ゴルフのマスターズも終わり、
相変わらず韓国選手の活躍が目立った。
日本の石川遼選手も、
池田勇太選手も、頑張ったが、
優勝争いまでの活躍とはいかなかった。
世界で戦う選手の活躍が
目立つようになったのは大きな進歩ではありますが、
韓国選手の活躍のようにいかないのは、
訓練施設などの環境の違いが
大きいと指摘されて久しいが
いっこうに改善されているとはいえないですね。
またスポーツ指導者育成も、
国全体で頑張っているようにはみえません。
不況の時こそ、
スポーツ文化に力を入れることが、
効果的なのに、、、
4月に入ると、新しい方々との出会いが多い。
新しい仕事の打合せに、若い女性が頑張っている姿も多く見られるようになった。
でも、ミーティングで話をしていて、
何だか不思議な言い回しが気になって仕方がなかった。
昨日の午前には‥‥
20台後半のある女性は、私が話しをすると、
「了解しました! うー了解です! 了解了解!」
この言葉を頻発するのですね。
社内の人間に指示を出した時に、
部下が上司に対して、「了解しました!」
を使うのはいいかもしれない。
でも、他社の人間とのミーティングでは、
「はい、分りました。」でいいでしょう?
それも少しにっこりしていってくれれば話はスムーズに進みます。
消防士とトランシーバーで話をしているのではないのですからね‥。
(でも相手の女性にこういうことを指摘すると、
「了解しました」と来るようで恐ろしくて言えませんでしたが‥)
‥‥
そして昨日の午後には‥‥
別のミーティングで、30歳になったばかりという女性と話をしていると、
「なるほどですね‥うん、うん‥そうですか‥なるほどですね‥」
この言葉が頻発するのですね。
何が「なるほど」なのか?
私 「次回のミーティングの時間合わせをしておきましょうか?」
女性「なるほどですね‥うん、うん‥」
なるほどではなくて、時間だよ!
‥‥
女性が男言葉を使うと、
可愛いと思った時代もありました。
しかし、今の言葉達は、男言葉でも女言葉でもない中間に位置する言葉達のような気もする。
これでいいのか?
本日もミーティングが続く。女性が主役のミーティングも予定されている。
何だか、言葉遣いばかりきになって、本題を忘れそうだ?
「なるほどですね‥‥」
新しい仕事の打合せに、若い女性が頑張っている姿も多く見られるようになった。
でも、ミーティングで話をしていて、
何だか不思議な言い回しが気になって仕方がなかった。
昨日の午前には‥‥
20台後半のある女性は、私が話しをすると、
「了解しました! うー了解です! 了解了解!」
この言葉を頻発するのですね。
社内の人間に指示を出した時に、
部下が上司に対して、「了解しました!」
を使うのはいいかもしれない。
でも、他社の人間とのミーティングでは、
「はい、分りました。」でいいでしょう?
それも少しにっこりしていってくれれば話はスムーズに進みます。
消防士とトランシーバーで話をしているのではないのですからね‥。
(でも相手の女性にこういうことを指摘すると、
「了解しました」と来るようで恐ろしくて言えませんでしたが‥)
‥‥
そして昨日の午後には‥‥
別のミーティングで、30歳になったばかりという女性と話をしていると、
「なるほどですね‥うん、うん‥そうですか‥なるほどですね‥」
この言葉が頻発するのですね。
何が「なるほど」なのか?
私 「次回のミーティングの時間合わせをしておきましょうか?」
女性「なるほどですね‥うん、うん‥」
なるほどではなくて、時間だよ!
‥‥
女性が男言葉を使うと、
可愛いと思った時代もありました。
しかし、今の言葉達は、男言葉でも女言葉でもない中間に位置する言葉達のような気もする。
これでいいのか?
本日もミーティングが続く。女性が主役のミーティングも予定されている。
何だか、言葉遣いばかりきになって、本題を忘れそうだ?
「なるほどですね‥‥」
ネットの利便性が当り前のように日常の中に入ってきて、
改めて思うことは、
「会いに行く」という具体的な行動をしなくても、
つまりは離れた場所にいても、
かなりのコミュニケーションができるようになったこと。
別にテレビ電話を使わなくてもいい。
重いPCを持ち歩かなくてもいい。
携帯電話だけでも、十分にコミュニケーションはとれる。
携帯端末があればなおのこと、
データのやりとりも十分に可能だ。掌の中で‥。
しかし一方で、
この利便性を得ることによって失われようとしていることも、
ないわけではないよね。
人と会うことの緊張感、ワクワク感は、ない。
人の心の動きまでは、ネットでは読めない。
言葉の中に、感じることはできるけれども‥。
そして、相手を分る、理解する、好きになる、愛する
といったリアルな感情が薄れていく‥。
方法と手 段を取り違えることの不幸。
利便性の罠に陥らないようにしたいものですね。
改めて思うことは、
「会いに行く」という具体的な行動をしなくても、
つまりは離れた場所にいても、
かなりのコミュニケーションができるようになったこと。
別にテレビ電話を使わなくてもいい。
重いPCを持ち歩かなくてもいい。
携帯電話だけでも、十分にコミュニケーションはとれる。
携帯端末があればなおのこと、
データのやりとりも十分に可能だ。掌の中で‥。
しかし一方で、
この利便性を得ることによって失われようとしていることも、
ないわけではないよね。
人と会うことの緊張感、ワクワク感は、ない。
人の心の動きまでは、ネットでは読めない。
言葉の中に、感じることはできるけれども‥。
そして、相手を分る、理解する、好きになる、愛する
といったリアルな感情が薄れていく‥。
方法と手 段を取り違えることの不幸。
利便性の罠に陥らないようにしたいものですね。
NHK特集。
ハップル宇宙望遠鏡の特集は興味深いものでしたね。
宇宙の彼方にある小さな光。
137億光年の距離といわれてもピンとこないのですが、
今、私達が見ている星の輝きは、
既に、気が遠くなるほどの昔の光‥‥ということらしいのです。
宇宙の誕生の姿が、
地球という宇宙の中の小さな小さな点のような星の、
人間という奇跡の生物が見つめようとしている。
それだけで、夢のような話。
‥‥
また、他の特集では、
人間が光を捉える範囲の限界について。
プリズム。
世界は、光っている。
人間の眼では捉えられない光が、
この世界には満ち溢れているというもの。
人もまた、
体温、人との接触などで、
目には見えないけれど、
多くの光を発しているらしい。
本当は、光輝く天体 の中で、
さらに多くの光を発している人間。
みんな、輝いているんだよ!
