日本語に拘った、その拘り方が好きでしたね。
余りにも多くの名著を残した作家であり劇作家であり、エッセイストであり‥。
手鎖心中、ムサシ、憲法九条、箱根強羅ホテル、ふふふ、劇作「国語元年」‥感動しました。
その中で、何故か私の記憶に残っているのが、
「日本語観察ノート」という軽快な一冊です。
この著作は、1990年代あたりの街場での、
不思議な言葉遣いを50近く拾い出して、
その発音の不思議から活用方法の不思議について記述したもの。
言葉は、時代とともに変化していく。
変化していくことに敏感であることで、
多くの読者に問い掛ける。
それでいいの?
‥‥また一人、私の愛した創造者が逝ってしまった。
合掌
情報がないことに対する恐怖感は、
地域にメディアがなくなってみると良くわかる。
NHKのテレビ・新聞の未来に関する特集で、
改めて感じたことですが、
どんな小さなメディアであっても、
人々は情報がなくなると社会を構成できない時代に生きていることが良く分かる。
これを情報恐怖症と呼んでもいい。
人間は、生物として自然界で生き抜くためには、
個体としては極めて脆弱である。
どんなレスラーでも熊やライオンには勝てず、
どんなアスリートでもチータには勝てない。
どんなスイマーでもイルカの泳ぎに勝てるはずもなく、
跳躍力では、どんな小さな鳥にも勝てない。
‥そもそも自力で空は飛べない。
人間は自然界の中では、
一人では極めて非力であり、
自然を征服する力はない。
しかし、知能を得て、肉体の脆弱さをカバーし、
集団という力によって、
自然界を征服した、ように思っている。
知と集団を維持するためには、
情報が必要である。
これは生きる本能であろう。
情報は本能から生まれた生存のための一次欲求なのだ。
情報を失うことは即ち、死を意味する。
だから情報恐怖症は、一方で、情報の量に対する欲求を呼ぶ。
情報を大量に保有していることで安心するのだ。情報は神の力。
しかし、情報を大量に持っていても、
それで正しく生きていけるとは限らない。
知と集団と個人との関係性に仕掛けられた罠なのかもしれない。
‥‥地域再生などという、妙な仕事をするようになって、
地方の自然の中にいると、
私は情報から見放される恐怖を感じてしまうのでした。
本日もまた、地方に出かけます‥。
地域にメディアがなくなってみると良くわかる。
NHKのテレビ・新聞の未来に関する特集で、
改めて感じたことですが、
どんな小さなメディアであっても、
人々は情報がなくなると社会を構成できない時代に生きていることが良く分かる。
これを情報恐怖症と呼んでもいい。
人間は、生物として自然界で生き抜くためには、
個体としては極めて脆弱である。
どんなレスラーでも熊やライオンには勝てず、
どんなアスリートでもチータには勝てない。
どんなスイマーでもイルカの泳ぎに勝てるはずもなく、
跳躍力では、どんな小さな鳥にも勝てない。
‥そもそも自力で空は飛べない。
人間は自然界の中では、
一人では極めて非力であり、
自然を征服する力はない。
しかし、知能を得て、肉体の脆弱さをカバーし、
集団という力によって、
自然界を征服した、ように思っている。
知と集団を維持するためには、
情報が必要である。
これは生きる本能であろう。
情報は本能から生まれた生存のための一次欲求なのだ。
情報を失うことは即ち、死を意味する。
だから情報恐怖症は、一方で、情報の量に対する欲求を呼ぶ。
情報を大量に保有していることで安心するのだ。情報は神の力。
しかし、情報を大量に持っていても、
それで正しく生きていけるとは限らない。
知と集団と個人との関係性に仕掛けられた罠なのかもしれない。
‥‥地域再生などという、妙な仕事をするようになって、
地方の自然の中にいると、
私は情報から見放される恐怖を感じてしまうのでした。
本日もまた、地方に出かけます‥。
NHK教育テレビでの教養番組に、食事の「しきたり」を学ぶ講座がある。
思いのほか視聴率が取れているらしい。
在るセミナー会社が主催する冠婚葬祭の流儀を学ぶ講座がある。
1日の講座で4万円もするこのセミナーに申込が殺到しているらしい。
核家族化以降、子供達に日本の生活の中に根付いてきた「しきたり」を、正しく継承する文化がなくなったと指摘されて久しい。
「しきたり」とか「流儀」とは、
「形」の中に意味を持たせた文化だといえるのでしょう。
特に若い人が、規範という「形」を求めている?
但し、教養講座では、「形」の意味を伝えようとしますが、「形」の意味は、実は感じ取ることが大切で、「形」を学習する時期には、意味を語らないのが、また伝承の流儀でもあるのですね。そうそう、守破離です。
言葉で「形」の意味を理解しても、
身につくかどうかは別の問題というわけです。
そして、能狂言、歌舞伎、落語等などの伝統文化は、
その修業時代には、「形」の意味の教義は教えられるものではなく、
身体で感じるものなのだということを考えると、
しきたりや流儀を教養として学習しようとするだけではまだ足りないのでしょう。
「形」を身に付けるためには、
その意味を問わないことが最も重要な学習態度なのだということでしょうか?
