続・日々コラム・・・ -12ページ目

続・日々コラム・・・

Shen Teh n Shui Ta = hen na TeTSuShi・・・


続・日々コラム・・・
懐古してるわけじゃないけど N.Y.の20代の頃。2
0年近く前かな。


デジカメじゃない時代だから秘蔵写真。(笑)


この頃の不安や高揚感、熱い思い、夢、理想、信じる者、頼るもの、ついでに為替もなにもかも今ではずいぶん
と変わってしまいました。


でもその経験たちが、出来そこないとはいえ自分の礎になっていわけです。


この頃持っていた自信や確信を思い出すと、今の若い人のことも「ワカゾー!」なんて思わず真剣に尊敬できるし、また、それでも「若い奴には負けねえ」という思いも沸いてくるわけです。


いろいろと、恰好悪い人生だけど、無駄には生きていないさ、今だって。


と今年いろいろ大変そうな自分にエール。


年明けの第一週は、仕事杯目とは言え、世間はまだ100%始動していないみたいで慌ただしくなくて、年末より、むしろ落ちついた感じがします。


銀行の支払いと自動引き落としは容赦ないですけど…。


ま、お役所や市場はカレンダーどおり動き出すものです。


そういえば、一昨日、「大発会の東京株式市場は、大幅続伸して8500円代を持続!」というニュースを見て、これを10年、20年前にタイムマシンで送ったら、きっと2万人くらい気絶するだろうと思いました。


でも、まだみんなエンジンはフル稼働ではないみたいで、道路も空いていました。
昨日は、宮澤賢治の詩をいっぱい浴びた後、想像力の大事さを考えさせられ、いろいろのモヤモヤを紛らすためもあって、海の上までドライブしてみました。


五感で自然を感じる新鮮な場所が、関東平野は広いだけになかなか無いんですね。
仕方なので海。海と言っても東京『湾』なので、なかなか想像も広がらないのですけど。


想像力が急速に欠如しはじめている現代社会への危機感が湧きました。

たぶん、情報や通信が簡単すぎて、窮屈になっているのでしょう。

知らなきゃいいことばかり知ってもしょうがないのですけど、情報が勝手に入って来てしまいます。


iphoneのデータを全部消しました。海に捨てられはしなかったけど・・。


空気を感じて生きればいいんだ。とりあえず酸素さえありゃいいんだ。

と、思いながら、急用で現実社会へUターンでしたけど。

今日は宮澤賢治のシンポジウムに参加する日で、自分の参加作品もいまだに、メンバーと検討中・・というか僕の宿題待ち状態なのですけれど。


年末、いろいろと塞ぎこみながら、賢治のことを考えていました。


37歳の若さで他界する間際まで、何を残したくていたのかと。


花巻は、仕事で何度も尋ねました。

賢治記念館も何度も訪れました。

そこで98作品の童話集も、宮澤賢治手帳も購入しました。


5000円くらい出費しましたが、近くに、そういえば新渡戸稲造の記念館もありました、たしか・・・。


いま、興味が動いているのは、『学者アラムハラドの見た着物』という未完の作品。


”小鳥がなかないでいられず、魚が泳がないでいられないように、

人はどういうことがしないでいられないだろう。

人がなんとしてもそうしないでいられないことはいったいどういう事だろう。”


ここをテーマに、美術品のような作品作りにアプローチしてみようと思ってます。





首都高速の距離別運賃。

これ、どう考えてもただの『値上げ』

例によって試算もご都合主義だし、そもそも短距離の時はもったいないから利用しないて前提が抜けてるし。

距離従量制にするなら、完全に均等割りにして、キロ30円で量り売りやってほしいもんです。

あと、渋滞時の返金と。

良くあるのが、事故渋滞の個所を避けるために、一旦降りて、もう一度乗らなきゃならなくなること。

このとき、返金、もしくは完全距離従量制にしてほしいと思っていたけど、今回のだと結局高くつくわけです。

せっかくETCがあるんだから、1円単位でも構わないじゃないかと思いましたよ。

てか、そもそも無料になるんじゃ?

