i-podのpodcastでスペイン語を聴き、テキストのデータもあってそれを参考にしながら勉強できないかとずっと思っていた。
今日それを発見した。アメリカ大統領(ブッシュ)の毎週一回行われている演説をスペイン語訳しラジオ放送している。またそのテキストデータも揃っており、まさに僕が望んでいたものだった。本当なら何か気持ちの良い文学作品の名文などがあれば最高なのだが。
これで車でドライブする時も勉強できるぞ!と、この熱が続くように毎日生き返ろう。
ひどく耳障りな曲が流れている
神経をわざと逆なでするような大音量だ
まわり を見渡すと皆椅子に座って携帯をいじっている
窓もなく薄暗い部屋
ドアが一つありそこから司会者が入ってきた
頭髪を茶色に染め、サイズが全く合っていない紺のスーツを着ている
アシスタントの女性二人はまったく喋らず表情も変えない
マイクを使って司会者は喋り出した
口をパクパク動かしているが
言葉は聞こえない
まわりの人間の顔が全く同じに見えてきた
携帯をいじり続けている
神経をわざと逆なでするような大音量だ
まわり を見渡すと皆椅子に座って携帯をいじっている
窓もなく薄暗い部屋
ドアが一つありそこから司会者が入ってきた
頭髪を茶色に染め、サイズが全く合っていない紺のスーツを着ている
アシスタントの女性二人はまったく喋らず表情も変えない
マイクを使って司会者は喋り出した
口をパクパク動かしているが
言葉は聞こえない
まわりの人間の顔が全く同じに見えてきた
携帯をいじり続けている
早朝から今日は予定が詰まってしまった。福山へ行き親戚の経営する運送会社で荷物の仕分けを行った。社員の一人がインフルエンザにかかってしまい、急遽僕に白羽の矢が立った。午前中いっぱいその仕事を行い岡山へ。夕方からはいつも働いているお店へ。夜、家に帰りゆっくりして本でも読んでいると広島市街地に住む友人から連絡がはいった。元々岡山出身で県外の大学の野球部で知り合った。彼が「今から行くから」とまるで近所からちょっと顔を出すように言い、3時間かけて車で僕の自宅までやってきた。たっぷりとビール・焼酎を片手に。朝まで日本のコト、世界のコト、経済のコト、政治のコト、読んでいる本のコト、仕事のコト、精神のコト、道徳のコト様々な分野の自分の思いを語り合った。大学の時、全く同じようなことを僕のアパートの部屋でしていたな。全然変わらない。あの時のままだ。いいのかな?(笑)
大学は卒業した
会社には入らなかった
なぜかは分からないがその道を選択しなかった
人は言う
「遠回りしたけど良い経験したね」
僕は思う
「あなたの道は近道なの?」
遠くても近くてもどっちでもいい
自分の求める方向につながる道ならば
会社には入らなかった
なぜかは分からないがその道を選択しなかった
人は言う
「遠回りしたけど良い経験したね」
僕は思う
「あなたの道は近道なの?」
遠くても近くてもどっちでもいい
自分の求める方向につながる道ならば
僕が生まれた
両親に名前を付けてもらった
大切に愛情をたくさん受けて育った
友達がたくさんできた
宿題をがんばって
運動会では一等賞
恋人もできた
僕の命はこの世界に乗っかっている
ころころ転がっている
何の為に
両親に名前を付けてもらった
大切に愛情をたくさん受けて育った
友達がたくさんできた
宿題をがんばって
運動会では一等賞
恋人もできた
僕の命はこの世界に乗っかっている
ころころ転がっている
何の為に
「寝る」ことにどんな意味があるのだろう。僕が高校生のこと寝たときに見る「夢」を楽しみにして寝ていた時期がある。毎晩「今日はどんな夢かな?」と心を躍らせて布団に入っていた。まるで楽しみにしているテレビ番組を見る感覚と同じように「夢」を見ようとしていた。そして「夢」は実際に楽しかった。
「眠り」は「死」と比較することにより「仮死」の状態と仮定することができるのではないだろうか。そして本当の「死」とどう違うのだろうか?比較することにより検討してみたい。
<死-生命のない状態> <睡眠-眠っている状態>
・水平(横たわっている) ・水平(横たわっている)
・冷たくなっていく ・冷たくない
・目を閉じている ・目を閉じている
・完全に目を閉じている ・閉眼の背後に動きがある
・全く動きがない ・不随意の動きがある
・グニャグニャ→固まっていく ・柔らかい(グニャとした)
・無反応 ・音・光への反応がある
・呼吸停止 ・規則正しい呼吸
・鼓動停止 ・鼓動がある(規則正しい)
・赤みがある→灰色 ・生気がある顔色
