なんでピチピチなんだ?
それが僕の柳沼さんに対する、初めての疑問だった。
考えられる理由を、僕はぼんやりとした顔を作り、でも目だけ動かしながら柳沼を見て考えた。ありがちなのは、新しい職場が決まりストレスで急に太った。でも新しい服を準備する時間はあっただろう。本当にお金がなくて、昔から着ている服のまま? もしくは洗濯の失敗か。でもあれは綿のシャツに見える。綿のシャツは洗濯の失敗であんなに縮まなだろう。少なくとも初出勤の会社に着てくるには不謹慎というか、損をするように感じる。
「今日からお世話になります。柳沼綾です。よろしくおねがいします」
挨拶してる柳沼を見て、そんな事ばかり考えていた。
パチパチと拍手があがる蒸し暑い部屋の中、柳沼さんは頭のてっぺんから丁寧に頭を下げた。
僕が居た角度からだと(ちなみにほぼ真横だ)見ようと思えばボタンの隙間から下着がみえそうなほど白いシャツのボタンはピチピチだった(ちなみにウチの会社に制服はなく、白のシャツ着用というルールがあるだけだ。男性社員はほとんどがスーツだが)。
「なあ」
隣にたつ同僚の市井が、高い背をひにょりと曲げて僕の耳元で言った。
「あの服、なんだろな」
同じことを考えてるのか。なんだかシャクだったので「変態」と小声で返し、視線を窓の外に動かした。
「でも事務か。長続きするかな」
市井は右手の親指と人差し指で後ろ髪をかき「内田さんの餌食かな。なんだかエロいし」と真っ直ぐに柳沼さんを見ながら言った。
うちの会社は賃貸業、部屋貸しをメインにしている。おおまかに分けると事務と窓口と総務があり、事務の仕事内容はパソコンで部屋の間取りを書く少しマニアックなもので、窓口はお客さんの対応をする。部屋を勧めたり、内覧に行ったり。それぞれの部署には“一番エライヒト”が居るのだが、事務のエライヒトは内田さんという「少しでも可愛い子は全てチョッカイを出す」とても面倒な人なのだ。上司からすればチョッカイ。新人からすれば断れない仕事の一部だ。半年に一度、一人は辞めていく事態なのに内田さんは気にもしていない。
「ほなここが綾ちゃんの席や」
大阪弁の真似をした大阪弁を使い(ちなみに内田さんは大阪に住んだことも、行った事もないらしい)、柳沼さんを席に座らせてる後ろを市井と通った。
所詮僕は窓口で、柳沼さんは事務。
直接関わりは少ないが、心の中で「半年持ったらケーキを差し入れしてやる」と思った。でもこういうのは僕の中の遊びで、一度も差し入れなんて行為をしたことはない。相手の趣味なんて分からないじゃないか。お金だして嫌がられるのは面倒だし、自分の趣味を差し入れという善意で押し付ける行為が苦手だ。
席に着き、メールチェックをすると十件を超える新着物件がきていた。中野区南台六丁目で方南町から徒歩四分。これは嘘だろう。六丁目なら徒歩十分以上かかる……でも入りたくなるような魅了を探したいと思い隅々まで情報をみるが、畳で築年数も古い。こういった“魅了が見つかりにくい物件”こそ、可愛く感じてしまう。人気のある部屋に僕は必要ない。何もしなくても彼らは売れていくのだ。そんな事を思い、世に言う不人気物件ばかり扱ってお客を入れていたら、僕はいつの間にか“不人気専門”の窓口屋になったらしく、今日来ていた物件情報は、どれも数年お客が入っていないものだった。「よしよし。お前たちは僕がなんとかしてやる」口のなかで呟くが、実は不人気だからこそお客が入らなくても怒られやしない、そしてもし客が入ったら褒められるというメリットまであるのだ。
「また酷い物件だな、それは」
僕のパソコン画面を覗き込んだ市井が細く切られた眉毛をあげて言った。「可愛いところもあるもんよ」僕はメールを事務側に転送した。とりあえず大家が書いた適当な絵の状態で“新着物件”として張り出すが、徒歩十分で築二十年の物件に客が飛びつくはずがない。キレイに清書してもらい、付加価値を探してからネットにアップするのが最善の策だと思っていた。
「おお、ほらメールきたで」
後ろの事務席から内田さんのインチキ大阪弁が聞こえる。頭を動かさず目だけ後ろに流して雰囲気を感じる。丁度設定が終了したところなのだろう。僕が転送したしたメールを柳沼さんと内田さんが開いていた。
「こうやってくるんや。俺が割り振るけー、イラストレーターでパスおこしや」
はい、わかりましたと柳沼さんの声がする。
「しかし、またケッタイな代物やのう、二宮」苗字をよばれて振り返る。振り返らざるを得ない。内田さんの呼びかけを無視して良い事などない。そしてお決まりの言葉を言う。「可愛いところもありますよ」
「二宮っつー営業や」内田さんはアゴで僕に挨拶を促した。顔をチラリと見ると、いつも通りの“偉ぶった”上司顔だ。僕の仕事はただ一つ。従順な部下を演じるだけだ。首だけで後ろを向いていたが、椅子を回転させ立ち上がって言う。「二宮秋広です」
柳沼さんは右手の人差し指を口元にまげて近づけ
「あきひろ」
と言った。