に惑わされてしまった。

こんな言葉からはじまる
禅師のしあわせ論。
いつもながら、分りやすく、納得感が高い一冊。

なんとなく幸福論的書籍は、
こそばゆいので読みにくいが、
禅師の言葉で語られる
日本的しあわせ論は素直に頷ける。


曰く、
幸福は、欧米的物質的幸福の定義、
しあわせは、日本的人間関係の中に存在する幸福感。

もともと「しあわせ」は「仕合せ」から来ている言葉。
人と人との間にある感性なのでしょう。

近代機械化文明によって、
私達は確かに、生活全般便利になった。
苦役に近い家事は消えてなくなり、
何もしなくても、洗濯、掃除などは終わる。

そこで得たのは「時間」。
しかし、得た「時間」の使い方が分らなければ、
失ったもののほうが大きいともいえる。

本当のしあわせは、
あなたと私の間にある。
その時間を大切にしたい。

※玄侑宗久禅師著「しあわせる力」禅的幸福論 角川SSC新書2010年1月24日刊


※昔、やたら食べ方にうるさい寿司職人がいた。
 寿司の食べ方は勿論、食べる順番、食べている時の会話の仕方まで、様々に「しきたり」を強制する職人気質のおやじさんだった。何故かいつも怒っているようみえた。

※そのパフォーマンスを楽しむことができるお客は、その店の常連となったが、半数はその不遜な態度に怒って帰ってしまう。「御代はいらないから、さっさと帰ってくれ!」おやじさんのこの言葉が発せられるのも、毎日のことだった。

※私は、その店に何度も足を運んだ。ある時、新入社員を連れて行った。新人君は、カウンターの前に座るや否や茶碗蒸しを頼んだ。おやじさんの顔が真っ赤になったことを覚えている。


※20年以上も前に入ったことのあるこの寿司店があったのは、新宿だった。久々に、新宿に行く用事があり、私は、ふとそんな記憶が蘇ってきて、夕方その店があったあたりに足を向けてみた。

※残念ながら、その寿司店はすでになかった。あるいは場所を間違えていたのかもしれない。それでも、その時の残像が、あたりの風景の中に少しだけ浮かび上がったように思えた。

※最初に玉子を食べるなんざ、素人のトーシローのやることだよ! 最初はヒカリから入って、その寿司屋の実力を見てみるもんさ! やたらマグロばかり食べるヤツが多くて困る。マグロだけが寿司ではない。茶碗蒸しから食べるヤツは、さっと帰りな! おやじさんの怒鳴り声が聞こえたように思えた。


※大西洋の本マグロの捕獲が禁止されそうだ。日本人の乱獲が海の生態系を破壊するらしい。寿司屋からマグロが消えても、日本人は困らないさ! その時のおやじさんだったら、そう怒鳴ったろうな‥と思いながら帰途についた。


※最近のベストセラー「フリー」を読んでいて、
 特に感じたことは、巻末に書かれている「謝辞」。

※日本の書籍には「おわりに」とかいうタイトルで書かれている場合が多い。

※つまり、この書籍ができるまでに協力して頂いた関係者への、
 心の篭った感謝の言葉だ。

※但し、日本の書籍の場合は、
 本著出版にあたり、資料整理、出版社の編集の方などに僅かに触れる程度が多いのに比べ、フリーのそれはまったく違う。

※まずは、出版という大仕事をすることに協力してくれた家族に対する感謝、特に妻の献身的な協力体制に対する感謝の言葉がつづられる。その後、企画や発想での協力者、データ獲得のための協力者、データ加工における分析、あるいはグラフ制作などの協力者、さらにはデザイン、ライティングサポート、そして宣伝、広告にいたるまで、ある意味延々と協力者の個人名を挙げて感謝の言葉を綴る。まさに「謝辞」なのですね。

※実は、この情報は、一冊の書籍が出来上がるまでの、そのプロセスを垣間見ることができて楽しい。それぞれのパートは、著者とフィフティの関係で成立している米国独特の協力関係が示されているということなのですね。

※日本の場合、編集、デザインなどは、いわば黒子。僅かに小さなフォントで名前がでるのがせいぜい。場合によっては名前さえ出ない場合もある。

※しかし、一つの仕事を完成させるのに、協力者の存在がないはずもない。そこが、創造に対する意識の違いなのかもしれませんね。

※謝辞の言葉に、思わぬ発見をした昨日でした。

本日も一日、皆様にとって良い日でありますように。