もう十年以上も前のことだ。騒々しいキャラクターと派手なファッション、独特の話し方をする17歳の少女はTVというおもちゃ箱の中で懸命にもがいているようだった。話題のミュージシャン提供による歌を歌い、奇怪な動きで踊った。大人たちからものめずらしい生き物(ペット)として都合よく遊ばれているようで痛々しさを感じたが、彼女はそんなことを気にするそぶりも全く見せず、大きな声でわらった。その口元には八重歯。あのぐちゃぐちゃの歯並びは、彼女の特異な存在感をアピールするのに一役買っていたと思う。まさにトレードマークであった。
そんな彼女も20代も後半になった。いまや珍しいペットではなく、自立した女性として社会にアピールしていかなければならない。それがただ若いと手放しで喜ばれる時代を過ぎた女性芸能人の生き方である。彼女にはもはや八重歯はもう必要ない。久しぶりにテレビで見かけた彼女は、すっきりときれいな歯並びを手に入れ、以前よりもずっと上品に笑った。
視聴者とは気まぐれで残酷なものだ。見るに耐えない歯並びだと思っていたが、八重歯を失った彼女を見て私はがっかりしてしまったのである。
そこには彼女がかつて含んでいた毒が全く無いのだった。美しい歯並びに、透けるような色白の肌。彼女は美しい大人の女性となっていた。しかし、いまや芸能界を見ればどこにでもいる、ただきれいな女性のひとりとしか思えない。矯正治療をしている私が言うのもおかしいが、彼女は八重歯があってこそ彼女だったのだと思った。美しい顔になった彼女にかつてのあの魅力はもうなかった。
彼女が芸能界という場所である地位を確立していたのは八重歯があったおかげなのかもしれない。不健康、不潔、貧しさ(矯正する経済的余裕が無いなど)の八重歯から受けるネガティブのイメージは、きらびやかな世界においてかなりの障害となるが、服飾に興味があるという文化芸術的素養のある彼女に、ある種の文学的な暗さをもたらしていたような気がする。いくらブラウン管で大声で騒いだり、楽しそうに踊っていても、その裏側にはどこか哀しさややるせなさが漂っていて、それが彼女の魅力だったのではないか。自分の中の異物を排除するのではなくて、抱えて生きていかなければならないという運命のようなもの。八重歯はその象徴だったというのはおおげさだろうか。
もちろんかつてのシノラーというイメージを捨てさるため、新たな出発をするために彼女は歯並びを治したのだとも思われる。八重歯という毒をなくした彼女が本領を発揮するのはこれからなのかもしれない。

