カラッポのマネキン -3ページ目

カラッポのマネキン

ウソと本当のミックスジュース。おいしくどうぞ。

 なんでピチピチなんだ?
 それが僕の柳沼さんに対する、初めての疑問だった。

 考えられる理由を、僕はぼんやりとした顔を作り、でも目だけ動かしながら柳沼を見て考えた。ありがちなのは、新しい職場が決まりストレスで急に太った。でも新しい服を準備する時間はあっただろう。本当にお金がなくて、昔から着ている服のまま? もしくは洗濯の失敗か。でもあれは綿のシャツに見える。綿のシャツは洗濯の失敗であんなに縮まなだろう。少なくとも初出勤の会社に着てくるには不謹慎というか、損をするように感じる。
「今日からお世話になります。柳沼綾です。よろしくおねがいします」
 挨拶してる柳沼を見て、そんな事ばかり考えていた。
 パチパチと拍手があがる蒸し暑い部屋の中、柳沼さんは頭のてっぺんから丁寧に頭を下げた。
 僕が居た角度からだと(ちなみにほぼ真横だ)見ようと思えばボタンの隙間から下着がみえそうなほど白いシャツのボタンはピチピチだった(ちなみにウチの会社に制服はなく、白のシャツ着用というルールがあるだけだ。男性社員はほとんどがスーツだが)。
「なあ」
 隣にたつ同僚の市井が、高い背をひにょりと曲げて僕の耳元で言った。
「あの服、なんだろな」
 同じことを考えてるのか。なんだかシャクだったので「変態」と小声で返し、視線を窓の外に動かした。
「でも事務か。長続きするかな」
 市井は右手の親指と人差し指で後ろ髪をかき「内田さんの餌食かな。なんだかエロいし」と真っ直ぐに柳沼さんを見ながら言った。
 うちの会社は賃貸業、部屋貸しをメインにしている。おおまかに分けると事務と窓口と総務があり、事務の仕事内容はパソコンで部屋の間取りを書く少しマニアックなもので、窓口はお客さんの対応をする。部屋を勧めたり、内覧に行ったり。それぞれの部署には“一番エライヒト”が居るのだが、事務のエライヒトは内田さんという「少しでも可愛い子は全てチョッカイを出す」とても面倒な人なのだ。上司からすればチョッカイ。新人からすれば断れない仕事の一部だ。半年に一度、一人は辞めていく事態なのに内田さんは気にもしていない。
「ほなここが綾ちゃんの席や」
 大阪弁の真似をした大阪弁を使い(ちなみに内田さんは大阪に住んだことも、行った事もないらしい)、柳沼さんを席に座らせてる後ろを市井と通った。
 所詮僕は窓口で、柳沼さんは事務。
 直接関わりは少ないが、心の中で「半年持ったらケーキを差し入れしてやる」と思った。でもこういうのは僕の中の遊びで、一度も差し入れなんて行為をしたことはない。相手の趣味なんて分からないじゃないか。お金だして嫌がられるのは面倒だし、自分の趣味を差し入れという善意で押し付ける行為が苦手だ。
 席に着き、メールチェックをすると十件を超える新着物件がきていた。中野区南台六丁目で方南町から徒歩四分。これは嘘だろう。六丁目なら徒歩十分以上かかる……でも入りたくなるような魅了を探したいと思い隅々まで情報をみるが、畳で築年数も古い。こういった“魅了が見つかりにくい物件”こそ、可愛く感じてしまう。人気のある部屋に僕は必要ない。何もしなくても彼らは売れていくのだ。そんな事を思い、世に言う不人気物件ばかり扱ってお客を入れていたら、僕はいつの間にか“不人気専門”の窓口屋になったらしく、今日来ていた物件情報は、どれも数年お客が入っていないものだった。「よしよし。お前たちは僕がなんとかしてやる」口のなかで呟くが、実は不人気だからこそお客が入らなくても怒られやしない、そしてもし客が入ったら褒められるというメリットまであるのだ。
「また酷い物件だな、それは」
 僕のパソコン画面を覗き込んだ市井が細く切られた眉毛をあげて言った。「可愛いところもあるもんよ」僕はメールを事務側に転送した。とりあえず大家が書いた適当な絵の状態で“新着物件”として張り出すが、徒歩十分で築二十年の物件に客が飛びつくはずがない。キレイに清書してもらい、付加価値を探してからネットにアップするのが最善の策だと思っていた。
「おお、ほらメールきたで」
 後ろの事務席から内田さんのインチキ大阪弁が聞こえる。頭を動かさず目だけ後ろに流して雰囲気を感じる。丁度設定が終了したところなのだろう。僕が転送したしたメールを柳沼さんと内田さんが開いていた。
「こうやってくるんや。俺が割り振るけー、イラストレーターでパスおこしや」
 はい、わかりましたと柳沼さんの声がする。
「しかし、またケッタイな代物やのう、二宮」苗字をよばれて振り返る。振り返らざるを得ない。内田さんの呼びかけを無視して良い事などない。そしてお決まりの言葉を言う。「可愛いところもありますよ」
「二宮っつー営業や」内田さんはアゴで僕に挨拶を促した。顔をチラリと見ると、いつも通りの“偉ぶった”上司顔だ。僕の仕事はただ一つ。従順な部下を演じるだけだ。首だけで後ろを向いていたが、椅子を回転させ立ち上がって言う。「二宮秋広です」
 柳沼さんは右手の人差し指を口元にまげて近づけ
「あきひろ」
 と言った。
「何が食べたい? なんでも作るよ」
 母親に言われて私は即答した。おにぎり、お母さんのつくったおにぎり食べたいわ。
 母親はそんなんでいいの? と笑いながらすぐににぎってくれた。そのおにぎりは丁度よい硬さで、大きさも厚さも手にすっぽり入って美味しかった。

