離れて住んでいる娘から

贈り物が届いた。



子供たちはめんどくさがりの母親とは似つかず



趣向をこらし、アイデアあふれる

贈り物をしてくれる。



受け取る日の確認のため

前もって連絡を入れてくれたのだが





「そんなに心配しなくてもいいよ。」

「自分の必要なものに使ってよ。」




と思わずいいそうになり

その言葉をのみこんだ。





子供たちもそれなりに

自立し自分で頑張っている。




その上で

きっと喜ばせてあげたい気持ちで

してくれているのだ。







どうも素直に受け取るのが下手くそだ。





人から好意を受けても



どうやってしてもらったことを

お返ししよう、とか



私なんかがいただくばかりで

申し訳ない、だの




そんなケチくさい遠慮が染み付いている。







宇宙に思いっきりお願い事してるくせに

なかなかもらえない



のではなく

受け取っていないだけなのだ。






おそらく生まれてこのかた

あふれんばかりのものを

与えてもらってきたのだろうし

それは今でも同じ。




思い返してみただけで



こんなに豊かなことはないくらい

与えられている。






何か差し出さなければもらう資格がない


というような自己肯定感の低さや




もっともっと、という貪欲さ



いろんなものがおりまざり

素直に受け取るということが

できないでいる。





今までのことを振り返ってみても



もらってばかりで何もできない、

と思っていたら


人のためにできる機会が

巡ってきたりしていて



ちゃんとうまく循環してることが

時をずらして訪れていたりする。



その時に、

ああ、与えてもらってる時は

もっと素直に純粋に

受け取っていれば良かった。



と思うし



また、なんで私ばっかり。。。

なんて思っていた時


後から思いっきり与えてもらえて



ああ、与えれる機会の時は

もっと快くすれば良かった。。。


と思ったり。





つまり、何かいつもスッキリしていないのだ。




それに

いただいた時に

素直に喜んで受け取るだけで

何某かはおかえしができていることも

あるのだと思う。




だって誰かのために一生懸命考えて

贈り物をした時に


目の前で素直に喜んでもらえたら

それだけでこちらも

満たされることがあるのだから。







おそらくエネルギーの法則からいけば

与えるだけ、なのも

与えられるだけ、なのもない。





循環しているのがフォーマットなのだから。







何事も素直に純粋にいきたいね。