・周りの人が知っている表情=仮面/蝋人形 ・柔らかな純粋な表情
・体の機能は停止 ・体の機能は規則正しく機能
・肉体の崩壊が始まる ・活性化していく
・周りの人は存在を感じる=喪失感 ・存在を感じさせる
・知識も記憶もない ・眠りの記憶がない
「死」と「眠り」を比較すると様々な違いが分かってくるのだが、一番の大きな違いを見ることができる。「死」は生命力がなくなってしまった状態であり、目に見える「肉体」は「崩壊」の方向へと向かっているのに対して、「眠り」により「肉体」は「再生」の方向へと向かっていっている点である。
逆に共通点も数多く見ることができる。「眠り」を「仮死」と仮定する理由はそこである。では「死」とは一体なんであるのだろうか?「眠り」には「目覚め」がある。我々の認識できる生命のリズムは「眠り」と「目覚め」を交互に体験することで意識できる。「死」と「眠り」がとても似たモノだとしたら「死」にも「目覚め」と呼べるモノがあっても不思議ではない。しかし我々は死後の世界を認識することができない。「死」が「目覚め」るという話は「輪廻転生」の話となってくる。
今日、僕は寝坊した。言い訳を探すようにして「眠り」について考えてみた。
「眠り」は「死」と比較することにより「仮死」の状態と仮定することができるのではないだろうか。そして本当の「死」とどう違うのだろうか?比較することにより検討してみたい。
<死-生命のない状態> <睡眠-眠っている状態>
・水平(横たわっている) ・水平(横たわっている)
・冷たくなっていく ・冷たくない
・目を閉じている ・目を閉じている
・完全に目を閉じている ・閉眼の背後に動きがある
・全く動きがない ・不随意の動きがある
・グニャグニャ→固まっていく ・柔らかい(グニャとした)
・無反応 ・音・光への反応がある
・呼吸停止 ・規則正しい呼吸
・鼓動停止 ・鼓動がある(規則正しい)
・赤みがある→灰色 ・生気がある顔色
・周りの人が知っている表情=仮面/蝋人形 ・柔らかな純粋な表情
・体の機能は停止 ・体の機能は規則正しく機能
・肉体の崩壊が始まる ・活性化していく
・周りの人は存在を感じる=喪失感 ・存在を感じさせる
・知識も記憶もない ・眠りの記憶がない
「死」と「眠り」を比較すると様々な違いが分かってくるのだが、一番の大きな違いを見ることができる。「死」は生命力がなくなってしまった状態であり、目に見える「肉体」は「崩壊」の方向へと向かっているのに対して、「眠り」により「肉体」は「再生」の方向へと向かっていっている点である。
逆に共通点も数多く見ることができる。「眠り」を「仮死」と仮定する理由はそこである。では「死」とは一体なんであるのだろうか?「眠り」には「目覚め」がある。我々の認識できる生命のリズムは「眠り」と「目覚め」を交互に体験することで意識できる。「死」と「眠り」がとても似たモノだとしたら「死」にも「目覚め」と呼べるモノがあっても不思議ではない。しかし我々は死後の世界を認識することができない。「死」が「目覚め」るという話は「輪廻転生」の話となってくる。
今日、僕は寝坊した。言い訳を探すようにして「眠り」について考えてみた。
とても話題になっている本であり、興味があるので読んでみた。僕の今の興味のある部分と重なる部分があったので、そこをまとめてみようと思う。
筆者は16世紀の宗教革命に始まったプロテスタンティズム、特にカルヴァン主義を発端として現在の金銭至上主義を説明している。
カルヴァン主義の最大の特徴はカルヴァンが著書『キリスト教綱要』の中で展開した「予定説」である。人間が死後、救済されるか否かはあらかじめ神の意志により決められている、という説である。つまり人間がこの世でどんなに徳を積み、人格を磨き、祈りを捧げても救済されるかどうかには全く無関係ということになる。
そんなカルヴァン主義はヨーロッパでも理解されがたく、それほど宗教革命時代の一般人にとっては衝撃的な説だったのである。「救いの確証」を得たいと神の意志を詮索すること、望むことすら不遜なことなのである。
本著では「自分はあくまで救われる側に入っていると確信し、疑念がわいたらそれは悪魔の誘惑としてはねつける」とし、自分は救済されるんだと確信を得るために「神から義務として与えられている職業(天職)に励む」ことになると述べている。そして金儲けに倫理的栄光が与えられた理由を「神が秩序ある社会をうまく機能させることは、神の栄光を増やすことになるから、救いの不安から逃れられ、自己確信につながる」とし、「利益のチャンスがあったら、それは神が意図し給うたものだから、積極的にそのチャンスを生かさなければならない」という価値観に求めている。
