行く河の流れ -36ページ目

行く河の流れ

行く川のながれは絶えずして、しかも本の水にあらず。よどみに浮ぶうたかたは、かつ消えかつ結びて久しくとゞまることなし。

 段ボールの山が目前に迫る。これを全部片づけなきゃいけないのだ。逃れるようにして目線を逸らす。まだ街は動いていないのか?いや、動き出している。ひっそりと。まだ真夜中と言っても差し支えないほどの早い朝。なぜか動いている人の音は聞こえない。滑るようにして移動し、トラックに荷物を積みこんでいる。これも早朝の為せる業なのか。
 だんだんとビルの合間から見える山の向こうに太陽の光が見え始めた。軍手をはめ、段ボールを台車に積んでいくと雪が降り始めた。ジーンズを素通りして冷気が脚に刺さってくる。周りのおじさん達は別に意に介することもない。夜の暗さに遠慮するように、ひっそりと段ボールを運んでいく。
 年賀状を出さなくなって久しい。携帯電話のメール機能が普及し始めた頃からである。しかし原因はそれだけではないだろう。自分の心の怠慢さ。日本人としての礼儀作法。大切にしたい。
 求めよ さらば与えられん
 尋ねよ さらば見いださん
 門をたたけ さらば開かれん

 新約聖書マタイ福音書の言葉である。この箇所の原文には継続や繰り返しの意味があるようだ。その英語訳は次のようなものもある。

 Keep on asking, and you will be given what you ask for
 Keep on looking, and you will find
 keep on knocking, and the door will opened
 
