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続・日々コラム・・・

Shen Teh n Shui Ta = hen na TeTSuShi・・・

タイトルほど真面目な話ではないのですけど、毎年言及してますが、行政サービスをPRするなら、

どうしてこの年末のゴミの収集をやらないのか、それが気に入らないところです。


一番市民の需要がある時に、サービスを停止しちゃって、これぞまさにお役所仕事。


タテマエはタテマエ。だったら本音で言ってもらいたいところ。


「職員はカレンダー通り休むことになってますから」


話は違いますが、とあるスーパーマーケットで、


「転倒する恐れがあり、危険ですから、ローラーシューズの店内での使用はご遠慮ください」


と表示されていました。


転倒するのは履いてる子供の勝手なので、これを理由にしたら拒否されます。

なので、はっきり言ってほしいところです。


「見ている周りの人の方が不愉快だから、普通に歩け!」って。



今年悟ったこと。


本当の苦難に直面している人に、『きれいごと』で向き合っても、結局、子供だましにしかならないということ。

それが現実。


アーティストが『きれいごと』を根拠にしても、それが本心であっても、幼稚な自己満足にしかならない。本当に焦燥している人を救えるのは本音でしかない、と。


いま、本音にフタをする社会風潮なだけに、アーティストにはそこに切り込む役割が期待されているわけです。


みなさんの笑顔のため、元気づけるためも、よいけれど、その情熱と相手の深刻さがお暗示でなければ、ただ恵まれている人やってる余興。


ぼくらは、『きれいごと』はおぼっちゃま・おじょうちゃまの発表会にまかせておけばよいわけです。


無責任なことはできないのです。

被抑圧者というか、マイノリティ・・・といってもほとんど平凡な市民なんだけれども、彼らにって、一番大事なのは、『必要とされている、役になっている』ということなんだと思います。


誰かが、自分を必要としてくれている。

このことが、どれだけ人にとって大事か。


アーティスト、俳優、演出家、パフォーマーその他、みんなそこで言わんとしていることは一つ。


「わたしは、ここにいる」と。

(これは師匠の格言)


僕もここにいます。だれかに必要なひとはいませんか?


というのはよしとして、今年は軽く明るい作品がとても褒められたけれども、それは商業の華麗なみなさんにお任せするとして、僕らはやはり人の根っこを揺さぶって、変えて、救ってあげるものを手掛けたいと思います。


とりあえず、犯罪者となった人と家族の苦しみとか、テーマにしてみたいです。


犯罪者もマイノリティ。本人の深刻さと、世間の興味本位の間にあるギャップは、恐ろしい虐待を産んでいるかもしれないのです。


能天気な話はみんな幸せになるのだけれども、弱者に焦点をあてて、救いになるような作品を作っていきたいと思うのです。


それがぼくの存在価値。


10年20年たって、やっと気がついたことがたくさん。


つまり僕は、そういう状況にならなければ、相手の気持ちの繊細なところまでは分からないという事なのです。


スタニスラフスキで訓練を受けていてもそうなんですから、表面上でも他人様の気持ちや、生き方なんてわかったつもりになってはいけないということです。


自分の価値観で物事を見てしまわない事です。



先日、あるきっかけで、その昔ある人から頂いた「何もしてやれなかった」というお言葉は、実は「何もしてくれなかった」という抗議のコメントだったのではないかと気付きました。


考えてみれば、僕にとっては、正直大事な存在ではなかったのです。


けれども、その人にとっては僕は一番大事な存在だったのかもしれないのです。


そういう気が付いていない裏切りを、これまでどれくらいしてきたのだろかと思うと、罰が当たっても文句はいえませんね。


なので、いつでも人をわかってあげようと努力したいと思います。


クリスマスと言われても、今年は浮かれる気になれない日々です。



何年かに一度こういう年末にぶち当たるのです。


マッチでも売りに行こうか、ルーベンスの絵でも観に行こうかとおもうのですけれども、早く終わってくれ、という感じです。とにかく世間は浮かれる方に靡くのです。


節電で電飾が控えめなのが有難いところですが、


世の中の結構多くのパーセンテージで、浮かれていられない師走を過ごしている人がいるはずなのですけれども、そういう人達を相手にしてたんじゃ、商売にならないので、これも無視されてしまってます。


無条件で、クリスマスは楽しめ!と強制されている感じがします。


僕も、脳みそと心臓がチャンプルーしてますが、切り倒されたモミの樹と、七面鳥の代わりに捕獲されたチキンのお話でも作って過ごそうか・・・ってそんな創作の余裕が脳みそにないから大変なんですけどね。


ま、過去の経験だと、こういう年末の後にはとっても大きな夢叶うことになるので、それを信じて今日は有馬記念でも買おうかと思います。


かつて同じような気分の年に、25日に有馬記念を買いました。オグリキャップです。

僕の誕生日の数字で買ったらオグリキャップだったんですけど、引退レースでの見事な優勝。

泣けました。

儲かりました。

なので、今年はブエナビスタでも買ってみようかと思います。100円だけ。


どうせ未来の事はわからないので、最悪を想定して備え、最良を夢見て生きがいにしましょう。

最近、レシピものの構成台本まがいを書いている(下記参照)のですけれども、そういえば全く料理をしなくなりました。合羽橋も紀伊国屋も行かなくなったし。



そもそも、食べる方もいわゆる美食とか、グルメな男ではなくなった気がします。



というか時代が今、外食で美食して、自宅で本格的な料理をコスト考えずに趣味として楽しむ、という時代でなくなってるのではないかと思います。



そう考えるとバブルを経験してきたのも悪いことじゃない気がします、いいもの食ってたなあ。

ああ、バブル。。。

そういえばクリスマスは独身選手たちは燃えてたなあ(笑)


今年は、ケーキも一切口にしませんでしたし、お酒も飲んでません。

なんという健全な師走を過ごしてることかともうのですけど、忘年会続きで飲みまくってた時の方が、全然活気がありましたけどね。



 ひなレシピBLOG
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嘘も方便。



これは嘘つく方の問題ではなくて、上手に騙されてあげることも大事なんだと思います。


飽食の時代なのに重箱の隅までつついて、他人を追及する癖、そしてそれを楽しむ趣味が沁みついてしまった現代社会は、自分の首をしめているだけのような気がします。


大事なのは、信じることと、騙されること。


そして許すこと。

明和電機さんのアトリエ忘年会に久しぶりに参加してきました。


ここでたくさんの人に出会った記憶があります。




ずいぶんと顔ぶれは変わりましたが、尊敬できる空間です。




この日も、いろんな人たちに出会いました。





今年、大慌てで作業させてもらったNUTのPVにでてきたロボットがいました。


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ビジネスのプランには、ほとんどスタニスラフスキイ・システムが通用する。

アート作品の表現方法には、バランスシートの考え方が応用できる。

僕は、それぞれの殻に穴をあけて、つなげるパイプがあればいいだけ。

『芝浜繁盛記』一番多いお客様の千秋楽は記録DVDの撮影でした。


やっと、ビデオをチェエクしたら、終演直後に「楽しかったね~」というお客様の声が入っていました。


ナイス効果音。


思わぬオマケ、もしくはご褒美。


再演や、地方での公演の依頼を頂いています。

信じられないくらいありがたいことです。


それにしても、「楽しかった」「笑えた」はうれしいのですけれども、「泣けた」という感想が多くて驚きました。


作家(わたし)も演出家(わたし)も、そんなつもりで書いてもやってもいないんですけど、これは偏に、俳優さんの演技の力なんです。


心打つ、魅力的な演技だったんだと思います。