このプロテスタンティズムが資本主義を進めたという見解はマックス・ウェーバーが『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神』で明らかにしたことである。こちらの著書にも当たってみようと思っている。
この『国家の品格』での中心的な論点は「論理」である。どの「論理」も論理的には正しいと言える。しかし、考える主体によってその「論理」の出発点が異なってくる。よって結果としての主張が異なってくるのである。その出発点は必ず異なる。なぜなら異なる考える主体だからである。国であればその国の文化・風土・歴史・経済あらゆる要素を総合してその出発点が決まる。その中で、アメリカの植民地として「合理化」政策に踊ってきた日本の出発点はどこか?と問うている書である。
ライブドア事件に代表される金銭至上主義、合理主義に疑問を持っていた自分の感覚は独りよがりではなかったと安心させてくれた著書である。
筆者は16世紀の宗教革命に始まったプロテスタンティズム、特にカルヴァン主義を発端として現在の金銭至上主義を説明している。
カルヴァン主義の最大の特徴はカルヴァンが著書『キリスト教綱要』の中で展開した「予定説」である。人間が死後、救済されるか否かはあらかじめ神の意志により決められている、という説である。つまり人間がこの世でどんなに徳を積み、人格を磨き、祈りを捧げても救済されるかどうかには全く無関係ということになる。
そんなカルヴァン主義はヨーロッパでも理解されがたく、それほど宗教革命時代の一般人にとっては衝撃的な説だったのである。「救いの確証」を得たいと神の意志を詮索すること、望むことすら不遜なことなのである。
本著では「自分はあくまで救われる側に入っていると確信し、疑念がわいたらそれは悪魔の誘惑としてはねつける」とし、自分は救済されるんだと確信を得るために「神から義務として与えられている職業(天職)に励む」ことになると述べている。そして金儲けに倫理的栄光が与えられた理由を「神が秩序ある社会をうまく機能させることは、神の栄光を増やすことになるから、救いの不安から逃れられ、自己確信につながる」とし、「利益のチャンスがあったら、それは神が意図し給うたものだから、積極的にそのチャンスを生かさなければならない」という価値観に求めている。
このプロテスタンティズムが資本主義を進めたという見解はマックス・ウェーバーが『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神』で明らかにしたことである。こちらの著書にも当たってみようと思っている。
この『国家の品格』での中心的な論点は「論理」である。どの「論理」も論理的には正しいと言える。しかし、考える主体によってその「論理」の出発点が異なってくる。よって結果としての主張が異なってくるのである。その出発点は必ず異なる。なぜなら異なる考える主体だからである。国であればその国の文化・風土・歴史・経済あらゆる要素を総合してその出発点が決まる。その中で、アメリカの植民地として「合理化」政策に踊ってきた日本の出発点はどこか?と問うている書である。
ライブドア事件に代表される金銭至上主義、合理主義に疑問を持っていた自分の感覚は独りよがりではなかったと安心させてくれた著書である。
たまっていた事務処理系の用事を片づけていった。処理しなければならないことを書き出し、優先順位を立て、一つ一つ丁寧に片づけていく。全部終了したときにはとても爽快な気分になった。毎日、今日やったように自分を自分で律して生活できればいいのだが・・・。
1月中にかけて今年、それから先の人生の方向性をしっかり考えようと思っている。徐々にではあるが文章にすることでうっすらと見えてきつつある。自分の気持ちを整理することは事務処理の作業に似ている。項目を明らかにし、分類し、優先順位を立て、着実にこなしていく。しかし人生とは事務処理で済むようなものではない。方向性が見えれば情熱に支えられる自律が求められる。
1月中にかけて今年、それから先の人生の方向性をしっかり考えようと思っている。徐々にではあるが文章にすることでうっすらと見えてきつつある。自分の気持ちを整理することは事務処理の作業に似ている。項目を明らかにし、分類し、優先順位を立て、着実にこなしていく。しかし人生とは事務処理で済むようなものではない。方向性が見えれば情熱に支えられる自律が求められる。
