今年7月から上映されている映画「クライマーズ・ハイ」(原田眞人監督・東映配給)を観た。
クライマーズ・ハイとは、登山時に興奮が極限まで達し、恐怖感が麻痺する状態を指す言葉だそうだ。登山の途中で、「ハイ」の状態が解けてしまうと、そこから一歩も動けなくなるそうです。
本作品は作家横山秀夫さんの原作。群馬県の上毛新聞社(映画では北関東新聞社)を舞台に、日航ジャンボ機墜落事故を題材にしたドキュメンタリータッチの作品だ。登場人物の名前が実名で出てくるところは、リアリティを飛び越えて現実そのもののつくりということか?
この映画の興味はどこか?‥‥
何よりも横山秀夫さん自身が上毛新聞記者であったこと、その記者時代に遭遇した日本航空123便墜落事故を題材としているのが原作の迫力のあるところ。新聞記者の特ダネに対する反応の描き方はリアルだ。東京の大手新聞社との抜きつ抜かれつの激しい情報戦。そして、記者としての最終的な掲載への決断の躊躇。報道記事は憶測や推測では書けない。特ダネと誤報は紙一重なのだ。そして日常的に襲ってくる締め切りという時間との戦いの姿などは、実にリアルに再現されている。
作品は、この報道と地方新聞社の置かれている立場との葛藤を縦軸に、群馬県での連合赤軍事件や大久保清事件などの過去の負の遺産を引きずっている新聞社幹部と若い現場記者との格闘、編集と営業との確執、家族の問題などが横軸に展開されていく。いや本当は、家族の問題こそ、この作品の主軸なのかもしれない‥。
映像的には、「静」を表現する登山のカットバックと「動」を現す新聞社の社内の様子の対比が印象的。映画としての完成度は高い。
そして何よりも個性的なキャスト。
主演は、遊軍記者悠木和雅役の堤真一さん(NHKでは佐藤浩市さん)。この日航機事故特別プロジェクトの全権(この言い方は一般の人には分かり難い呼称ですよね‥)。社会部・県警キャップ佐山達哉を演ずるのは今をトキメク堺雅人さん。映画では堺さんの役回りがキーポイントになっている。そして、社主白河頼三には山崎努さん。実に濃い。それにNHKプロジェクトXの独特のナレーションで一躍有名になった田口トモロヲさんも政経部・デスク岸の役で登場している。
映画で描かれるこの一週間は、一方で夏の高校野球大会が開催されていて、桑田、清原のPL学園が優勝をはたしている時代。平和と悲劇が同時に発生する現実の残酷さ‥。1985年8月12日の悲劇の原因は、まだ解明されていない‥‥。
NHK大河ドラマ篤姫第28回。
とうとう堺雅人さん扮する将軍家定が逝ってしまいましたね。
同時に高橋秀樹さん扮する薩摩のお殿様、島津斉彬も帰らぬ人となってしまった。
物語は、いよいよ後半。起承転結の「転」の場面に入るわけですね。
さて、久々の高視聴率を維持する篤姫の共感性はどこにあるのか考えてみました。
一言でいえば、かつての大河ドラマは、一つの物語の全体性が視聴者の共感を引き付け、日常生活の苦しさや楽しさの尺度としての役割を果たしていたのに対し、篤姫の物語は、現代の多様な価値観の様々な領域に配慮し、多彩な共感の要素の象徴的な抽出とその調和性に視点を置いた演出が功を奏しているといえるでしょうか?
現代は、時代や国民感情が、一本の線で繋がっている時代は終わり、
行き先の見えない多様な価値観が奨励される時代。
だから、現在の篤姫の演出の基本は、どのような視点からみても、一つのドラマの見方ができるような工夫が凝らされているといえるでしょうか?
