私と水瓶座

もしくは水瓶座のルーラー天王星とは

とてもご縁がある。





私の太陽星座は水瓶座ではないけれど


アセンダントは水瓶座



父も弟も、そして夫も水瓶座なのだ。




私となかなか緊張関係にあった義母も

天王星が非常にきいていた人。




見渡せばどこもかしこも水瓶座、天王星なのだ。




教えを受けている方も揃いも揃って

天王星がきいている。





ここまで来ると

「私の血は天王星でできている」

とまでは言わないけれど




なんのご縁があるのか読み解きたくなるのが

サガ というもの。








木星と土星がグレートコンジャンクションを

水瓶座で迎え



いよいよ風の時代が到来と

世の中では言われているが






私は太陽も天秤座


まさに風、風、風 。。。なのだ。









風は相互の関係性のエレメントでもあるのだが


そこで浮き上がってくるワードは






"対等である" ということ。







どんな人とも誰とでも

対等であることが心地よい。










けれど対等であるためには

自己をしっかり確立する必要がある。





でなければ

誰かの傘下に入ってしまって

全てを相手に受け渡してしまったり




あるいは相手によっては

自分の劣等感の裏返しから

マウントを取ろうとしてしまったりもする。





マウントをとるでもとられるでもなく


同じ目線でいたいのだ。







父には昔からどうしても自分の意見を言えない

そんな思いがあったし



逆に弟には 怖いねーちゃんで

マウントをとっていたのかも 滝汗




そして夫にもやはり自分の考えを伝えることが

あまりできなかった気がする。

(ぜってい "ウソ" っていうと思うけど 爆)





人とも対等でお付き合いできていたかどうか

定かではない。





今では一つづつ自分の内面と向き合い



父にもはっきりと自分の気持ちを

言えるようになってきたし



弟にも。。。

弟には相変わらずかもしれないが 笑い泣き


気をつけて話すようにはなってきた。




夫にも自分の気持ちはうやむやにせず

はっきり伝えられるようになってきたし






少しは成長できてきた⁉️






いろんな方とご縁が広がっていくにしても

いつも対等な関係でいたい。




相手の思いがたとえ違っていたとしても

キチンと耳を傾ける姿勢ではいたいし




けれど自分の思いもはっきり持っていたいし


伝えたい。






とすれば

天王星は私を鍛えてくれていたのかもしれない。





なかなかハードですけどね チーン







誰もが上下がなく

風通しのよい世界の

住人でありたいものです。
































星の勉強をして

本当に良かったな、と

思ったことの一つに

ジャッジ することが

本当の意味で

少なくなってきたということです。






金子みすゞの

「私と小鳥と鈴と」の中の最後に

"みんなちがって、みんないい"

と、ありますが









とはいえ

現実に目の前で

自分に不都合なことが起こると

やっぱり心は波立つこともあります。






でも、

その人がその人らしく

一番いい状態でいられるのが


自分にとっての

好ましくないことであったとしたら。。。





それは仕方ないよね


自分とは違う視点や価値観を

持っている人なんだな

と、理解できるからです。






むしろ、その人は自分を生きてるんだな〜

とさえ思えてくるのです。









そしてまた改めて自分の中の

その波立つ理由を検索しに

いけるのです。








突き詰めてみれば

やっぱり

波立つ元は

自分の中にあるのだと

気づかせてもらえる。







結局は全ての種が

自分の中にあるのです。







それでもやっぱりどんな人にも

自分の最大値で

生きていける世界になるといいな〜





なんて思っています 照れ























最近とみに思うのです。


できるだけ長く生きていたい!って。




自分の年齢から考えると


あとどのくらい

体の自由がきいて

活動能力が維持できる状態で

いられるのか。





若い頃は若さは有り余っていても

自分の気持ちを処理する能力も未熟で




苦しかったり

モヤモヤしていたり








そして脇目もふらず

子育てをしていて




気がつけば



あとどのくらい

いきいきとできる時間があるのだろうか、と。







そしてこうも思うのです。


前は残される悲しみを味わいたくないから

必ず私より後に死んでね、と

夫に言っていたのですが




ちょっと待って!




この設定でこの家族でこのシチュエーションで

味わえるのは今世だけ。




そんな面白い設定を

一人先にリタイアしてしまうのは


悔しくてイヤ!





