落語家 立川談志さんは、落語家の修業とは何か?
という問いに答えて、
家元、師匠の理不尽さに耐えること
と言い放ちました。
日本的師弟関係は、内田樹さんの日本辺境論にも看破されていますが、
師弟とある以上は、師に対する問いは「ないもの」である筈です。
万が一、師の教えが矛盾したものであっても、
間違っても「それはちとオカシクありません?」
などといってはいけない。
その矛盾の意味を研究するのが、
弟子としての最低の心得なのだということです。
この理屈は、痛快。
むしろ師の矛盾や理不尽に出会うことなく、
手取り足取りの教えを受けた場合は、
弟子の創造性は磨かれまい、と思うからです。
但し、その理不尽さは、
落語の本筋だけに留まらず、
日常生活全般にいきわたるので、半端ではないはず。
修業とは、そもそもそういうものなのですね。
但し、師は、全幅の信頼と、心からの愛情をもって
弟子に接することが前提ですが‥。