例えば、物語の縦軸としての大奥の物語。
幕末から明治へと激変する時代の中の群像。
縦横に複雑に関連していく人物像。そして新しい時代の訪れ。
こうした時間軸の流れに興味のある人は、
‥激動の予感に溢れた時代の流れとそこで格闘した人物像に共感する眼
で物語を見ることができます。
また、女性の新しい生き方の起点となった篤姫の人や物事に対する評価に関心のある人は、
‥歴史小説的な世界の中での女性の価値観の変遷に対する共感の眼
が新鮮に見えるでしょう。
その他、
‥絢爛豪華な和服のファッション性や衣装に共感する眼
‥象徴としての地方の自然や花々に共感する眼
‥地方と中央との距離感覚の再発見の眼
‥当然、登場する俳優、女優などのキャストに共感する眼
‥音楽で感情表現する眼(私は実はこれが一番印象深い‥)
‥悲恋と家族関係に対する心の在り処に共感する眼
まだまだ沢山ありますね。
それらの多様な視点の存在が、見事に調和して描かれているのが、篤姫成功の要因なのではないかと考えているのですね。
激動の幕末の物語の顛末は、多くの人が「知っている」。大奥の物語や絢爛豪華な衣装は、繰り返し見てきたことでもある。天障院が果たした役割も歴史的検証によって明らかにされている。
ある意味、多くの人の「既知」の情報を、全体的な関係性の中で再編集したことで、ドラマのマルチな視点の可能性を示唆しているといえなくもないのかな‥‥と思ったりしています。
逆に言えば、歴史ドラマとしての重厚な謀略や情報戦に興味のあるオジサンには、どこかもの足りなく、またどうみても恋愛ドラマではない。衣装で魅せるという視点では、歴史的事実に重きを置いた比較的押さえた魅せ方だし‥‥しかし、そうした要素がないかといえばなくもない。
この絶妙のバランス感覚が、情報の再編集の妙味となって表現されている。
高視聴率の隠された要因が、そんなところにあるのではないか‥‥などと思っています。
いかがですか?
とうとう堺雅人さん扮する将軍家定が逝ってしまいましたね。
同時に高橋秀樹さん扮する薩摩のお殿様、島津斉彬も帰らぬ人となってしまった。
物語は、いよいよ後半。起承転結の「転」の場面に入るわけですね。
さて、久々の高視聴率を維持する篤姫の共感性はどこにあるのか考えてみました。
一言でいえば、かつての大河ドラマは、一つの物語の全体性が視聴者の共感を引き付け、日常生活の苦しさや楽しさの尺度としての役割を果たしていたのに対し、篤姫の物語は、現代の多様な価値観の様々な領域に配慮し、多彩な共感の要素の象徴的な抽出とその調和性に視点を置いた演出が功を奏しているといえるでしょうか?
現代は、時代や国民感情が、一本の線で繋がっている時代は終わり、
行き先の見えない多様な価値観が奨励される時代。
だから、現在の篤姫の演出の基本は、どのような視点からみても、一つのドラマの見方ができるような工夫が凝らされているといえるでしょうか?
例えば、物語の縦軸としての大奥の物語。
幕末から明治へと激変する時代の中の群像。
縦横に複雑に関連していく人物像。そして新しい時代の訪れ。
こうした時間軸の流れに興味のある人は、
‥激動の予感に溢れた時代の流れとそこで格闘した人物像に共感する眼
で物語を見ることができます。
また、女性の新しい生き方の起点となった篤姫の人や物事に対する評価に関心のある人は、
‥歴史小説的な世界の中での女性の価値観の変遷に対する共感の眼
が新鮮に見えるでしょう。
その他、
‥絢爛豪華な和服のファッション性や衣装に共感する眼
‥象徴としての地方の自然や花々に共感する眼
‥地方と中央との距離感覚の再発見の眼
‥当然、登場する俳優、女優などのキャストに共感する眼
‥音楽で感情表現する眼(私は実はこれが一番印象深い‥)
‥悲恋と家族関係に対する心の在り処に共感する眼
まだまだ沢山ありますね。
それらの多様な視点の存在が、見事に調和して描かれているのが、篤姫成功の要因なのではないかと考えているのですね。
激動の幕末の物語の顛末は、多くの人が「知っている」。大奥の物語や絢爛豪華な衣装は、繰り返し見てきたことでもある。天障院が果たした役割も歴史的検証によって明らかにされている。
ある意味、多くの人の「既知」の情報を、全体的な関係性の中で再編集したことで、ドラマのマルチな視点の可能性を示唆しているといえなくもないのかな‥‥と思ったりしています。
逆に言えば、歴史ドラマとしての重厚な謀略や情報戦に興味のあるオジサンには、どこかもの足りなく、またどうみても恋愛ドラマではない。衣装で魅せるという視点では、歴史的事実に重きを置いた比較的押さえた魅せ方だし‥‥しかし、そうした要素がないかといえばなくもない。
この絶妙のバランス感覚が、情報の再編集の妙味となって表現されている。
高視聴率の隠された要因が、そんなところにあるのではないか‥‥などと思っています。
いかがですか?