今、スッキリできていない人は

忘れてしまっているのだ。




ちゃんと自分で楽しむために

この世界を設定してきたということを。







それでも最近までは

まだまだ自分の感情の処理が

ままならなくて


どこか桃源郷のようなところを

求めていた時期もありました。






けれど自分の状態が

自分で手に取れるようになってくると




このほし(地球)こそが

自分次第で

何にでも創造できるのだと

気がついたのです。







今までの人生の経験だって

必要で充分に味わい深いものだったと思うけど




もっともっと貪欲に

味わい尽くしたい衝動でいっぱいなのです。




もちろんどうしても変えられない設定はあります。




でも、如何様にでも創造できる地球🌏




楽しみきりたいです🌈























人情紀行バラエティー

「サンドのお風呂いただきます」

でユニークな神社を紹介していた。



一つの神社が長野県と群馬県を

またいでいるのだそうな。




10年前まで参拝者が少なかったのを

宮司さんが斬新なアイデアで

人気パワースポットにされたのだそうだ。




バラエティー番組で紹介というのも

あったからかもしれないが




宮司さんはとても気さくで明るく

それだけでも神社にはいい気が

漂っていそうだなと感じた。





でも私がハッと思ったのは


"神社がアイデアで参拝者を増やす"


というところ。







少し前の私なら

何か少し違和感を覚えたかもしれない。





神社とは神聖なもので

商売っ気と何かそぐわないのではないかと。





でも、人に来てもらわなければ

神社は成り立たない、そう言っておられた。







そうなのだ。

どんな素晴らしいものも

人に知ってもらわなければ始まらない。




そして知ってもらって伝えなければ

何もないのと一緒なのだ。





これはセラピストや占いをしていこう

ということにも共通しているな〜

と感じたのです。







人を癒したり何かを伝えたりするのに

商売っ気を出すなんて。。。



と、心のどこかで抵抗があったのだけれど


知ってもらわなければ伝えることもできない。





あるいはセラピストではなくても

何かの形で自己表現をしようとするときに

ひっかかってしまいそうなこと。





自分の伝えたいこと、表現したいことを

信じているかどうか、ということ。








私の木星は唯一 火のエレメントなのだけれど

逆行している。




木星の象徴は膨らます、広げる、

宗教、高等学問、海外などなどあるけれど




布教していくというのもある。




これに必要なのは

自分の信じているものを人に伝えていくこと。





逆行していることで

自己肯定感が低く自分を信頼することができず


自信を持ってそれを伝えることができない。



私の中にそういう傾向を見つけたのだ。





どんなに素晴らしいものでも

自分が携わるとなると

途端に価値が感じられなくて

人に伝えるなんて。。と躊躇してしまう。




でも、どれも素晴らしいものであることは

確かなのだ。






一つ一つ自己肯定感を取り戻すことに

向かい合ってきていた。





そしてその神社の話を聞いて

本当に素晴らしいことだな

と素直に心から思えたのだ。





ということは

自分を信じることも

素直にできるようになってきたのかなとも思えた。





セラピストや占いをするというツールに選んだ

ヒプノセラピー、心理占星術、心理タロットなどは

どれも本当に素晴らしいのだ。




そのツールを多くの人に知ってもらってこそ


伝えることができる。





そんなふうに素直に感じられた自分が

とても嬉しかったし



伝える、布教していくということにも


自信を持って前向きに向かえていける‼️



そう思えた。






















こんにちは Telesa Noriyoです。



このブログをご訪問いただき

ありがとうございます。







前々から

自分の今の立ち位置について


なぜこの場所にいるのか

なぜこのポジションなのか


について







それはそこからしか見えない風景があるから

と、ずっと思っていました。






山の裾野にいる時の景色と

中腹から見る景色

または頂上から見る景色


もちろん頂上からは気持ちがいいですよね。






でも角度的にここからしか見えない

なんて風景もあると思うんです。









そしてそこから  だ・か・ら


気がつくこと

見えるもの


などがある。




その思いは

もちろん今も変わっておりませんが





最近とみに感じること。。。





ステージが変わると

見えてくるもの

体験すること

考えることも

変わってくる、ということ。









まさか半年前の私には考えられないような

今の私がいます。



考え方

捉え方



本当に自分でビックリするような

言葉、想いがでてきたりしています。





そう思うと

これからもどんなステージが待っているのか



ワクワク楽しみです。