NHK大河ドラマ篤姫第28回。
とうとう堺雅人さん扮する将軍家定が逝ってしまいましたね。
同時に高橋秀樹さん扮する薩摩のお殿様、島津斉彬も帰らぬ人となってしまった。
物語は、いよいよ後半。起承転結の「転」の場面に入るわけですね。
さて、久々の高視聴率を維持する篤姫の共感性はどこにあるのか考えてみました。
一言でいえば、かつての大河ドラマは、一つの物語の全体性が視聴者の共感を引き付け、日常生活の苦しさや楽しさの尺度としての役割を果たしていたのに対し、篤姫の物語は、現代の多様な価値観の様々な領域に配慮し、多彩な共感の要素の象徴的な抽出とその調和性に視点を置いた演出が功を奏しているといえるでしょうか?
現代は、時代や国民感情が、一本の線で繋がっている時代は終わり、
行き先の見えない多様な価値観が奨励される時代。
だから、現在の篤姫の演出の基本は、どのような視点からみても、一つのドラマの見方ができるような工夫が凝らされているといえるでしょうか?
例えば、物語の縦軸としての大奥の物語。
幕末から明治へと激変する時代の中の群像。
縦横に複雑に関連していく人物像。そして新しい時代の訪れ。
こうした時間軸の流れに興味のある人は、
‥激動の予感に溢れた時代の流れとそこで格闘した人物像に共感する眼
で物語を見ることができます。
また、女性の新しい生き方の起点となった篤姫の人や物事に対する評価に関心のある人は、
‥歴史小説的な世界の中での女性の価値観の変遷に対する共感の眼
が新鮮に見えるでしょう。
その他、
‥絢爛豪華な和服のファッション性や衣装に共感する眼
‥象徴としての地方の自然や花々に共感する眼
‥地方と中央との距離感覚の再発見の眼
‥当然、登場する俳優、女優などのキャストに共感する眼
‥音楽で感情表現する眼(私は実はこれが一番印象深い‥)
‥悲恋と家族関係に対する心の在り処に共感する眼
まだまだ沢山ありますね。
それらの多様な視点の存在が、見事に調和して描かれているのが、篤姫成功の要因なのではないかと考えているのですね。
激動の幕末の物語の顛末は、多くの人が「知っている」。大奥の物語や絢爛豪華な衣装は、繰り返し見てきたことでもある。天障院が果たした役割も歴史的検証によって明らかにされている。
ある意味、多くの人の「既知」の情報を、全体的な関係性の中で再編集したことで、ドラマのマルチな視点の可能性を示唆しているといえなくもないのかな‥‥と思ったりしています。
逆に言えば、歴史ドラマとしての重厚な謀略や情報戦に興味のあるオジサンには、どこかもの足りなく、またどうみても恋愛ドラマではない。衣装で魅せるという視点では、歴史的事実に重きを置いた比較的押さえた魅せ方だし‥‥しかし、そうした要素がないかといえばなくもない。
この絶妙のバランス感覚が、情報の再編集の妙味となって表現されている。
高視聴率の隠された要因が、そんなところにあるのではないか‥‥などと思っています。
いかがですか?