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行く河の流れ

行く川のながれは絶えずして、しかも本の水にあらず。よどみに浮ぶうたかたは、かつ消えかつ結びて久しくとゞまることなし。

 四書五経の内の一つ。曽子(前505~435)及び、その弟子たちによって作られたものであろうと言われている。
 四書とは『大学』『中庸』『論語』『孟子』である。初学の者には『大学』から、この順に教えたという。私自身も、一通り読んでみて、素読を始めたのが『大学』であった。毎朝、毎晩通勤の車の中で聞き続けて、声に出して読んでいると、かなりの部分を諳んじることができるようになっている自分に驚いたものである。
 理想は覚えたことが忘れ去られて、自分の血や肉となり、人格としてそのような行動を自然にできるようになることだろうと考えている。
 鴨長明が記した古典である。「行く河の流れは・・・」で始まる冒頭はあまりにも有名。無常観を綴った作品といわれている。今回、初めて全編を通じて読んでみた。
 非常に面白い。こんな作品だったとは思わなかった。文章に迫力があり、大災害の情景が迫ってくるように目に浮かぶ。しかし、その裏には無常観が流れている。
 無常観とは「あきらめ」ではない。そこは見落としてはならないポイントである。
 また長明は住む環境は危険な都心から郊外に移しながらも、情報環境はしっかりと都に残していた。実際に京に事有るごとに出かけていっている。

 インターネットのインフラが進んだ現代ならば、この長明が目指した理想的な住まいの環境をあっという間に手に入れることができる。無理に東京を中心とした首都圏に住むことはないのだ。郊外といわず、遠く離れた地方都市、はたまた言ってしまえば海外に住もうとも、「つながる」ことさえできれば、その場が自分の「庵」となる。

 もう一度、自分の状況とも照らし合わせて考えていきたい。こんなことを考えなくても、一気に方丈記の魅力に取り付かれた。

 
 この世の中は、目に見えるモノだけで成り立っているわけではない。宇宙の95パーセントはダークエネルギーなのだ。人類の最先端の科学の力を使っても、せいぜい世界の5パーセントを見ているだけに過ぎない。

 ユングの心理学はオカルト的なものにはしっていると、誰か??から聞いた記憶がある。神秘主義的なものが、今後見直されてくるとすれば、ユング心理学の再発見もあるのではなかろうかと思う。
 土曜日から日曜日にかけて、伊豆半島の熱川温泉に行ってきた。箱根を帰る時にはすごい雨が降っており、温泉地についても、雨が続くのかと思っていたが、箱根を越えると天気は回復し、程よい雲と青空を見ることができた。
 何よりも気持ちいい海が爽快だった。日頃は慣れている風に生活しているコンクリートのビルの間に、どうしても息が詰まっていたのだと思う。
 のんびりとは、まさにこのこと。1時間も2時間も旅館の部屋から、海と空と雲を眺めていた。
 帰路には、浄蓮の滝によってきた。前日の雨の影響で、水量がものすごかった。情緒的なものを感じるにはもう少し少なくてもよかったが、それはそれで楽しめた。

 見るものが変わると、自分の考え方が変わる。これは旅の効用である。煮詰まった時には「旅に出る」というのは、かなり有効な選択肢だろう。今回の旅で劇的な変化は期待もしていなかったし、煮詰まって旅に出たわけでもないのでなかったが、気持ちのリフレッシュは思った以上にできた。
 ①中江藤樹→②熊沢蕃山→③佐藤一斎→④山田方谷→⑤三島中洲

 陽明学の系譜。
 ①中江藤樹は言わずと知れた近江聖人。
 ②熊沢蕃山は岡山藩主池田光政の家老として閑谷学校を起こす。
 ③佐藤一斎は『言志四録』を記した。佐久間象山も彼の門下。
 ④山田方谷は備中松山藩の絶望的な財政を立て直した。備中聖人。
 ⑤三島中洲は二松学舎大学の創立者である。

 ※新潟との関係:河井継之助は山田方谷を終生の師と仰いだ。
 そうだ!思い出した。論語を子どもにわかるように解釈していこうと思っている。学級だよりでは毎週やっているが、自身の勉強の為にもまだまだ論語を読んでいきたい。一言一言に注意を向けてどう訳すかを考えると、その章をさらに身近に感じる。以前とはまた違った風にも読める。全くもって奥深い書である。
 脳の中のアイデアは、フッと浮かんだ時に、何かしら記録しておかないと、あっという間に流れていってしまう。ICレコーダーを持ち歩いているのだが、出す手間を惜しんでしまう。何かいい方法はないものかなぁ。。。手間を惜しんじゃ駄目なだけなんだろうけど。
 チャンスと一緒でつかむ時に、しっかりつかまないといけませんね。
 「気持ち悪い」という言葉が嫌いだ。
 自分の気持ちの状態をいうには別に構わないのだが、この言葉が、人を指して使われるようになると途端に凶暴なものになってしまう。
 僕はこの言葉を使わない。
 「みなさん、めいっぱいやらないでくださいね。8割くらいがいいんですよ。スポーツでも  そうでしょ?」
 「わたし、目一杯、やったことな~い(笑)どうやってやるんだろ??」

 スポーツの達人の、その8割って、目一杯やった後の、限界を後の、8割だと思う。最初から手を抜いた八割とは、全く意味合いが違ってくる。目一杯やったことのない人にはわからない世界だろう。
 と、思いながら、今日は書類作りに目一杯、励んだ。これもつながっていくのだろうか・・・?意味がないことなのだろうか・・・?
 図書文化社から市川伸一さんが出している。
 「教える」と言えば、詰め込み教育。
 「考えさせる」と言えば、あの悪名高き?!(笑)ゆとり教育。

 相反するものと考えてはいけない。この二つは両輪と考えるべきだ。

 人間力を育てるには、日々、一時間一時間の授業にどう心血を注いでいけるか?「熱意」と「技術」の両輪も必要だ。

 具体的な授業法も多少書いてあるが、市川先生の理念、これからの教育がどの方向へと向かうのかという問題提起の本だろう。