目では捉えきれない光を、
心の宇宙の中に見つめようではありませんか?
ハップル宇宙望遠鏡の特集は興味深いものでしたね。
宇宙の彼方にある小さな光。
137億光年の距離といわれてもピンとこないのですが、
今、私達が見ている星の輝きは、
既に、気が遠くなるほどの昔の光‥‥ということらしいのです。
宇宙の誕生の姿が、
地球という宇宙の中の小さな小さな点のような星の、
人間という奇跡の生物が見つめようとしている。
それだけで、夢のような話。
‥‥
また、他の特集では、
人間が光を捉える範囲の限界について。
プリズム。
世界は、光っている。
人間の眼では捉えられない光が、
この世界には満ち溢れているというもの。
人もまた、
体温、人との接触などで、
目には見えないけれど、
多くの光を発しているらしい。
本当は、光輝く天体 の中で、
さらに多くの光を発している人間。
みんな、輝いているんだよ!
目では捉えきれない光を、
心の宇宙の中に見つめようではありませんか?
いきなり結論ですが‥‥
結局、人は自分が伝えたと思っていることの10%も相手に伝わっていないというコミュニケーションの仕組みを十分理解することが大切だということですね。
話すというコミュニケーションの方法は、
言葉を使っている以上、言葉の意味の解釈は人それぞれだから、
私が「何が重要だ」と言っても、「重要」という意味の解釈は千差万別で、
重要性の意味は正確には伝わらないことになります。
私の師匠であった前田滋先生は、
私に対して、同じことを何度も何度も話してきたことを思い出しました。
私はその都度、
「自分はそんなに物覚えが悪いわけではないのに、
何故、繰り返し同じことを言うのだろうか?」と、
不思議に思った記憶があります。
その情報発信の行為は、
即ち、人はどんなに詳しく、具体的に、反芻して伝えたと思っていても、
その10%しか伝わらないという原理を理解してのことだったと、
今は思えます。
話すコミュニケーションでは不安だから、
人は「書く」ことで確認をしようとします。
討議アジェンダ、議事録、確認書‥。
しかし、書かれた言葉だけでも確認は100%とはいきませんね。
人は「書く」ことで、書いた直後から、そのことを忘れるものだからです。
言ったつもりも、聞いたつもりも、
みんな「つもり」が「つもり積もって」、それぞれが何処か別のところに向かって走っていることがしばしばあります。
絶対的意味の共有。
そのコツは、どんな方法で実現できるのでしょうか?
どなたか、教えていただけませんか?
結局、人は自分が伝えたと思っていることの10%も相手に伝わっていないというコミュニケーションの仕組みを十分理解することが大切だということですね。
話すというコミュニケーションの方法は、
言葉を使っている以上、言葉の意味の解釈は人それぞれだから、
私が「何が重要だ」と言っても、「重要」という意味の解釈は千差万別で、
重要性の意味は正確には伝わらないことになります。
私の師匠であった前田滋先生は、
私に対して、同じことを何度も何度も話してきたことを思い出しました。
私はその都度、
「自分はそんなに物覚えが悪いわけではないのに、
何故、繰り返し同じことを言うのだろうか?」と、
不思議に思った記憶があります。
その情報発信の行為は、
即ち、人はどんなに詳しく、具体的に、反芻して伝えたと思っていても、
その10%しか伝わらないという原理を理解してのことだったと、
今は思えます。
話すコミュニケーションでは不安だから、
人は「書く」ことで確認をしようとします。
討議アジェンダ、議事録、確認書‥。
しかし、書かれた言葉だけでも確認は100%とはいきませんね。
人は「書く」ことで、書いた直後から、そのことを忘れるものだからです。
言ったつもりも、聞いたつもりも、
みんな「つもり」が「つもり積もって」、それぞれが何処か別のところに向かって走っていることがしばしばあります。
絶対的意味の共有。
そのコツは、どんな方法で実現できるのでしょうか?
どなたか、教えていただけませんか?