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考える道具を考える

The instrument which I think

女性建築家 工藤和美さん。

小学校の再生。
建築デザインの世界で、
教育の現場を再生。

教室の壁を取り払い、
教室のレイアウトも学習内容によって自由自在に変更できる。
図書室には畳部屋のようなリラックスした空間が書架の下にあり、
子供達が自由な格好で本を読む。

‥‥

私は小学校時代に何度か転向を経験した。
その中で記憶に残る学校があった。

その学校は、建築家が意図して創った学校ではなく、
子供達の人数が急激に増加したため、
建築が間に合わなくて、仕方なく、
広い体育館のような空間を、
粗末な仕切りで区切っただけの簡易な学校だった。

その後、日本は高度成長の波にもまれ、
学校は一律、規格化されて、全国どこでも、
同じ姿になったが‥。

その時の体験は、結果的に壁を作れなかった事情のために生まれた結果的なものだったが、
体育館の中では、学年を通り越して、
それぞれの学級はオープンな教室の状態で授業をした。

教師の声は響き渡り、子供達の歓声が、
体育館という全学校内に響きわたった。

そういう経験は、自分の思考の癖をつくったようでもある。
学習するのに壁はなく、学習するとは、情報を交流することという体験だったかもしれない。

 ‥小さく区切ってこもるのではなく、
  大きな空間の中で自由に情報交流する学習空間。

こうした体験を持っていた私は、
工藤さんの建築家としての学校再生の仕事に共感する。
時代の変化の波にともなった
極めて自然な設計思想でもあり、
学習するとは、畢竟、コミュニケーションなのだという考え方に頷くからである。


本来、学習は楽しいものなのだ。
学校は、楽しい場所なのだから。

ミーティングを開いていて、
メモの取り方があまりにもお粗末なので、
本題を外れて、
「正しい」メモの取り方について議論をしてしまうことが良くあります。

やはり大切なことは、
人間は忘れる生き物だということ。

そのためにメモをとるということなのだと思うと、
マインドマップ式メモ術が、いかに優れているか実感します。

多くの人は、
ノートか白い紙か、レポート用紙か、
場合によってはPCにじかにメモしますね。

ミーティングをしていて、
PCにバチバチ打ち込まれるのは、
どうも対話のリズムが狂ってしまうようで、
私は好きではありませんが、

メモの方法で一番効果的なのは、
何が書かれているかということよりも、
絵画的というか、映像的というか、
言葉による画像イメージが残るようにメモすることが、
どうも効果的だと実感するのですね。

一時間のミーティングで交換される情報は、
かなり多い。

私の場合は、
大事なポイント、忘れてならないポイント、
事務的なポイント、相手の感情、表情、
思いついたアイデア‥などを、
描いていきます。

言葉の内容よりも印象を重視したメモ術!
これ、結構後で役に立ちます。


帰路、
いつも車窓から流れる風景は、
漆黒の闇の中。

この列車は、
つげ善春のねじ式のように、
突然、見知らぬ街の一軒の家の庭に到着してしまうのだろうか?

予定より随分と遅れている。

何処に向かっている?


iPhoneからの投稿
龍馬伝の視聴率が20%前後で思いの外伸びないですね。

龍馬の生き方が現代の社会の中でもてはやされる中、これは不思議な現象といえそうです。

その理由の一つに、映像の斬新さがあるかもしれません。
リアリティと、回転する視線。

確かにかつての東映時代劇や現代の水戸黄門のような煌びやかな衣装はなく、あくまでも埃っぽいコスチュームのリアリティ。それに、回転するカメラアングルは、人間の視線を再現しているのでしょうが、過剰に活用することで、落ち着かない不安を煽っているようです。

真上から見下ろしたり、真下から煽ったり、竜馬を取り囲む視線をぐるぐる回ったり。

おそらく斬新なのでしょうが、やっぱり、大衆的な視線からは遠い実験のようでもあります。

マット・デイモンのボーンシリーズで多様された手法でもありますが、カットの切れ目がなくどんどん進んでいく映像は、活劇としては効果的かもしれませんね。三谷幸喜さんのカメラも、連続映像の世界でシーンが繋がれていく。これも斬新なものではありました。

しかし、一年間の作品で、どうもこのままでは、安心してみていることができないような気もします。

幕末の時代感はこんな不安感と同居しているのも事実なのでしょうね。
現代を映像で描こうとしたら、やはりこういうカメラの視線なのかもしれません。

だからでしょうか?
静止画とヒーリング音楽の組み合わせの映像が、
ことさら心を癒してくれるように思えます。

神社仏閣の、静止した世界、音のない世界にいると、
心が落ち着くのも分る気がします。

龍馬の時代は激変の時代。
とはいえ、一回の放映の中にも、
じっと静止する時間を創ってくれてもいいのかもしれませんね。



どんなにスマートフォンが話題になろうとも、
ビジネスの世界で初対面の時にかわす最初の交換が
「名刺」であるのは不思議だ、とふと思う。

初めまして!
私、どこどこの何々というものでございます‥。

と言いながら、名刺を渡し、
相手の名刺をもらう。

基本的に自分の習慣では、
相手の名前を知って、その場で記憶するために、
珍しいお名前ですね!
とか、有名人の誰それと同じ画数ですね、
とか、シンプルで分りやすいお名前ですね、
とか言って、最初の話題づくりをしたりなんかします。

でも、今の時代‥‥
名刺に書かれていることが、
昔と何ら変わらないことが不思議ではありませんか?

〇〇株式会社 事業開発部 部長
とか、これは社内の名称、役職、身分ですね。
相手に自己紹介するのに、
どんな会社の誰、というより、
私はどんな人です、なんて書いてある名刺のほうが役に立つ。

大体、名刺をもらってから、
自分で管理するときは、
日付、初対面の場所、紹介者の名前、顔の特徴や喋り方の特徴などをすばやく名刺に書き込む。

だったら最初から、
名刺に書いておけばいいのでは‥。

などと思うのですね。
そして、メールアドレスまで書くのは常識になったとして、
ブログ、twitter、SNS、なんでもいいが、
自分が自分を知ってもらうための情報ソースを掲載しておくのも楽しいかも‥。

あぁ、名刺。
されど名刺ですね。