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考える道具を考える

The instrument which I think

実に久々に、
新聞勧誘員が尋ねてきた。

ドアホンを何度も鳴らす!

喧しいので、ドアを開ける?

小柄、痩せ型、色黒。
見るからに堅気の世界に生きる人間ではない風情。

いきなり言う。

 ‥引越ししてきたばかりなの?

 ‥はぁ?

 ‥初めてだね。

 ‥えぇ。何か?

いきなり、手ぬぐいを二本、強引に手に渡される。

 ‥まぁ、いいから。

何がいいのか。続いて、ジャイアンツの色物の大判のタオル。

 ‥どうぞ。

 ‥どうぞって、いいですよ。
  何か用ですか? 新聞ならいらないですよ!

 ‥そう。何かとってんの?

 ‥何を?

 ‥新聞。

 ‥いぇ、別に。ネットで十分ですから。

 ‥そぅ。まぁいいけど。
  ここにハンコ押してよ!

 ‥何言ってんの?
  いらないってば!

こういう一方的な会話が続いた。

実に久々の、新聞勧誘員のおじさんだった。
こんな風に、まだ、新聞の勧誘の仕事が成り立っているんだ?

社会の木鐸としてのプライドだけで成立している新聞。
しかし、その販売方法は、旧態依然。

この落差は、何なんでしょうね?

時間が、一気に昭和年代に戻されてしまった錯覚に襲われたのでした。

‥‥もう、紙の新聞の時代は、終わったのかもしれない。


未来に希望が持てない時代。
漆黒の闇のの中に、
少しでも光を見出したいと望む人が多い時代。

そんな時は、ニーチェの箴言が人気を呼ぶ。

しかし、ニーチェの警句は、
人々を本当に癒すことができるのだろうか?

例えば、
「人間は深淵に架けられた一本の綱である。
 渡るも危険、途上にあるも危険、後ろを振り返るも危険、身震いして立ち止まるのも危険。」

ツァラトゥストラはかく語っているのですが、
こんな言葉の中に安心があるとは思えないのですね。

警句の塊は、
人間の意識に働き掛けて、
確かに多くの刺激を与えてくれる。

箴言の元祖、ラ・ロシュフーコーも言う。
 「われわれはみんな、他人の不幸を平気で見ていられるほど強い」

これらは、全て
言葉に含まれた暗喩であるわけです。

どのように解釈するかは、
個人にまかされる。
どのように解釈しようと勝手なのだから、
箴言の普遍性はない、と、
そう考えながら読むのがいい。

知的な装いに、
私達は、騙されたいのかもしれない。
過酷な現実に対する漠然とした不安を感じる時代だから。

しかし、本気になって、
深淵をのぞいてはいけませんよ!




高校生の頭脳甲子園。
日本TVの全国高校生クイズ選手権は楽しい番組だった。

クイズというには、
出題があまりにも専門的過ぎる。
東大生がクイズに挑戦して、
回答率が1%未満の問題ばかりを集めているのだから、
それはよほどの訓練がなければ解けない「クイズ」ばかりだ。

番組に登場した高校生の凄さに驚きながら、
ふとしたコメントに興味を持った。

それは、
多岐にわたる問題の中でも、
何でこんなこと知っているの?
という疑問に、こんな風に答えていたシーンだ。

 ‥面白そうなTV番組を観ていたとき、
  その回答があったのを思い出したんです。

フランス語で鼻を意味する「ネ」という言葉のことだったかもしれない。

ここで興味深かったのは、
こういう何気ない日常の中にある知識を、
どうして記憶の中に留めておくことができるのかということだった。

これはやはり、
問題意識の差なのでしょう。

常日頃から、
周辺にある情報に対する問題意識が、
高校生の記憶の中に落ちていく。

数学の公式を覚えるのが、
極めて論理的構造であるならば、
こういう日常の中の知識を憶えるのは、
情緒的問題意識に端を発しているといえるかもしれませんね。

何気ない日常の、
それも周囲でおきることへの
「疑問の投げ掛け」。
それを繰り返していると、
そのこと自体、記憶のどこかに落ちている。

ある刺激を受けた時、
つまりクイズを投げ掛けられたとき、
脳のワークスペースに運ばれてくるのでしょう。

何故?
こういう問いかけを繰り返すことが、
問題意識の醸成ということなのでしょう。

自分の原点に刺激を頂いた番組でした。
(それにしても、今の高校生の知識力は凄かった!)


事業は利益を確保することが肝心。

しかし、もっと大切なのは、
何のために事業をしようとするのか?
その自分の夢、そしてビジョンの確実性。

地域に貢献するための事業、
人々を豊かにするための事業、
健康を支援するための事業、
心の成長を支える事業、
新しい食材を提供する事業、
‥‥

何でもいいが、
そこには、夢があり、ビジョンがある。

長く事業を続けていると、
この初志を忘れがちになる。
理想の事業が全て順調に進むかといえば、
そんなに甘くはない。

そんな時、
利益に速効性のある事業が
目の前に登場すると、
そちらに事業の柱を移したほうがいいのではないかと、
どうしてもおもいがちになる。

夢を実現するには、
まず利益。
だからでもある。

しかし、そうした決断の時に、
最も大切なのは、
自尊の心だろう。

儲かるからといって、
事業のビジョンまで変えることはできない。
それが事業家の信念だからだ。
それが事業の魅力なのだから。

事業化の自尊。
それが失われるなら、
事業を続ける意味はない。


ビジットジャパン。
日本に海外からの観光客を誘致しよう。
そういう戦略が国を挙げて展開されている。

観光地の再生のお手伝いをする私は、
その戦術として、
言葉をどのように活用するか検討している。

簡単に言えば、
最低四ヶ国語での表示を多用し、
移動や施設への動線の案内に言葉の利便性を出そうというもの。

日本語、英語、韓国語、中国語。
これが一番ポピュラーなセット。

でも日本各地にある世界遺産や、
歴史ある神社仏閣に、
世界各国の言葉が氾濫するのは、
如何なものか?
という意見も渦巻いている。

欧州の世界的な観光地に行って、
日本語で表示されているものはほとんどない。
当り前か‥。

その地域に関心を持ち、
その地域の観光を楽しみたい場合は、
そのままの形で、歴史や伝統を体感する。
これが、観光の基本的な姿勢。

必要以上に言葉の利便性を強調して、
景観を壊す必要はない。
あるがままの日本を体験していただく姿勢で問題はない、
と思う。

利便性は、人が歩く場面での、
言葉のサービスか?
トイレの場所、施設までの道案内、
公共交通の表示などは多言語対応があったほうがいいでしょう。

日本的おもてなし。
これは海外の一流ホテルにはない、
日本独特の世界があることを、
自信をもって伝える意識が大切なのでは?

ようこそ! 日本へ!