出頭した平田信容疑者のメディアや世間の対応をみていると、時間はずいぶん残酷に人の興味をどんどん流しているんだとおもいます。

当時つかまってたら、どんな騒ぎ、攻撃をうけていたろう?なら今出てきて正解? 
のりピーや押尾学、震災もそんな扱いになってしまうのかな、と・・・。

結局、『時間』がなんでも解決してくれる、それだけは教訓としておこうと思います。
時間に癒されなかった痛みはないかもしれません。
忘却か、上書きか分かりませんが、生きていればみな過去より今。
ましてや世間の関心なんて短いものです。

それにしても、オウム平田信容疑者につての最大の指摘点は、警察があれだけ広報してても普通に国内にいて、16年も逃げ延びられていたという事じゃないかと思います。

正直、死んでるとか思っていましたけど、暮らしてたんですね、その辺で。

警察の捜査の古さのほうを指摘して観てはどうかと思います。

あの等身大の写真やポスターがなんか意味あるのかって。

国民の誰もが絶対に守れない法律を作っておいて、普段は黙認、『おめこぼし』。
いざとなったら誰でも犯罪者でしょっ引ける、なんてのがやり方です。
ある意味賢いですけど、それは時代が違います。
浅間山荘の時代のやり方です。
じゃ、スピード違反を全員検挙してみろって。
日本中のスピード違反の見逃している以上、検挙率なんて顕微鏡モノです。

しかし、このお正月。俺たちはこの16年、あくせく堂々と働いてきたのに、逃亡していた平田容疑者より所持金が少ないのはどうしてだ!
という周囲の笑い話はおかしかったです。

この16年の行政何やってんだか。

僕ら、ワーカホリックとワーキングプアを両方経験してしまってる感じです。

その日は、なにもない平凡な日だった。


奈緒子は、いつもように会社に行き、OLとしては極めて普通の、少しの残業をこなして帰宅する予定だった。

午後、急に会社に電話が入った。年下の恋人、敦也からであった。


「両親が会いたいと言っている、急だけど今夜どう?」


晴天の霹靂だった。

いつも、敦也に会う時に遠まわしに、結婚の意思を伺っていた。

疎んじられないように気を使いながら、それでも自分の年齢や環境を考えたとき、このまま楽しいだけの交際というわけにはいかなかった。

だから突然で驚きもしたが、嬉しかった。そして嬉しい以上に、大変慌ただしい午後になった。


まず、行きつけの美容院に電話を入れて、無理を頼んで予約を入れた。

終業の定刻の直後である。残業するつもりは一秒もなくなったし、以後依頼された仕事は極力翌日にまわした。

幸い、上品なワンピースだったので、洋服はそのままでも大丈夫だったが、靴は少し汚れていたし、安っぽくも見えたので、なんとかデパートの閉店前に駆け込んで、この歳新調しようと思った。

アクセサリーや化粧も今更どうしようもなかったけれども、同僚の紘美に相談して、おかしくないはないという自信だけは持った。


家に電話して、母親に伝えた。

外の空気がいつもより澄んでいるように思った。


余裕をもたつもりが、銀座の待ち合わせ場所に着いたのは、約束の時間の5分前だった。

敦也と、一度訪れたことのあるレストランだった。

二人の場所に、彼の両親を迎い入れるような気分でもあった。


期待と不安の緊張。正直には

上座に、上品で優しそうなご両親が座っていた。

丁寧に挨拶されて、いろいろと気さくに話をしてもらい、ほっとしていた。

気持ち良く勧めてもらった料理もお酒も、美味しかった。



しかしそのとき、息子の恋人に対するにには、あまりにも礼儀正しい対応だったことに、どこかで変な空気を感じていたのかもしれない。自分でも予想していなかった言葉が、隣の席で沈黙している敦也に向かってこぼれた。


