形を失うと心も失うのか? | 考える道具を考える

考える道具を考える

The instrument which I think

NHK教育テレビでの教養番組に、食事の「しきたり」を学ぶ講座がある。
思いのほか視聴率が取れているらしい。

在るセミナー会社が主催する冠婚葬祭の流儀を学ぶ講座がある。
1日の講座で4万円もするこのセミナーに申込が殺到しているらしい。


核家族化以降、子供達に日本の生活の中に根付いてきた「しきたり」を、正しく継承する文化がなくなったと指摘されて久しい。

「しきたり」とか「流儀」とは、
「形」の中に意味を持たせた文化だといえるのでしょう。

特に若い人が、規範という「形」を求めている?


但し、教養講座では、「形」の意味を伝えようとしますが、「形」の意味は、実は感じ取ることが大切で、「形」を学習する時期には、意味を語らないのが、また伝承の流儀でもあるのですね。そうそう、守破離です。


言葉で「形」の意味を理解しても、
身につくかどうかは別の問題というわけです。

そして、能狂言、歌舞伎、落語等などの伝統文化は、
その修業時代には、「形」の意味の教義は教えられるものではなく、
身体で感じるものなのだということを考えると、
しきたりや流儀を教養として学習しようとするだけではまだ足りないのでしょう。

「形」を身に付けるためには、
その意味を問わないことが最も重要な学習態度なのだということでしょうか?

何故を問う前に、
ただひたすら行うこと。
意味を問うのではなく、
実践すること。

その経緯の中に、何かがあるのだと思いますが‥
いかがでしょう?