知の巨人 松岡正剛さん‥‥工作舎から編集工学研究所への変遷を、一人の読者として歩んできた私は、2000年に松岡さんがweb上の学校「ISIS(イシス)編集学校」を開いたことは知っていた。今年になって、この伝説の学校の成果の一部が一冊の書籍に纏められた。
活動内容の一部が、外部に初めて公開されたわけだ。
それはほんの少しだけ扉が開かれたに過ぎない内容だと思うが、強い関心を持っていた私は、扉が微かに開かれたことだけでも大きな感動を受けた。
「物語編集力」(ダイヤモンド社2008年2月刊)。
イシスという言葉は、本著によれば、「古代エジプト伝説やオリエント神話に有名な、再生を象徴する女神イシスのこと」としている。この言葉に象徴されるように、イシス編集学校は「情報を編集する方法を学習する学校」ということになります。
カリキュラムは、守破離と名づけられた三つのコースに分かれていて、編集力を学習するための基礎・応用・発展の3段階が用意されている。そして、編集を稽古する方法のコアが「物語」を編集することであるわけですね。
物語を再生する、あるいは創造するというプロセスを通じて、編集のスキルを学習しつつ、最終的には編集力そのものを体得していくことが目標となっているようです。お題拝借からスタートし、生徒が創造し、師範代から指南を受けるという方法で進められていくようです。
本著は、物語を構成する5大要素(ワールドモデル、キャラクター、シーン、ストーリー、ナレーター)に分け、学衆の優秀な作品を紹介している。物語のそれぞれを読んでいるだけでも楽しい一冊だが、同時にそれは、意図された編集の力が生み出す成果のエビデンスを見ることにも繋がるようになっているのがミソだ。松岡さんは本著の序でこんな風に言っています。
‥‥本来の物語はそこに登場するキャラクターが変容するからおもしろいのです。
また、一人ずつのアイデンティティの保守が重要なのではなくて、
相互の登場人物の関係こそがおもしろいのです。
さて、私もまた、自分のイメージの中にある「物語」を再生する稽古を続けていくことにしましょう!
身近にある現象を「物語化」することで見えてくる何か‥‥それは確かに実存する何かだと思えますからね。
突然の雷!
そして初夏の夕立!
濡れまいとして、付近の軒先に身を寄せる。
雨粒が大きい。この人工の巨大都市の中で始まっている「変化」を予感する。
何かが変わろうとしている!
崩壊への変化なのか‥創造への変化なのか。
雨はあっという間に過ぎ去っていく。‥‥そしてもう青空。
自然に復讐されているのか?