「あの、今日はどうして・・・ご両親はいらしたの?」


敦也が答えない少しの間があって、彼の父親が、少し姿勢を正して話し始めた。

「息子の将来のこと、まあ将来のことについてということで、お話をさせてもらおうと思いましてね・・・」


ひきつった笑顔の父親の隣で、無表情でいる母親が威圧的に見えた。

敦也は酒を飲んでいる。とっくに空になったグラスを何度も口に運んでいる。

それでも、奈緒子は自分の意思を聞かれるのもだと、そう信じようとしていた。


x x x x x 


心のどこかで覚悟していた、認めたくない言葉が奈緒子に突き刺さった。

いまどきこんな話があるだろうか。

恋人の両親に交際を断たれた。

認めたくなかった。

悪い夢の靄の中にいるようだった。

体中の力が抜けた。

しかし泣きたくても、泣く場所を選ぶ冷静さが残っていた。


「送っていってあげなさい。」

と言われて、敦也はタクシーに奈緒子を乗せた。

会話のない時間が過ぎた。

カーラジオのAM放送のかすれたBGMが、ただ耳を通り過ぎていた。


二人にとって、長いのか短いのか。いつもより渋滞が少なく思えた。

なにか隣でしゃべり出した敦也の、どの言葉も奈緒子には届かなかった。

それでも期待してた言葉はそこにはなかった。

「ごめん」とか、「ありがとう」とか、絶対に受け入れたくなかった。


到着した自宅の前で、今度は自分の母に合わせる姿を取り繕うことを考えたら、初めて奈緒子の目から涙が溢れてきた。

情けなくたたずんでいるだけの敦也を、無理やりタクシーに押し込んで、涙が乾くまでの時間をつくるために、意

味もなく駅まで歩いた。


まだ馴染んでいない新しい靴が、虚しい足音を響かせていた。


XXXX


毎日通い慣れた道、見なれた駅舎、しかし時間も方向もいつもとまったく逆だった。

奈緒子の気持ちと同じように、ありきたりの風景が反転してした。

家路に向かう、疲れたたくさんの顔とすれ違った。

孤独だった。


定期券で構内にはいり、終電前の登りのプラットホームに立った。

人もいない、朝とは違った風景がそこにあった。

これまで、慌ただしさの中で気にもしていなかったが、そこにベンチがあった。

しばらくそこに座って、通り過ぎる満員の下り電車を何本か眺めた。

上り電車が到着した。

いつもと同じ電車とはおもえないくらい、ガラガラだった。


しばらくして、下りの最終電車の降車客の群れが奈緒子の前を通り過ぎる。

晒されているようで、憐れんでもらっているようで、情けなくて、その場を離れた。
無表情な人の塊を、改札口が吐き出したのを見届けて、奈緒子も歩き出した。


改札口に、母が立っていた。

つらそうに微笑んでいた。

いや、厳しく叱ってくれた顔だったろうか。

いつもの母がいた。


どうしたのとか、なにしているのとか、自分を取り繕うための会話を始めようとしたとき、母の足元が目に入った。

ふだん、ゴミ出しくらいにしか使わない家履きの古いサンダル履きだった。

自分がタクシーを降りたときから、ずっと見ていてくれた。

改札口の外から見守ってくれていた。


いっしょに歩いて家に向かった。

子どもの頃、習い事の帰りに駅まで迎えに来てくれたときと同じようだった。

そういえば、よく泣きながら一緒に歩いた。


慣れた夜道を歩き、角を曲がると、家が見える。

リビングルームの灯りも着いたままだろう。

早くこの滑稽に着飾った姿を巣のなかに隠したかった。


「なおちゃん」

後ろから声がした。

電信柱の影に敦也がいた。

その場で、母にお辞儀をして、近寄ることなく話しかけた。

「じゃ、また・・ね」

それだけ言って、駅の方へ足早に歩いて行った。


もう終電はない時間だった。

歪な月が中途半端に後ろ姿を照らしていた。


じゃ、またね・・・。


敦也は、明日は何事もなかったように出勤するのだろう。

いつか奈緒子も、また少しの残業と小さな楽しみを見つけて生きるのだろう。

何も失っていない、ただ変わっただけの平凡な一日が始まるのだろう。


すべてを解決してくれる時間という万能薬は、もうすでに作用し始めている。

クリスマスもお正月も、ただ日が沈んでまた昇るだけの事だと思うんです。


何かが良くなったり、変わったり、リセットされたりするわけじゃないんです。


ただ気持ちの問題だけ、それが大事なんだと思います。


いまから富士山をめざすか、房総に初日の出を見に行こうかと思います。


どうせ、途中で大渋滞とか、暴走族に絡まれたりとか、間に合わなかったり、天気悪くなったり、たどりつけないのは分かってますけれども、めざす方向があることが大事なんだと思います。


