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考える道具を考える

The instrument which I think

朝がいい。
いろいろな人が言う。

丸の内朝大学なるものもある。
朝は脳に水分がたっぷり充足されていて、
脳の働きもいいとか。

体もまた、
水分たっぷり感に溢れていますね。

私は、
午前という時間が好きですね。

仕事でいえば、
9時から12時までの3時間。
私は、比較的年をとっているので、
朝は、6時から9時までの3時間が最も充実しています。
1日に予定している仕事の大半は、
この朝の3時間で済んでしまう。

そして午後は、
思いっきり遊ぶ。
仕事のことで遊ぶとは、
情報のインプットの時間。

人に会う。人からの情報。
街を歩く。街からの情報。
本を読む。メディアからの情報。
ネットを回遊する。これも新しいメディアの活用法か?

いずれにしても、
午後は、情報のインプットの時間。
そして夜寝るときは、
これらの雑多な情報を、
脳が勝手に整理してくれると信じて熟睡。

そしてそして、また、朝だ。

今日も、まもなく午後の時間。
遊ぶんだ!


そうなんですね。
私はスモーカーなんです。

今まで、禁煙をしようとしたことは一度もなく、
若い頃は、パイプ、キセル、葉巻と、
大人っぽい喫煙の姿に憧憬して、
周囲に「煙たがれて」いたのです。

そして、コンビニに蔓延している
電子タバコを横目で見て過ごしてきたが、
ついに我慢ができず、購入。

さっそく、電子的な白い煙を吐き出してみたわけです。

しかし、それにしても、
タバコの煙が白いと思っているのは、
開発者の大いなる勘違いですね。

タバコの煙は、昔から、
紫なのです。

紫煙‥という言葉あるように、
そこには、妖しさ、優雅さ、毅然とした魂の姿、
あるいは、悔恨、怨念、反骨などの
心の軋みを感じさせてくれる道具なのです。

タバコの魅力は、それが、毒だからです。
わかってくださいな!




長崎編に展開してからは、
あんまり台詞に登場してこなくなった

  どういたら、ええがじゃ!

という叫び。

龍馬伝、第一部にしきりに登場してきたこの台詞が、
頭の中に反復して浮かんでくる。

いろいろなブログには、
今年の流行語大賞にノミネートされるのではないかと、
そんな予測をする人も多い、この叫び。

確かに時代を表している言葉ですね。

問題山積み。適切な対処策も見当たらない。
どうしたらいいんだ! と叫びたくなる日々。

‥‥

しかし、糸井重里さんと池谷裕二さんの対談「海馬」を読んでいると、こういう問いに対しては、ある程度人間の経験を積んでくると対処策も見えてくるという。

  こんな時、こうする。

これが人間の経験、知恵なのだという。

しかし、その対処策が全て万全であることは少ない。
かつては、それでうまく行ったからといって、
今の問題をその方法で解決できるかどうか、
そんな保証はない。

結局、いつも、

  どういたら、ええがじゃ!

は続く。

夏バテしないように、ともかく頑張りましょう!

ノンバーバルなコミュニケーションの領域が、
対人関係の共感性を高める。

言葉より、感じること。

言葉より、多くの真実を物語るのが、
言葉以外の表現力だというのも分る。

正面を向いて、
真剣に相手の話を聞こうとする態度。
頷きながら、相手の言葉に共感する姿勢。
笑顔。

そういう人間の所作は、
相手との共感性を高める。

しかし、最後は、
こういう態度の理由を述べた時の、
「言葉」にあることも事実。

あんな態度をとったのは、
少し哀しかったからです。

ノンバーバルには、
それ自体に理由情報はない。
いや、あっても伝わらない。

結局最後は、
言葉なんだと思うのです。

作家 三島由起夫さんの作品に、文字通り「音楽」と云う小説がある。ヒロインと分析医との心理の駆け引きが縦軸となって展開される小品だ。

言葉の音楽性と言えば、
言葉のリズム、テンポ、強弱などを連想するのが普通だが、私の場合は、言葉の中にある音楽性と言えば、三島由起夫さんを連想してしまう。

結局、言葉にはそれ自体の音楽性があるのであって、言葉で音楽性を感じるのではないと云うことなのだろう。
三島由起夫さんの作品は、言葉が人工的と指摘される場合があるが、それは言葉の連続性の中に音楽があるからだと思っている。

言葉を読んでいて、音楽を聞くような感動を受ける作品が、優れた文学になると言えるのかもしれない。

言葉は書くのではなく、湧き出て来るもの。音楽のように。





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