情報がないことに対する恐怖感は、
地域にメディアがなくなってみると良くわかる。
NHKのテレビ・新聞の未来に関する特集で、
改めて感じたことですが、
どんな小さなメディアであっても、
人々は情報がなくなると社会を構成できない時代に生きていることが良く分かる。
これを情報恐怖症と呼んでもいい。
人間は、生物として自然界で生き抜くためには、
個体としては極めて脆弱である。
どんなレスラーでも熊やライオンには勝てず、
どんなアスリートでもチータには勝てない。
どんなスイマーでもイルカの泳ぎに勝てるはずもなく、
跳躍力では、どんな小さな鳥にも勝てない。
‥そもそも自力で空は飛べない。
人間は自然界の中では、
一人では極めて非力であり、
自然を征服する力はない。
しかし、知能を得て、肉体の脆弱さをカバーし、
集団という力によって、
自然界を征服した、ように思っている。
知と集団を維持するためには、
情報が必要である。
これは生きる本能であろう。
情報は本能から生まれた生存のための一次欲求なのだ。
情報を失うことは即ち、死を意味する。
だから情報恐怖症は、一方で、情報の量に対する欲求を呼ぶ。
情報を大量に保有していることで安心するのだ。情報は神の力。
しかし、情報を大量に持っていても、
それで正しく生きていけるとは限らない。
知と集団と個人との関係性に仕掛けられた罠なのかもしれない。
‥‥地域再生などという、妙な仕事をするようになって、
地方の自然の中にいると、
私は情報から見放される恐怖を感じてしまうのでした。
本日もまた、地方に出かけます‥。