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考える道具を考える

The instrument which I think

優勝して、
天皇賜杯を受け取れなかったことに、
これほど悔しい思いを隠さなかった横綱がいただろうか?
(もちろん、かつて天皇賜杯が授与されなかったことはないのだが)

横綱 白鵬。

地方巡業での出来事。
不祥事で謹慎していた力士に、
三番げいこをつけたことがテレビで放映されていた。

まさに、愛のムチ。


日本人が忘れている
最も大切な心を、
横綱は見事に表現してくれている。

勝負に強く、自分に厳しく。
そして仲間に優しい。

本当の愛は、
厳しさの中にある‥‥。

かつての長嶋さんの1000本ノックにあったドラマ。
人を育てることの厳しさ、優しさを、
日本人が日本の心を
大陸から来た横綱に学んでいる。



バーチャルなステージが、
これだけ気軽に展開されるようになると、
それぞれのメディアの特性を、
書く側が性格づけして対応する必要がでてくるように思えます。

Twitterやアメブロなうなどのつぶやきが
圧倒的な勢いでネットを変えていく。

それまでの「アウトプット」の世界が、
140文字以内という制限付きという特典?で、
一つの世界が用意されると、今度は、
ブログという存在の性格もまた変わるように思える。

文字数に制限もなく、写真も動画も豊富に取り込むことができるブログ。

「つぶやき」が、人間の言葉に対する衝動から生まれるとしたら、
「ブログ」は、人間の言葉による思考を反映する、
とでもいえるでしょうか?

まぁ、いずれにしても、
日本人がこんなに「表現すること」に熱心な民族であったと発見できたことは、
大変素晴らしいことでもありますね‥。


出版物を制作する場合、
各部門の専門家が集まって、
一つの作品が出来上がる。

プロデューサー、ディレクターがいて、
筆者、作家さんがいて、
エディター、ライターがいて、
校正担当、法務的要素の検証者がいて、

デザイナー、イラストレーターがいて、
ページデザイン担当者がいて、

そして印刷の工程に入れば、
印刷の専門家がいて‥‥

出版社であれば、PR広告担当の専門家がいて、
配送流通の専門家がいて‥

映画づくりもそうですが、
一つの作品ができるまでは
これだけの専門家が集団になって創造活動をしていくわけですね。

これらの専門家集団の総合力で、
一冊の出版物ができあがるわけですが、
現代の情報発信の形態を見ていくと、
これらの専門家ではなく、
比較的文章を書くのが好きであれば、
作品が出来上がるという現象も沢山出てきています。

特に電子出版の世界が普及すると、
それぞれの専門家が集団になって、
土台から作っていくのではなく、
ある着想をもった主体がいれば、
様々なメディアに発信していくことができるようになる。

こういう現象を、
歓迎すべきことと捉える人は多く、
それが、専門性の壁を破っていくことになるのでしょう。

しかし、私も会社を経営してして、
自社のロゴマークを作った経緯で考えてみると、
専門家か素人かの違いは、

 ‥その作品が10年たっても
  新鮮であり続けるかどうか

で価値が決まってくると実感しています。

私達の会社のロゴは、作成したときは、
かなり大きな予算をとって作成してもらったのですが、
20年近くたった今も、新鮮さが崩れない。

プロとアマの差。
それがどこにあるのかは分かりませんが、
長持ちするものこそ、本物という考え方は、
今も変わっていませんね。



TwitterもAmebaなうも、
つぶやきのオンパレードではありますね。

また電子ブック、あるいはeブックと、
いろいろな呼び方はあるものの、
ipadの登場で、紙の本がなくなるとかなんとか‥

電子の力が強大化すれば、
様々なメディアは変質しますね。
当然です。

しかし、情報というものは、
その根本に「編集力」が介在するものであり、
編集する力のない情報はフロー情報として流れていくだけでしょう。

編集は、
松岡正剛先生の指摘を待つまでもなく、
事象の分析、
様々な事象の関係性の解明のツール、
ということになります。

最後に大切なのは、
コンテンツとしてまとめられた
情報の質に、電子ブックは依存することになるわけです。

結局、有名な作家の出版物を、
電子化しただけの電子ブックでは、
それほど大騒ぎするほどのインパクトはありませんね。

また、書店の書架に勢ぞろいしている何万点もの書籍の森に入って遊ぶように、
全ての書籍が一堂に会する電子図書館はありませんから、
電子ブックとの出会いは、
目的的に書籍を検索するという行為によって成立する世界になるわけですね。

書籍との出会いの遊びがない本探しは、
スパイスの効かないカレーを食べるようなものでしょう。

とはいえ、私は、
電子ブックでも本は読むようになると思っています。


日本人の大好きな思考性は、
「回帰」だという。

日本人というアイデンティは、
「何もないという」ところに帰属していて、
常に、何もないということに「回帰」することで、
アイデンティティを確認することができるという。

この逆説的な指摘は、内田樹先生の指摘ですが、
このところのさまざまな事象を説明するのに、
わかり易い。

一国の首相が、
一年ごとに変わる。
これは、他の国では、ほとんど考えられない事象だが、
日本人には、そんなに違和感はない。

そもそも、首相といえども、
誰か海の向こうで決定される日本の政策を受け取るための代表なのだから、
ある意味誰でもいいのだという思いがあるからだ。

また、事業が不振に陥ると、
どの企業も原点回帰に走る。
そもそもこの会社は何を目指していたのか?

そして、この原点回帰の呼びかけは、
しばしばその企業の業績回復に役立っている。
そこが不思議だ。


いつも変えるところは、
何もない場所であったと確認する場所なのに、
不思議だ。