 求め「続けよ」という言葉が胸に響く。 
 東京にいる時にちょうど一年前のこの時期開催していたように思うので、一年遅れでここ岡山にやってきたことになる。東京で開催されているときから評判を聞いていて行った知り合いなどはとても感激して、面白いと行っていたのだが、当時は縁がなく行かなかった。
 そんな中今回、無料招待券をもらったので行ってきた。最新の技術である「プラトミック」という方法により保存された全身の筋肉、神経、血管などの標本が公開されていた。平日だというのにものすごい人の数でびっくりした。新聞などでもやたら取り上げられているのでその影響もあるのだろう。
 正直な感想として、正規の料金である1,400円を払って行くかといえば僕はいかない。確かに興味深い今まで見たこともない標本なのだが、どうも展示の方法が気に入らない。つまらないのだ。おそらくこの催しに来場する人は医学的には素人の人が多いであろう。ところが、標本の説明がどれをとっても専門用語で書かれているだけで、それぞれがどういう意義があるのか、どこがどういう風にすごいのかが全く伝わってこないのである。
 主催者は単にこの催しを「岡山で行えばいい」くらいにしか思っていないのではないかと疑いたくなる。この催しで何を伝えるのか。残念ながらそう考えると商業ベースに走っているこの催しは僕には失敗にしか映らない。世の中そういうイベントが多すぎる。
 一時期体の体調が乗ってこない時にお風呂の入浴方法を見直してみた。以前はシャワーで簡単に済ませたり、浴槽に浸かってもゆっくりせずにすぐに体を洗い出るというカラスの行水的入浴方法だった。
 それを一新し、しっかりと浴槽に浸かる時間を持つことにした。お風呂にお湯をはり、友人が作る竹酢液を入れ、ゆっくりと時間をかけて浸かる。すると、気分的にダウンしていた状態から見事に快復し、今までの活力が戻ってきた。
 しかし、やはり入浴時間がもどかしい。本を持って入って読んだりすればいいのだろう。その方法について検討してみよう。
 「夢は叶えるもの」じゃないよ。
 「ん?」
 「夢は語るものだ」
 「うん!」
 あなたは夢を語れていますか?
 大学院の募集説明会へ行ってきた。最近では国立大学でも募集説明会を行い学生の獲得に躍起になっている。猛烈に寒い日でたいした人数はいないだろうと思って会場に足を運んだのだが予想外に会場が満員になるくらい人が溢れていた。
 説明を聞いている内にだんだん興味が薄れていく気持ちに気付いた。中盤には残念ながら僕の中にわずかに芽生えていた興味は根こそぎ持っていかれた。もう耐えられないと思い、会場を後にした。
 全く大学の講義と同じ雰囲気だった。学問自体は面白い。知りたいことは泉のように湧いてくる。しかしその湧いてきた好奇心を満たしてくれる器は自分自身の中に持つしかないのであろう。
 毎年この時期になると年末ジャンボ宝くじの話に一回は遭遇する。「今年はなんか当たるような気がする」「一億当たったら何しよう」「1万円でもいいわ、当たってほしい」。各人様々な思いを持っているようである。
 しかし僕は腑に落ちない会話が一つある。「一億円当たったらとりあえず、会社を辞める」という会話である。だいたいこのような大きな宝くじに当選した人のその後の人生はなかなか幸せ、順風満帆とはいかないという話をよく聞く。
 その手始めとして「とりあえず会社を辞める」というものがある。転落人生の幕開けとなるように思う。当選したお金を軍資金として自分の夢に向かって歩き始める人はよいだろうが、「とりあえず」辞めてしまう人はどうするのだろうか?それまでの仕事はその人にとってなんだったのだろうか?
 「仕事」や「お金」に対する考え方はなかなか奥深く、下手をするとすぐに大きな潮の流れに押し流されてしまう。本質は何かをしっかりと見据えておかないと漂流してしまうことになる。
 今の僕の考えとしてはもし宝くじに当たって大金が舞い込んできても、仕事をやめようと思うような生き方はしたくないという気持ちがある。社会とそういう付き合い方をしていきたい。
 ちなみに宝くじは毎回「なんか今回当たりそうな気がする」と思っているのだが、実は買ったことはない。
 世界史を勉強したことのある人ならばある程度の人は知っているであろう。
 復習しておこう。舞台は神聖ローマ帝国(今のドイツ)である。当時神聖ローマ皇帝はドイツ領内の教会や修道院を支配下に置いて国家の統一を進めようとしていた。つまりローマ皇帝が教会や修道院の大司教や修道院長の任免権を握ろうとしていたのである。実際に次々に各地の司教を任命していった。これに当然のごとく対抗したのは教会である。
 教皇グレゴリウス7世が皇帝ハインリヒ4世を破門にした。当時の社会に置いて「破門」とはキリスト教社会からの追放を意味するのである。これによりローマ皇帝ハインリヒ4世は真冬のカノッサ城の前で雪の中3日間、教皇に許しを請うたのである。この一連の事件のことを「カノッサの屈辱」と呼ぶ。1077年の出来事である。その後、叙任権闘争に勝利したローマ教皇は権威を高めていき、全盛期へと向かっていくのである。
 そんな歴史的に非常に興味深い事件をタイトルに据えたテレビ番組があった。1990年4月から1991年3月までフジテレビの深夜に放送されていた「カノッサの屈辱」である。僕が中学生の時で、そんな深夜まで起きてはおれず観てはいないが、友達がビデオに撮ってあるのを見せてもらったことがある。現代の様々なヒット商品や企業間の競争などを歴史上の出来事に例えてみせるという番組で感激した記憶がある。とにかくものすごく面白い。大まじめに大学の講義風に説明するのだ。できることなら放送されたもの全てを観てみたい。
 「1」という数字をどう考えるか?数字の「1」は1+1=2となる。高校生の時にどうしても納得がいかず、もしかしたら1+1=2じゃないのではないか?と考えたことがあった。もしかしたら宇宙の片隅に1+1=4649となる世界があるのではないかと思っていた。根っからの数学嫌いで単に数学の法則に反発したかっただけかもしれないが、今考えてみると、とても興味深いことだと思う。
 世の中には様々な単位がある。1センチは1ミリが10個集まった単位。1キロメートルは1メートルが1000個集まった単位。1ダースは12個のことを意味する。サッカーの1チームは11人でプレーするし、野球の場合は9人となる。プレーするのはそうだが、実際に部活動などでその部活に所属している人を含めると、それぞれ1チームの人数はバラバラである。
 人間は世界を認識するときに言葉による分節化によってモノを認識する。もともとは1つのモノを言葉によって切り出していっているのだ。
 「1」という数字はすべてを意味する。式で表すとするならば、1=1/2+1/2であり、1=1/3+1/3+1/3、1=1/4+1/4+1/4+1/4となる。
 こう表すと、今の僕にはこれらの式はすんなりと受け入れることができる。宇宙を貫く法則についても追々考えていこうと思う。数が象徴するモノも知っておきたい。