夢のような話ですが、
ホーキング博士が警告していますね。
地球以外の星に移住できるよう計画しなければならない‥と。
博士には何かが見えているのか?
地球崩壊の時間軸が急回転し始めているのか?
異常気象が全世界的に進行しているのは間違いない。
真夏の太陽が、こんなに「刺すように」痛く感じるのも異常なのでしょう。
人間の欲望が、
自分の棲家を破壊していく。
自然との共生ではなく、
生かされている自分を感じることのほうが大切。
今日も感謝の1日です。
カンブリア宮殿にゲストとして登場したサトーの取締役経営顧問藤田氏。
Twitterよりはるか以前から「つぶやき経営」を実践して、
バーコードでは世界一になった企業のトップとしてインタビューに応えていましたね。
PC上で三行は、127文字だとか。
この従業員の毎日のつぶやきの蓄積が、
巨大な利益を生み出す商品やサービスの開発に繋がっていくわけですね。
勿論、龍さんが指摘しているように、
この方法論には、
最初から利益を目的とした仕掛けはない。
声の集積の中から、
様々に変革していくアイデアが、
ユニークで追随を許さない商品に仕上がっていくといえばいいのでしょうか?
イノベーション、革新などと大袈裟なことを言っても、
人は何もできない。小さな日常の積み重ねの中にしか、
それはない。
藤田氏の言葉でした。
大いに刺激を頂きました。
Twitterよりはるか以前から「つぶやき経営」を実践して、
バーコードでは世界一になった企業のトップとしてインタビューに応えていましたね。
PC上で三行は、127文字だとか。
この従業員の毎日のつぶやきの蓄積が、
巨大な利益を生み出す商品やサービスの開発に繋がっていくわけですね。
勿論、龍さんが指摘しているように、
この方法論には、
最初から利益を目的とした仕掛けはない。
声の集積の中から、
様々に変革していくアイデアが、
ユニークで追随を許さない商品に仕上がっていくといえばいいのでしょうか?
イノベーション、革新などと大袈裟なことを言っても、
人は何もできない。小さな日常の積み重ねの中にしか、
それはない。
藤田氏の言葉でした。
大いに刺激を頂きました。
吉行淳之介さんの華麗な小説に「驟雨」がある。
日常の人間の心の中にわだかまる退廃的な雰囲気漂う作品で、私がまだ10代の頃読んで深く感銘したことを憶えている。
驟雨。
美しい日本語です。
吉行さんは、
人間の心が 壊れていくシーンを照射して、
植木の葉が、ばらばらと落ちていく幻想映像を描写し
驟雨に例えたのでしたね。
本日、ようやく恵みの雨。
怒り狂ったような太陽を見ていて、
昨日は三島由紀夫さんの「太陽」を想起していましたが、
本日は吉行さんの「雨」に、心を落ちつかせています。
日本の四季を、
失いたくないですね。
日常の人間の心の中にわだかまる退廃的な雰囲気漂う作品で、私がまだ10代の頃読んで深く感銘したことを憶えている。
驟雨。
美しい日本語です。
吉行さんは、
人間の心が 壊れていくシーンを照射して、
植木の葉が、ばらばらと落ちていく幻想映像を描写し
驟雨に例えたのでしたね。
本日、ようやく恵みの雨。
怒り狂ったような太陽を見ていて、
昨日は三島由紀夫さんの「太陽」を想起していましたが、
本日は吉行さんの「雨」に、心を落ちつかせています。
日本の四季を、
失いたくないですね。
落語家 立川談志さんは、落語家の修業とは何か?