地球という宇宙の中の奇跡の星を傷つけようとする人間の愚かさを、
自然が反撃しているのだろうか? そうさ!自然に欲望はないのだ。
‥‥
日本が生んだ知の巨人・松岡正剛さんの千夜千冊は、一千冊の書籍と松岡正剛との格闘の記録である。
今は、とっくの昔に千冊を超え、番外編がサイト上で連載されている。
その番外編の1082番目では、ジル・ドゥルーズ&フェリックス・ガタリ『アンチ・オイディプス』(1986 河出書房新社)について書かれている(2005年12月8日)
この論文の中で特に気になる文章があった。それは、この難解な著作の読解において「機械」という言葉の多用について触れた部分だ。
『人間の活動と道具や機械がつながっている状態になっていることを、ドゥルーズ=ガタリは「欲望機械」とか「機械状」とかと名付けた』という内容を解説する部分だ。
‥‥‥われわれは原始古代からずっと道具や器具を作りつづけてきた。
その道具や器具とともに欲望や思索を開発してきたわけである。
‥‥‥たとえば、望遠鏡を発明して天体の謎をもっと深く解きたくなったのだし、
蒸気機関車に乗ってからもっと速度を官能したくなった。
ピストルがあるから離れた相手を殺したくなったのだし、
カメラを手にしたから記念や証拠の写真を残したくなった。あるいは破り捨てたくなった。
パソコンがあるからハッカーになれたのだし、ケータイがあるからメールをしたくなった。
‥‥‥そうだとすれば、こうした道具や機械とわれわれの思索や欲望や身体は
くっついていると見なしたほうがいい。
原著の内容も松岡さんの解説も難しい。が、私なりの解釈をすると、こんな風になるのだろうか?
人間の欲望は、その実現のために多様な道具の開発を必要とした。夥しい道具は、欲望を満たし、満たされた欲望はさらに大きな欲望を生んだ。道具は企業という組織を生み、組織は人々の欲望を満たすことで利益を得た。利益で人々の生活は豊かになり、生活の豊かさはさらに次なる欲望を呼び込んでいく‥‥。
人間の体は、欲望を実現するための「機械」によってガンジガラメにされ、達成願望の再生産を「人間の生きがい」と呼んだ。機械人間たちは、留まることを知らず‥‥そして、今まさに、自分が立っている大地そのものを飲み込もうとしている。環境破壊は人間の欲望が呼び込んでいる必然なのだ。
‥‥
雷雨を避けて、軒下に駆け込んだ時に、一瞬、こんな松岡正剛さんの言葉が頭をよぎったのでした。
私はまだ自分の欲望を満たすために、機械仕掛けの人間でいるのだろうか?
そして初夏の夕立!
濡れまいとして、付近の軒先に身を寄せる。
雨粒が大きい。この人工の巨大都市の中で始まっている「変化」を予感する。
何かが変わろうとしている!
崩壊への変化なのか‥創造への変化なのか。
雨はあっという間に過ぎ去っていく。‥‥そしてもう青空。
自然に復讐されているのか?
地球という宇宙の中の奇跡の星を傷つけようとする人間の愚かさを、
自然が反撃しているのだろうか? そうさ!自然に欲望はないのだ。
‥‥
日本が生んだ知の巨人・松岡正剛さんの千夜千冊は、一千冊の書籍と松岡正剛との格闘の記録である。
今は、とっくの昔に千冊を超え、番外編がサイト上で連載されている。
その番外編の1082番目では、ジル・ドゥルーズ&フェリックス・ガタリ『アンチ・オイディプス』(1986 河出書房新社)について書かれている(2005年12月8日)
この論文の中で特に気になる文章があった。それは、この難解な著作の読解において「機械」という言葉の多用について触れた部分だ。
『人間の活動と道具や機械がつながっている状態になっていることを、ドゥルーズ=ガタリは「欲望機械」とか「機械状」とかと名付けた』という内容を解説する部分だ。
‥‥‥われわれは原始古代からずっと道具や器具を作りつづけてきた。
その道具や器具とともに欲望や思索を開発してきたわけである。
‥‥‥たとえば、望遠鏡を発明して天体の謎をもっと深く解きたくなったのだし、
蒸気機関車に乗ってからもっと速度を官能したくなった。
ピストルがあるから離れた相手を殺したくなったのだし、
カメラを手にしたから記念や証拠の写真を残したくなった。あるいは破り捨てたくなった。
パソコンがあるからハッカーになれたのだし、ケータイがあるからメールをしたくなった。
‥‥‥そうだとすれば、こうした道具や機械とわれわれの思索や欲望や身体は
くっついていると見なしたほうがいい。
原著の内容も松岡さんの解説も難しい。が、私なりの解釈をすると、こんな風になるのだろうか?