ドイツワールドカップの観戦チケットの第2次抽選申し込みが始まった。ほとんど当選することはないと思っているのだが、応募するだけはタダなのでインターネットで応募してみた。日本代表の試合のグループリーグ対ブラジル戦、そして日本がそのグループリーグを突破して決勝ラウンドへ進んだときのチケットの2試合である。
もし当たったらどうしよう。きちんと休みを取ってドイツまで飛べるのか?その為の軍資金はあるのか?なに一つ確かなことがない。その前にチケットが当たる確率の方が低いのだが・・・。楽しみに抽選結果が出る日を待とう。
もし当たったらどうしよう。きちんと休みを取ってドイツまで飛べるのか?その為の軍資金はあるのか?なに一つ確かなことがない。その前にチケットが当たる確率の方が低いのだが・・・。楽しみに抽選結果が出る日を待とう。
尾道へ着くと僕らは古寺めぐりのコースをとることにした。なにしろ尾道へ来ることが初めてなのでまずは典型的な観光コースをまわりたかったのだ。細い路地に覆い被さるようにして古民家が建っている。平日ということもあって他の観光客が見あたらない。
山へと登るこれらの道は迷路のように常に僕らに選択を迫った。しかし迷路と違うところは、選んだ道が必ずどこかの道へと繋がっているということだった。この安心感は道を選び、そしてその道を歩くことを限りなく魅力的なものにしていた。
山の中腹の辺りで、眼下に広がる尾道の町並みを見下ろして休憩していた。なにぶん急な坂道なので膝は苦笑い位はしていたのである。すぐ真下には家一軒分くらいの更地があった。以前は家があり家族が生活を営んでいたのだろう。今は腰の高さくらいある雑草が疎らに生えている。僕はその中に入っていった一匹の野良猫を発見した。と、同時に相方の彼女はもう既に階段を駆け下りてその空き地へと向かっていた。
「どっちに行った?」彼女は空き地の入り口あたりで猫を見失ったようだ。
「もうちょっと左の奥の方!」僕は猫のいるところを指さしながら答えた。
鳥瞰図を見るように僕は全体の位置を把握できていた。一匹猫が見つかるとどんどん猫が見つかってくる。まるで冬の空に一番星を見つけた時のように。空き地よりも一つ下に建っている民家の屋根で寝ている猫を見つけた。更にその隣の家の庭先のガラス窓から部屋へ入れて欲しそうに中を見ている猫。
「いっぱいいるよ」僕は彼女がまだ見つけられないことへの優越感に浸っているように言った。
そうしている間に空き地へと入っていった猫が彼女の方へ近づいていった。そして話しかけた。
「なにしとるん?写真撮りてん?」
「そう。普通にしてて。普段の生活通りに。」彼女は猫にカメラを向け、そしてシャッターをきった。しかし明らかに猫はポーズを取っていた。
「ダメだよ。自然な写真が一番かわいいんだから」
「そんなん言うたって、これが自然なんじゃもん。もっと撮ってえや」猫はもう次のポーズを取りはじめていた。
「アメショーなにしとん?」
さっきまで下の屋根の上で昼寝をしていた猫が階段をゆっくり上がってきながら言った。どうやら草むらの中にいた猫はアメショーと呼ばれているらしい。確かにアメリカンショートヘアに見えなくもないが・・・。
「このおねえちゃんが写真撮らしてくれえ言うけえ、撮らしてあげとんじゃ、ペルシャも撮って貰ったらええが」
「大丈夫なん?このおねえちゃん。俺ら捕まえたりせんのん?」ペルシャは彼女から2メートルくらい離れたところから話しかける。
「大丈夫じゃろ。大丈夫よなあ?」
「わからないよ~。ここら辺りの野良猫を一網打尽にする為に・・・」彼女はアメショーをからかった。そんな空気を察してかアメショーは猫なで声で彼女の足にすり寄ってくる。
「なんしょんなら!早よう逃げえ!」他の猫の声が飛んできた。さっき部屋の中に入れて欲しそうにしてガラス窓の側にいた猫である。結局入れてもらえなかったらしい。
「危ねえじゃろうが!さっき一網打尽とか言ようたろうが!早う!捕まえられるで!」
「これじゃけえ、タマは冗談がわからん奴じゃって言われるんじゃ。つまらん奴じゃって言われるで」
「うるせえ!捕まっても知らんで!ええから早う逃げえ!」タマの気は収まらない。
「しょうがねえなあ。おねえちゃん。そんじゃちょっと送っていくわあ。ここにおったらタマにひっかかれるかもしれんしな。ええ奴なんじゃけど、冗談が通用せんのんよ」
彼女は猫の後について階段を上がってきた。階下ではタマの声がまだ聞こえる。