という問いに答えて、
家元、師匠の理不尽さに耐えること
と言い放ちました。
日本的師弟関係は、内田樹さんの日本辺境論にも看破されていますが、
師弟とある以上は、師に対する問いは「ないもの」である筈です。
万が一、師の教えが矛盾したものであっても、
間違っても「それはちとオカシクありません?」
などといってはいけない。
その矛盾の意味を研究するのが、
弟子としての最低の心得なのだということです。
この理屈は、痛快。
むしろ師の矛盾や理不尽 に出会うことなく、
手取り足取りの教えを受けた場合は、
弟子の創造性は磨かれまい、と思うからです。
但し、その理不尽さは、
落語の本筋だけに留まらず、
日常生活全般にいきわたるので、半端ではないはず。
修業とは、そもそもそういうものなのですね。
但し、師は、全幅の信頼と、心からの愛情をもって
弟子に接することが前提ですが‥。
という問いに答えて、
家元、師匠の理不尽さに耐えること
と言い放ちました。
日本的師弟関係は、内田樹さんの日本辺境論にも看破されていますが、
師弟とある以上は、師に対する問いは「ないもの」である筈です。
万が一、師の教えが矛盾したものであっても、
間違っても「それはちとオカシクありません?」
などといってはいけない。
その矛盾の意味を研究するのが、
弟子としての最低の心得なのだということです。
この理屈は、痛快。
むしろ師の矛盾や理不尽 に出会うことなく、
手取り足取りの教えを受けた場合は、
弟子の創造性は磨かれまい、と思うからです。
但し、その理不尽さは、
落語の本筋だけに留まらず、
日常生活全般にいきわたるので、半端ではないはず。
修業とは、そもそもそういうものなのですね。
但し、師は、全幅の信頼と、心からの愛情をもって
弟子に接することが前提ですが‥。
内田樹先生の言葉。
マンガと日本語の関係性について。
‥‥マンガを読むためには『絵』を表意記号として処理し、
『ふきだし』を表音記号として処理する並列処理が必要」。
日本語を使う日本人脳には、
この二つの並列処理が可能な機能が備わっている。
マンガを見ながら、
ふきだしの部分を声を出して読んでいた子供時代。
そんなエピソードも内田先生の著述にはある。
鉄人28号の「ガォー」という雄叫びは、
自分の中の音として再現されていた。
子供達一人ひとりの想像性の中での、
実に痛快な体験だったのでしょう。
マンガが紙の世界から離れて、
アニメに展開された時、
誰もが、その音の固定性について疑問を投げ掛けたのも、
良く理解できる。
明日のジョーが、声を出して話すのは、
自分の中では許されないことだったのだ。
しかし、その声がまた次の想像性を誘発したのも事実。
外国の番組の吹き替えがあるのも日本独特のものだというが、
本人の声より、吹き替えの声に馴染んだ私達は、
本人の実の声を聞いてがっかりした経験すら持っている。
時は、電子出版への期待高まる今日、
想像性と創造性。
一冊の書物が創発する人間への刺激は、
電子出版になった時、
またどんな風に変わるのだろうか?
日本語ならではの、
素敵な体験が待っていると期待していいでしょうね!
自信を持って、今日も1日!
マンガと日本語の関係性について。
‥‥マンガを読むためには『絵』を表意記号として処理し、
『ふきだし』を表音記号として処理する並列処理が必要」。
日本語を使う日本人脳には、
この二つの並列処理が可能な機能が備わっている。
マンガを見ながら、
ふきだしの部分を声を出して読んでいた子供時代。
そんなエピソードも内田先生の著述にはある。
鉄人28号の「ガォー」という雄叫びは、
自分の中の音として再現されていた。
子供達一人ひとりの想像性の中での、
実に痛快な体験だったのでしょう。
マンガが紙の世界から離れて、
アニメに展開された時、
誰もが、その音の固定性について疑問を投げ掛けたのも、
良く理解できる。
明日のジョーが、声を出して話すのは、
自分の中では許されないことだったのだ。
しかし、その声がまた次の想像性を誘発したのも事実。
外国の番組の吹き替えがあるのも日本独特のものだというが、
本人の声より、吹き替えの声に馴染んだ私達は、
本人の実の声を聞いてがっかりした経験すら持っている。
時は、電子出版への期待高まる今日、
想像性と創造性。
一冊の書物が創発する人間への刺激は、
電子出版になった時、
またどんな風に変わるのだろうか?
日本語ならではの、
素敵な体験が待っていると期待していいでしょうね!
自信を持って、今日も1日!