 息子が幼稚園に行くようになり、週に何回かお弁当を作っている。
 息子は悲しいほど食が細く、つくってもあまり食べない。よって食べてくれるものでお弁当を作ってしまうのだが、おにぎりは毎回いれる。息子の作るついでに自分の分のおにぎりも作るのだが、これが悲しいほどただの米の塊だ。おにぎりじゃない。
 私が実家にいたころ、母親が作ってくれたおにぎりはこうじゃなかった。少なくともただの米の塊!だと思ったりしなかった。おにぎりだった。
 もうちょっと米が多いのか? と大きめに握っても、違う。もうちょっと柔らかくか? とゆるめに握ったらこぼれ落ちた。違う。
 先日帰省して、母親におにぎりを食べた。美味しい~。これだ、これ。まねして隣で握ってみるが、違う。もう判らない。正直場数だろう。なんか私のおにぎりは米粒がつぶれてる気がする。母親のおにぎりは米がつぶれない気がする。
 卵焼きや他の料理は「おおさじ1、こさじ2」とか作り方がある。でもおにぎりはない。
 前にテレビを見ていたら、手には無限の細菌がついていて、有名寿司店とかの人は、その細菌が優れてると聞いた。
 長く母親をすると、すんごい細菌が手に繁殖するのだろうか。私の手にいるのは、まだ一年生だ。
 自分の手に語りかける。おいこら、美味しいおにぎり作りたいぞ。
 手が返す。
「まだまだじゃ、ぼけ」
 そうですね。まったくその通りだ。
 なぜ親は子供の成長に涙するのだろう。
 今日は幼稚園の「先生一年間ありがとう」の会があった。
 先生が一年のまとめを話し、まず泣く。
 そして保護者が一言ずつ…といっても一人一分くらい語る。
「うちの子は最初幼稚園が嫌いで…でもマミ先生のおかげで、最近は今日は熱があるからお休みよと言っても行くと園服を着て寝るんです」
 そして泣く。圧倒されるレベルの涙大会だ。
 私はドライなので、全く泣かずヘラヘラ…うそです、先生のスピーチに泣きました。反則レベルの語り。いつも必死に子供追ってる先生も一年目だったとは。知りませんでした。
 あまりに皆わが子の成長を語りながら泣くので、なぜ親という生き物(とくに母親)は、子供の成長に涙するのか考えてみた。
 母親は生まれる前から、子供と一緒だ。お腹が大きくなり、やがて出てきて、毎日泣いて寝不足で、それでも小言ばあさんになりながら子供を追い、やっとこ幼稚園に入れる。その子はやがて気分で着れなかった服をきて、靴をはく。そしてカバンをかけて自分で歩き出す。ご飯ひとつ一人で食べれなかった子が。

 逆に言うと、ご飯ひとつ一人で食べれなかった子供には、もう二度と会うことはできない。

 それを自覚して泣くのだろう。
 成長とは、未熟を消す行為。未熟とは人の手が必要な状態。それはもう二度とない期間。
 子供が離れていく。嬉しい、悲しい、二度と見れない。
 だから泣くのかなと思った。
 私も息子の二度と見れない愛すべき姿を沢山覚えてる。
 あれはもう二度と見れない。
 それは本当に嬉しく、でももう二度と食べれない甘き果実だったのかも知れない。