天地異変と人間の欲望について考えた‥今日も松岡正剛を読む | 考える道具を考える

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The instrument which I think

突然の雷!
そして初夏の夕立!

濡れまいとして、付近の軒先に身を寄せる。
雨粒が大きい。この人工の巨大都市の中で始まっている「変化」を予感する。
何かが変わろうとしている!

崩壊への変化なのか‥創造への変化なのか。
雨はあっという間に過ぎ去っていく。‥‥そしてもう青空。

自然に復讐されているのか?
地球という宇宙の中の奇跡の星を傷つけようとする人間の愚かさを、
自然が反撃しているのだろうか? そうさ!自然に欲望はないのだ。

‥‥

日本が生んだ知の巨人・松岡正剛さんの千夜千冊は、一千冊の書籍と松岡正剛との格闘の記録である。
今は、とっくの昔に千冊を超え、番外編がサイト上で連載されている。

その番外編の1082番目では、ジル・ドゥルーズ&フェリックス・ガタリ『アンチ・オイディプス』(1986 河出書房新社)について書かれている(2005年12月8日)

この論文の中で特に気になる文章があった。それは、この難解な著作の読解において「機械」という言葉の多用について触れた部分だ。
『人間の活動と道具や機械がつながっている状態になっていることを、ドゥルーズ=ガタリは「欲望機械」とか「機械状」とかと名付けた』という内容を解説する部分だ。


 ‥‥‥われわれは原始古代からずっと道具や器具を作りつづけてきた。
     その道具や器具とともに欲望や思索を開発してきたわけである。

 ‥‥‥たとえば、望遠鏡を発明して天体の謎をもっと深く解きたくなったのだし、
     蒸気機関車に乗ってからもっと速度を官能したくなった。
     ピストルがあるから離れた相手を殺したくなったのだし、
     カメラを手にしたから記念や証拠の写真を残したくなった。あるいは破り捨てたくなった。
     パソコンがあるからハッカーになれたのだし、ケータイがあるからメールをしたくなった。

 ‥‥‥そうだとすれば、こうした道具や機械とわれわれの思索や欲望や身体は
     くっついていると見なしたほうがいい。

 
原著の内容も松岡さんの解説も難しい。が、私なりの解釈をすると、こんな風になるのだろうか?

人間の欲望は、その実現のために多様な道具の開発を必要とした。夥しい道具は、欲望を満たし、満たされた欲望はさらに大きな欲望を生んだ。道具は企業という組織を生み、組織は人々の欲望を満たすことで利益を得た。利益で人々の生活は豊かになり、生活の豊かさはさらに次なる欲望を呼び込んでいく‥‥。

人間の体は、欲望を実現するための「機械」によってガンジガラメにされ、達成願望の再生産を「人間の生きがい」と呼んだ。機械人間たちは、留まることを知らず‥‥そして、今まさに、自分が立っている大地そのものを飲み込もうとしている。環境破壊は人間の欲望が呼び込んでいる必然なのだ。

‥‥

雷雨を避けて、軒下に駆け込んだ時に、一瞬、こんな松岡正剛さんの言葉が頭をよぎったのでした。
私はまだ自分の欲望を満たすために、機械仕掛けの人間でいるのだろうか?