人生どうせ、途中までしかたどりつけない冒険なんだから。


方向だけ決めて、一日ずつ。


着地点は運命のまま。

ふりむくと
一人の少年工が立っている
彼はハイセイコーが勝つたび
うれしくて
カレーライスを三杯も食べた


ふりむくと
一人の失業者が立っている
彼はハイセイコーの馬券の配当で
病気の妻に
手鏡を買ってやった


ふりむくと
一人の車椅子の少女がいる
彼女はテレビのハイセイコーを見て
走ることの美しさを知った


ふりむくと
一人の酒場の女が立っている
彼女は五月二十七日のダービーの夜に
男に捨てられた


ふりむくと
一人の親不孝な運転手が立っている
彼はハイセイコーの配当で
おふくろをハワイへ
連れていってやると言いながら
とうとう約束を果たすことができなかった


ふりむくと
一人の人妻が立っている
彼女は夫にかくれて
ハイセイコーの馬券を買ったことが
立った一度の不貞なのだった


ふりむくと
一人のピアニストが立っている
彼はハイセイコーの生まれた三月六日に
自動車事故にあって
失明した


ふりむくと
一人の出前持ちが立っている
彼は生まれて始めてもらった月給で
ハイセイコーの写真を撮るために
カメラを買った


ふりむくと
大都会の師走の風の中に
まだ一度も新聞に名前の出たことのない
百万人のファンが立っている
人生の大レースに
自分の出番を待っている彼らの
一番うしろから
せめて手を振って
別れのあいさつを送ってやろう
ハイセイコーよ
おまえのいなくなった広い師走の競馬場に
希望だけが取り残されて
風に吹かれているのだ



ふりむくと
一人の馬手が立っている
彼は馬小屋のワラを片付けながら
昔 世話したハイセイコーのことを
思い出している


ふりむくと
一人の非行少年が立っている
彼は少年院の檻の中で
ハイセイコーの強かった日のことを
みんなに話してやっている


ふりむくと
一人の四回戦ボーイが立っている
彼は一番強い馬は
ハイセイコーだと信じ
サンドバックにその写真を貼って
たたきつづけた


ふりむくと
一人のミス・トルコが立っている
彼女はハイセイコーの馬券の配当金で
新しいハンドバックを買って
ハイセイコーとネームを入れた


ふりむくと
一人の老人が立っている
彼はハイセイコーの馬券を買ってはずれ
やけ酒を飲んで
終電車の中で眠ってしまった


ふりむくと
一人の受験生が立っている
彼はハイセイコーから
挫折のない人生はないと
教えられた


ふりむくと
一人の騎手が立っている
かつてハイセイコーとともにレースに出走し
敗れて暗い日曜日の夜を
家族と口もきかずに過ごした


ふりむくと
一人の新聞売り子が立っている
彼の机のひき出しには
ハイセイコーのはずれ馬券が
今も入っている



もう誰も振り向く者はないだろう
うしろには暗い馬小屋があるだけで
そこにハイセイコーは
もういないのだから



ふりむくな
ふりむくな
後ろには夢がない
ハイセイコーがいなくなっても
全てのレースが終わるわけじゃない
人生という名の競馬場には
次のレースをまちかまえている百万頭の
名もないハイセイコーの群れが
朝焼けの中で
追い切りをしている地響きが聞こえてくる



思い切ることにしよう
ハイセイコーは
ただ数枚の馬券にすぎなかった
ハイセイコーは
ただひとレースの思い出にすぎなかった
ハイセイコーは
ただ三年間の連続ドラマにすぎなかった
ハイセイコーはむなしかったある日々の
代償にすぎなかったのだと



だが忘れようとしても
眼を閉じると
あの日のレースが見えてくる
耳をふさぐと
あの日の喝采の音が
聞こえてくるのだ

(寺山修司)

ほしのあきさんと三浦皇成さんの夫婦は歳の差13歳で、かつての小柳ルミ子さんと大澄賢也さんのときと同じなですけれども、たいしてその点は驚かれなくなりました。


その頃は、消費税もなかったのですけれども、いまほど国の財政はまだしっかりしていました。


携帯電話も、インターネットも、この20年の普及物です。


20年前のファッションだと、いま相当いけてないですし、今のファッションだと20年前には恰好わるい人になると思います。


髪の毛も黒い人しかいませんでしたし、眉毛も太かったです。


加納典明さんの写真が猥褻で検挙されました。

ヘアんードとか、ノーカットとか、貴重でしたが、いま全部なんでもあり、今のAVなんて20年まえに見たら、大変な衝撃だったろうと思います。


この僕が生きていたちょっとの間で、いろいろな常識が変わりました。


たったの10年、たったの20年でこれだけ価値が変わるものなのか、なんて思います。


しかしこれは、今に限ったことではないのではないかとも思うのです。


徳川幕府の頃だって、1590年と1610年では、ものすごくギャップがあって、ただ、僕らが今それをいっしょにザックリかんがえているだけで・・・。


アルビン・トフラーのパワーシフトを、そのころ読みました。


たしかに、情報が大きな力をもつ世に移り変わってきました。


情報が簡単にたくさん手に入り過ぎて、つぶされそうです。


やっぱり、ラブレターで文通と交換日記って、アナログ世代なもんで・・・。