「そんじゃ。ここら辺で。もっと見送りてえけど、ここまでが俺らの縄張りなんよ。なかなか野良猫の世界も厳しゅうてなあ。」アメショーは彼女を先にやり、猫座りで見送ってくれた。
彼女が僕の元へと帰ってきた。そして道の先へと歩き出した。僕は質問した。
「どの猫が好き?」
「タマ」
「なんで?警戒されまくりだったじゃん。」
「好きよ。あんな不器用に自分の仲間を心配すること。素敵じゃない?」
「うん」
眼下に広がる尾道市街。その先には瀬戸内海が見える。ゆっくりと進む大きな船が街の流れと綺麗に調和しているように思えた。
山へと登るこれらの道は迷路のように常に僕らに選択を迫った。しかし迷路と違うところは、選んだ道が必ずどこかの道へと繋がっているということだった。この安心感は道を選び、そしてその道を歩くことを限りなく魅力的なものにしていた。
山の中腹の辺りで、眼下に広がる尾道の町並みを見下ろして休憩していた。なにぶん急な坂道なので膝は苦笑い位はしていたのである。すぐ真下には家一軒分くらいの更地があった。以前は家があり家族が生活を営んでいたのだろう。今は腰の高さくらいある雑草が疎らに生えている。僕はその中に入っていった一匹の野良猫を発見した。と、同時に相方の彼女はもう既に階段を駆け下りてその空き地へと向かっていた。
「どっちに行った?」彼女は空き地の入り口あたりで猫を見失ったようだ。
「もうちょっと左の奥の方!」僕は猫のいるところを指さしながら答えた。
鳥瞰図を見るように僕は全体の位置を把握できていた。一匹猫が見つかるとどんどん猫が見つかってくる。まるで冬の空に一番星を見つけた時のように。空き地よりも一つ下に建っている民家の屋根で寝ている猫を見つけた。更にその隣の家の庭先のガラス窓から部屋へ入れて欲しそうに中を見ている猫。
「いっぱいいるよ」僕は彼女がまだ見つけられないことへの優越感に浸っているように言った。
そうしている間に空き地へと入っていった猫が彼女の方へ近づいていった。そして話しかけた。
「なにしとるん?写真撮りてん?」
「そう。普通にしてて。普段の生活通りに。」彼女は猫にカメラを向け、そしてシャッターをきった。しかし明らかに猫はポーズを取っていた。
「ダメだよ。自然な写真が一番かわいいんだから」
「そんなん言うたって、これが自然なんじゃもん。もっと撮ってえや」猫はもう次のポーズを取りはじめていた。
「アメショーなにしとん?」
さっきまで下の屋根の上で昼寝をしていた猫が階段をゆっくり上がってきながら言った。どうやら草むらの中にいた猫はアメショーと呼ばれているらしい。確かにアメリカンショートヘアに見えなくもないが・・・。
「このおねえちゃんが写真撮らしてくれえ言うけえ、撮らしてあげとんじゃ、ペルシャも撮って貰ったらええが」
「大丈夫なん?このおねえちゃん。俺ら捕まえたりせんのん?」ペルシャは彼女から2メートルくらい離れたところから話しかける。
「大丈夫じゃろ。大丈夫よなあ?」
「わからないよ~。ここら辺りの野良猫を一網打尽にする為に・・・」彼女はアメショーをからかった。そんな空気を察してかアメショーは猫なで声で彼女の足にすり寄ってくる。
「なんしょんなら!早よう逃げえ!」他の猫の声が飛んできた。さっき部屋の中に入れて欲しそうにしてガラス窓の側にいた猫である。結局入れてもらえなかったらしい。
「危ねえじゃろうが!さっき一網打尽とか言ようたろうが!早う!捕まえられるで!」
「これじゃけえ、タマは冗談がわからん奴じゃって言われるんじゃ。つまらん奴じゃって言われるで」
「うるせえ!捕まっても知らんで!ええから早う逃げえ!」タマの気は収まらない。
「しょうがねえなあ。おねえちゃん。そんじゃちょっと送っていくわあ。ここにおったらタマにひっかかれるかもしれんしな。ええ奴なんじゃけど、冗談が通用せんのんよ」
彼女は猫の後について階段を上がってきた。階下ではタマの声がまだ聞こえる。
「そんじゃ。ここら辺で。もっと見送りてえけど、ここまでが俺らの縄張りなんよ。なかなか野良猫の世界も厳しゅうてなあ。」アメショーは彼女を先にやり、猫座りで見送ってくれた。
彼女が僕の元へと帰ってきた。そして道の先へと歩き出した。僕は質問した。
「どの猫が好き?」
「タマ」
「なんで?警戒されまくりだったじゃん。」
「好きよ。あんな不器用に自分の仲間を心配すること。素敵じゃない?」
「うん」
眼下に広がる尾道市街。その先には瀬戸内海が見える。ゆっくりと進む大きな船が街の流れと綺麗に調和しているように思えた。