人と会話をしている時



突然、相手が不機嫌になる。

あるいは自分が嫌な気持ちになる。



こんなこと、あるのではないでしょうか。






これが起こる原因の一つに



言葉あるいは単語に



それぞれの感情が結びついているから


というのがあると思うのです。







例えば会話をしているときに


Aさんが〇〇と言ったとします。

そこになんの悪意もなく、普通に。





でも受け取ったBさんの方には

〇〇という言葉に

あまりいいイメージの感情が

結びついていなかったとします。






言葉の意味としては

良くも悪くもない言葉だったとしても


その結びついている感情によって

言葉の意味が左右される。




決してAさんは悪く言ったつもりはなくても

Bさんにはディスられた、と

感じてしまうこともある。






お互いそのときに冷静になり

言葉の背景の意味をすり合わせられれば

いいのですが

そんな時ばかりでもありませんよね。






でも、ちょっとそこに思いを馳せるだけでも

解決の糸口が見出せるかもしれません。


























心理占星術の勉強を始めたとき


象徴の読み方として




いい意味では?

よくない意味では?




と、いつも二通りの言い方を提示されていました。






まだ、何もわからなかった私は



❓❓❓






〇〇サインはこう、〇〇星座は〜


という以外にあるのかな?



と、しばらくはピンとこなかったのです。






でも、今ならなるほど〜と思えるのです。






自分の持っている星を使う!



ということは、簡単なことではないのですね。








あれほどの宇宙の大きな

天体のエネルギーなのですから


おいそれと使いこなせるものではありません。





なんとなく周りに流され

意識もせずその象徴になっているときは



させられている。


つまり、使役 の状態。




だから当然いい使い方にはなりません。



その象徴がマイナスにはたらいている?

後ろ向き?



という感じでしょうか。





けれど自分で意図し

それをしっかり使う!という強い意志があれば


前向きな姿勢で取り組むことができます。











自分の持っている星を

意図的に活かそうと思うならば



それなりの覚悟が必要になってきます。






流されて誰か、あるいは何かによって

成り立たせられている人生と




自分でしっかり意図を持ち

使いこなそう、という能動の姿勢。



つまり


自分でハンドルを握る!


ということ。






どちらを選択するかは

自分なのです。





選ぶことの自由は自分に任されているのです。





これを星ではなく個人の資質として

表現してもいいのですが





それにはまず自分の持ち物、傾向などを

知ることですね。











さて、どちらを選択しますか?




























今、目の前にある

モヤモヤしたこと

スッキリしない事

憂鬱にさせる事





これさえ解決すれば。。。

これがなくなれば。。。





と、つい思ってしまいがち。







でも、実際それが解決すれば

スッキリするのかな。









多分、また違ったものが

姿を変え現れてきたりする。








つまり、元は

案外 モヤモヤする気持ちだけだったりする。







目の前に起こる出来事は


そのモヤモヤするものを体現するのに

当てはまるものを

投影しているだけなのかも。





すると目の前の問題を解決しようとする行為は


ひょっとして




単なる暇つぶし⁉️




になりかねないのかも ニヤニヤ









もちろん実質的に

今すぐ解決すべきものがあることもある。



そういうのは

目を逸らさずに

ちゃんと対処すべきこと。







でも、案外

単なる暇つぶしというのも

あるのかもしれませんね。







そんな時こそ

ありきたりですが



今に気持ちを向け



目の前の事、感覚、場に

集中してみるのもいいのかもしれませんね。























毎日、当たり前のように

当たり前のことが起こり


また当たり前の明日がやってくる。。。





といつの間にか思っているところに


突如訪れる出来事






身体の不調


あるいは想定外の出来事が起こった時






いかに


毎日は奇跡の連続でできている


ということを振り返らされる。











思えば

当たり前なんて決してないのに



毎日うまく流れていることに

あぐらをかき

そこに思いを巡らすこともなく



当然、感謝もせず






なんかパッとしないな〜

なんて思う横着さ。






不調、つまずきが起こったことで

はじめて、いかに快調だったのか

気づかされる、という体たらく。








常にどこかに不調を感じている

毎日ではあるけれど



それは身体がバランスをとって

一生懸命働いてくれているから

この程度なのかもな

と反省することしきり。






ここまでしなくたって

教えてくれれば気をつけるのに。



とつい口から出るのだが




嘘つけ!

ここまでやらないと

改めないでしょ!




という声が心から聞こえてくる笑い泣き








とはいえ、また調子が戻ると

繰り返す愚かな私かもしれないですが





どうぞお手柔らかに。。。

























離れて住んでいる娘から

贈り物が届いた。



子供たちはめんどくさがりの母親とは似つかず



趣向をこらし、アイデアあふれる

贈り物をしてくれる。



受け取る日の確認のため

前もって連絡を入れてくれたのだが





「そんなに心配しなくてもいいよ。」

「自分の必要なものに使ってよ。」




と思わずいいそうになり

その言葉をのみこんだ。





子供たちもそれなりに

自立し自分で頑張っている。




その上で

きっと喜ばせてあげたい気持ちで

してくれているのだ。







どうも素直に受け取るのが下手くそだ。





人から好意を受けても



どうやってしてもらったことを

お返ししよう、とか



私なんかがいただくばかりで

申し訳ない、だの




そんなケチくさい遠慮が染み付いている。







宇宙に思いっきりお願い事してるくせに

なかなかもらえない



のではなく

受け取っていないだけなのだ。






おそらく生まれてこのかた

あふれんばかりのものを

与えてもらってきたのだろうし

それは今でも同じ。




思い返してみただけで



こんなに豊かなことはないくらい

与えられている。






何か差し出さなければもらう資格がない


というような自己肯定感の低さや




もっともっと、という貪欲さ



いろんなものがおりまざり

素直に受け取るということが

できないでいる。





今までのことを振り返ってみても



もらってばかりで何もできない、

と思っていたら


人のためにできる機会が

巡ってきたりしていて



ちゃんとうまく循環してることが

時をずらして訪れていたりする。



その時に、

ああ、与えてもらってる時は

もっと素直に純粋に

受け取っていれば良かった。



と思うし



また、なんで私ばっかり。。。

なんて思っていた時


後から思いっきり与えてもらえて



ああ、与えれる機会の時は

もっと快くすれば良かった。。。


と思ったり。





つまり、何かいつもスッキリしていないのだ。




それに

いただいた時に

素直に喜んで受け取るだけで

何某かはおかえしができていることも

あるのだと思う。




だって誰かのために一生懸命考えて

贈り物をした時に


目の前で素直に喜んでもらえたら

それだけでこちらも

満たされることがあるのだから。







おそらくエネルギーの法則からいけば

与えるだけ、なのも

与えられるだけ、なのもない。





循環しているのがフォーマットなのだから。







何事も素直に純粋にいきたいね。