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考える道具を考える

The instrument which I think

30歳代で知り合った日本のトップメーカーに勤務する友人O氏と久々に再会した。

彼は、日本のオーディオ機器の開発コンセプトプランナーとして大活躍し、現在のモバイル型機器の先駆的技術開発を沢山手掛けた。

携帯端末が今のように当り前になるずっと以前の話だ。

音楽を聴きながら自転車に乗ってショッピングを楽しむ。音楽を聴きながら散歩する。通勤電車の中で音楽を聴く‥こんなライフスタイルは、30年前には夢のような話だったのですね。たった30年前です。

それを実現させた。

今、イヤホンを耳に入れ電話をすると、電話の会話が録音できる。自分の声も相手の声も‥。
録音機能付きイヤホン、こんな小さな開発も彼が実現させた。

そのきっかけは、異業種交流で酒を飲んでいてのちょっとした会話の中にアイデアのヒントが隠されていた。自分の娘がアメリカに留学している仲間がいた。彼は、まだ若い父親だったが、国際電話の向こうに聞こえる娘の声を録音したいがうまくいかないと、酔いながらグチっていた。

そのグチが同時録音可能なイヤホン開発のキッカケとなったのですね。

こんな風に、技術開発のキッカケは、街場にあると、そのころから気がついて、今も街場をぶらぶらするのが日課になっている私ですが、再会したO氏にそのことを話すと、彼ははっとした顔つきになり、今抱えている開発課題のヒントを頂きましたと言って、途中で帰ってしまいました。

勿論、私は呆気にとられましたが、何故か、笑いが止まらなかったのです。

団塊の世代のおじさん達は、誰かが火をつければ、まだまだ燃えることができそうだな‥‥、そんなことを思ったからですが‥。

iphoneを持って、1日、歩き回っていると、休む間もなく、このマシンに肩を叩かれているような気になります。

‥‥トントントン!
  ほらっ、急ぎのメールが入ってるよ!

打ち合わせ中だというのに、テーブルの下で携帯端末をオープンする。
何の知らせだと見てみると、明日の夕方からの懇親会の場所の確認メールでした。

その瞬間、大切な打合せの相手は、

‥‥急ぎですか?

と心配顔になる。

‥‥あっ、いいえ、大丈夫です。
  たいしたことではありません。

たいしたことではないのなら、打合せに集中しろ!
と、相手は思っているのだろうな‥‥。

電車に乗っていて、
最近は単なる携帯だけでなく、このスマートフォンと呼ばれるメディアを叩いている人が多くなった。
ブラックベリィ、アイフォーン(カタカナで書くと別のもののようですが‥)。

これは大変便利で、あっという間に広がるでしょう。
でも、この携帯端末は、時間をどんどん縮めることに貢献しそうです。

メールを見なかったなどという言い訳が成立しないほどの世界が広がって、
本当に人間は幸せなのだろうか? と‥ふと思ったのでした。



様々な幻想の中で生きる人々。

その中でも、最も悲しいのは、
私達の経済生活が、かつてのように右肩上がりにはならないという事実を見つめることでしょうか?
常に上昇を続けるという経済幻想を断ち切ること。

これが21世紀の日本の今ある姿なのだということ。

社会制度も個人生活も、
この何十年かは全てのモデルが、
右肩上がりを基礎に作られてきた。

人口も、経済成長も、人々の暮らしも‥。
全ては右肩上がりとなることを‥信じてきた。

しかし、どのようにしても、
既にその幻想を元にしたモデルはないと思うことから、
新たな考え方を発想しないと、
幻想に幻想を上塗りするモデルを憧憬して終わる。

全ての指標が、
右肩下がり、あるいは良くて水平という考え方を元にした
新しいモデルがなければ、
経済も生活も社会も、幸福にはなれない。

車は大量に生産され続けて事業として成立する。
人口は伸び続けていくことで、多くの社会制度が構築される。
食糧も大量に安く海外から入ってくる。

‥‥

しかし、これらの幻想は既に終わった。
人口は減少の一途を辿る。
食糧は減る。
モノは大量に必要なくなる。

だから、少なくて良いものを、
少しずつ‥という価値観が、生活の基礎的考え方に転換できなければ、
言い換えれば、幸福感の価値の転換をしなければ、
私達のモヤモヤした不安感は消え去らないということなのでしょう。

希望がないわけではない。
何が希望かを変えればいいのだから‥。


コンビニの雑誌コーナーで比較的売れているのがテレビ番組専門雑誌。

新聞の最終面にテレビ番組欄が移されてから、新聞の購読者は一気に増加した。

なんと言ってもテレビ時代なのだ。

そして、多チャンネル化したテレビ時代に登場した、ネット、携帯など情報接触の媒体が多様化し、私達のテレビ番組表に対する意識も変化した。

何よりテレビ自身で番組表を見ることができる。
専門雑誌は要らなくなる。検索サイトで番組表を見る必要もなくなる。
さらに、オンデマンドが浸透してくると、決められた時間にテレビの前にいる必要もなくなる。


こうした現象は、
テレビと時間の概念を変化させている。
朝のひと時に、NHKの連続朝ドラを見る必要もなく、
日曜日の夜8時に、大河ドラマを見る必要もなくなる。

国民の全体が、
同じ時間に同じテレビ番組を観ている‥‥
こんなシーンは、ライブでしか味わえないサッカーのワールドカップや
野球の試合などスポーツ番組だけになるのではないでしょうか?

こうして、テレビ番組表の組み立てが、
断然難しくなって、どの番組表を見ても、分りにくくなってしまったのですね。

時間軸を失ったテレビ番組表。
時間軸のない検索形の番組表が主流になるのでしょうね。

でも、だらだらとテレビを見ることが楽しみの私としては、
考えながらテレビを見ることを強いられるのは、
ちょっと苦痛かな?


今年の桜は、
どこか狂気の香りがする。


何か、自分ではどうすることもできない、
凄いパワーが、
今年の桜の葉に宿っているように見える。


確かに美しい。
この一年で僅か一週間しか咲かない、
最も儚い桜。

だから特に日本人は、
この花の下で、
神々に何かを伝えようと、
酒盛りをし、唄い、会話する。

でも、今年の桜には、
こうした人間の業を咎めようとするかのような、
怒りの表情があるように思えてならない。

私達は、何か、とてつもない、
悪いことをしているのかもしれない‥‥