何故を問う前に、
ただひたすら行うこと。
意味を問うのではなく、
実践すること。
その経緯の中に、何かがあるのだと思いますが‥
いかがでしょう?
思いのほか視聴率が取れているらしい。
在るセミナー会社が主催する冠婚葬祭の流儀を学ぶ講座がある。
1日の講座で4万円もするこのセミナーに申込が殺到しているらしい。
核家族化以降、子供達に日本の生活の中に根付いてきた「しきたり」を、正しく継承する文化がなくなったと指摘されて久しい。
「しきたり」とか「流儀」とは、
「形」の中に意味を持たせた文化だといえるのでしょう。
特に若い人が、規範という「形」を求めている?
但し、教養講座では、「形」の意味を伝えようとしますが、「形」の意味は、実は感じ取ることが大切で、「形」を学習する時期には、意味を語らないのが、また伝承の流儀でもあるのですね。そうそう、守破離です。
言葉で「形」の意味を理解しても、
身につくかどうかは別の問題というわけです。
そして、能狂言、歌舞伎、落語等などの伝統文化は、
その修業時代には、「形」の意味の教義は教えられるものではなく、
身体で感じるものなのだということを考えると、
しきたりや流儀を教養として学習しようとするだけではまだ足りないのでしょう。
「形」を身に付けるためには、
その意味を問わないことが最も重要な学習態度なのだということでしょうか?
何故を問う前に、
ただひたすら行うこと。
意味を問うのではなく、
実践すること。
その経緯の中に、何かがあるのだと思いますが‥
いかがでしょう?
ついこの間までの通勤電車の中は、
新聞を読む人、
雑誌を読む人、
文庫本を読む人、
漫画を読む人、
などが大半だった。
その後、
音楽を聴く人、
ゲームをやる人、
漢字の書取りをやる人、
となり、
今、iphoneなどで、
情報の確認をする人が一気に増えています。
きっと来年あたりは、
ipadで新聞を読む人が大半となり、
電車の中の風景は変わっていることでしょう。
会話をするのは、
外国人旅行者だけ?
ということを、
携帯端末で書いているのも、
何か変かな?
新聞を読む人、
雑誌を読む人、
文庫本を読む人、
漫画を読む人、
などが大半だった。
その後、
音楽を聴く人、
ゲームをやる人、
漢字の書取りをやる人、
となり、
今、iphoneなどで、
情報の確認をする人が一気に増えています。
きっと来年あたりは、
ipadで新聞を読む人が大半となり、
電車の中の風景は変わっていることでしょう。
会話をするのは、
外国人旅行者だけ?
ということを、
携帯端末で書いているのも、
何か変かな?
玄侑宗久禅師の「しあわせる力~禅的幸福論」は、人間の心をこんな風に書いている。
‥心臓の象形文字である「心」を、
「こころ」と訓んだのは、
それがころころ自在に変わるものだという
日本人の認識があったからだと思います。
結んでひらいて‥という童謡の中に、
日本人の良さと最近の心のあり方を記述した本著は、
心を結んでしまった結果、
行き詰ってしまう現代の病理を、
禅の考え方から解きほぐしてくれています。
過去の自分を、こうだったと硬く結んでしまう。
自分の未来を決め付ける。
そういう自分の心を開いて、
心の本質に寄り添って、
気楽に変わっていこうという発想が、
深刻な現状を打破してくれるのだということですね。
‥坐禅とは、
その変わり続ける自分のからだに、
呼吸を通して寄り添うことです。
心がころころ変わるものなら、
これからの自分や自分の周りも、
変わるものなのだという認識は、
とても気持ちを楽にしてくれますね。
今は嫌いな友達も、
どうも気が合わない上司も、
変わることがあるのだと思うこと。
とはいえ、自分の気持ちがトキメク女性の心が、
いつかはきっと「変わり」、
自分の方に向かうことがある‥ことは、
ほとんど稀なことですが‥。はは。
‥心臓の象形文字である「心」を、
「こころ」と訓んだのは、
それがころころ自在に変わるものだという
日本人の認識があったからだと思います。
結んでひらいて‥という童謡の中に、
日本人の良さと最近の心のあり方を記述した本著は、
心を結んでしまった結果、
行き詰ってしまう現代の病理を、
禅の考え方から解きほぐしてくれています。
過去の自分を、こうだったと硬く結んでしまう。
自分の未来を決め付ける。
そういう自分の心を開いて、
心の本質に寄り添って、
気楽に変わっていこうという発想が、
深刻な現状を打破してくれるのだということですね。
‥坐禅とは、
その変わり続ける自分のからだに、
呼吸を通して寄り添うことです。
心がころころ変わるものなら、
これからの自分や自分の周りも、
変わるものなのだという認識は、
とても気持ちを楽にしてくれますね。
今は嫌いな友達も、
どうも気が合わない上司も、
変わることがあるのだと思うこと。
とはいえ、自分の気持ちがトキメク女性の心が、
いつかはきっと「変わり」、
自分の方に向かうことがある‥ことは、
ほとんど稀なことですが‥。はは。