人間の欲望は、その実現のために多様な道具の開発を必要とした。夥しい道具は、欲望を満たし、満たされた欲望はさらに大きな欲望を生んだ。道具は企業という組織を生み、組織は人々の欲望を満たすことで利益を得た。利益で人々の生活は豊かになり、生活の豊かさはさらに次なる欲望を呼び込んでいく‥‥。
人間の体は、欲望を実現するための「機械」によってガンジガラメにされ、達成願望の再生産を「人間の生きがい」と呼んだ。機械人間たちは、留まることを知らず‥‥そして、今まさに、自分が立っている大地そのものを飲み込もうとしている。環境破壊は人間の欲望が呼び込んでいる必然なのだ。
‥‥
雷雨を避けて、軒下に駆け込んだ時に、一瞬、こんな松岡正剛さんの言葉が頭をよぎったのでした。
私はまだ自分の欲望を満たすために、機械仕掛けの人間でいるのだろうか?
映画フラガールでアカデミー賞最優秀助演女優賞を受賞した蒼井優さん。
現在日本テレビ系列で放映されているドラマ「おせん」では、テレビドラマ初の主演を見事にこなしている。私がこのドラマで注目しているのが、蒼井さんの「はいっ」という返事の清清しさだ。
ドラマは、老舗料亭「一升庵」を舞台に、先代女将の跡を継いだ若女将「おせん」こと半田仙のドタバタ物語。かつての「ほそうで繁盛記」のような心情モノ出世物語でもなく、日常生活では天然ボケが混じった「ボケ」でありながら、いざ本業になると「本性発揮」するという二極対立的キャラクターが魅力の現代的物語だいえるでしょう。
自分のことを「わっち」と呼び、語尾は「~でやんす」という、とても信じられない日常語を使う。原作が漫画だから仕方がないが、この言葉の雰囲気を蒼井さんが、少し、のっぺり した雰囲気で表現すると、確かに一つの世界が浮き上がる。
‥‥そして対話、ダイアローグの部分になると、「はいっ」という返事。
少しの間がありながら、にっこりして放つこの返事こそ、現代の日本人が忘れてしまった最も美しい言葉なのではないかと‥そう思うのですね。奇麗な日本語を使う女性は、やはり、美しい。
‥‥人と話をする時は、奇麗な返事を心掛けよう!
‥‥はいっ。
「自分の心の足音を聞け!」(100歳を迎えた松原泰道師の言葉)
今日も元気で!
現在日本テレビ系列で放映されているドラマ「おせん」では、テレビドラマ初の主演を見事にこなしている。私がこのドラマで注目しているのが、蒼井さんの「はいっ」という返事の清清しさだ。
ドラマは、老舗料亭「一升庵」を舞台に、先代女将の跡を継いだ若女将「おせん」こと半田仙のドタバタ物語。かつての「ほそうで繁盛記」のような心情モノ出世物語でもなく、日常生活では天然ボケが混じった「ボケ」でありながら、いざ本業になると「本性発揮」するという二極対立的キャラクターが魅力の現代的物語だいえるでしょう。
自分のことを「わっち」と呼び、語尾は「~でやんす」という、とても信じられない日常語を使う。原作が漫画だから仕方がないが、この言葉の雰囲気を蒼井さんが、少し、のっぺり した雰囲気で表現すると、確かに一つの世界が浮き上がる。
‥‥そして対話、ダイアローグの部分になると、「はいっ」という返事。
少しの間がありながら、にっこりして放つこの返事こそ、現代の日本人が忘れてしまった最も美しい言葉なのではないかと‥そう思うのですね。奇麗な日本語を使う女性は、やはり、美しい。
‥‥人と話をする時は、奇麗な返事を心掛けよう!
‥‥はいっ。
「自分の心の足音を聞け!」(100歳を迎えた松原泰道師の言葉)
今日も元気で!