今朝は随分と涼しく窓を開けて寝ていた為朝方寒くて目が覚めました。
まだ気温高めと言うことですが、そろそろ秋ですね。

どちらかと言うと春のほうがイメージの強いこのタイトルですが、
意外に秋にも多いのです。今朝も朝の情報番組で人気アナウンサーが
産休に入ることとなり最後の挨拶をしてもらい泣きしていました。

私達も明日から大きな組織変更があり仕事がまた変化します。
居場所はこのままなので一安心ですが・・。

決算月が3月の為ここを起点に仕事を行うわけですが、
大体半年取り組んで目処が出るかどうか。
また次の半年に向けて先手を打つか・・というところでこの9月末も重要な節目になるのです。


今回は春以上に多くの別れがあります。
異動先も全国にあるため、二度とお会いできない人もいます。
1つの会社で、転職を繰り返さなくても度々配置転換があります。
それはよく言えばそれまでの経験を生かした引き抜きもあれば
お役御免であまり責任を持たない業務を行ったりと様々です。

人事は天命であると、最初に出会った社長が仰っておられました。
志半ばで異動となりかなり悔しい思いをされていましたが、
新天地でもご活躍され、無事に勤め上げられました。
転職をする以上に配置転換で職種が変わることは多々あります。
ただ、それが経験となり今に生かせるということも実感します。

昔は○○一筋でもOKだったのですが、就職難=社員不足(コスト削減)
が否めず、現代は専門職よりも経験豊富でマルチでこなす人のほうが
どちらかといえば企業では重宝される時代になってきていますね。
そのほうが食いっぱぐれもないですから^^;

将来に向けても人しかできない職人技以外は淘汰される傾向ですから
誰もやっていない先見の目をもち、楽をせず常に学んでいくことが
これから必要とされる社会人の力量なのだと思います。


私自身も新規で立ち上げた部門、1から作り上げてきた仕組みを
今日で実務部隊へ引継ぎ。手放すことになりました。
そして、来週からはもっと壮大な^^;また白紙からつくりあげる
というミッションが来ました。

誰も手をつけられなかった領域についに手を出すことになり
今やっている取組みがうまく行った実績から白羽の矢が・・・

人は先の見えない不安に怯える場合が多いように思いますが
自分は逆境や道のないことほどやる気がみなぎるのです。
忙しくなるとは思いますが、ないものを作るというワクワクがまた
始まると思うと気持ちも引き締まる思いです。

体のほうも生検の結果も良性で一安心。また2年ごとに検査も受けます^^


今日は雑談になってしまいましたが、いろいろなことの一区切り
ということで・・
早いものです。9/20で祖母の四十九日を迎え
先週末、雨の中法要と納骨を終えました。

前夜は台風も近付いていた為、怖くなるくらい一晩中土砂降りが続きました。
当日の法要の際には止んでいましたが、終わる頃にはバケツをひっくり返す位の土砂降りになりはじめました。

家の裏山にあるお墓まで上がり納骨を行いましたが、傘をさしながらはできなかったので、
全員がとにかく笑う位雨に濡れ・・礼服の着替えもなく結局ずぶ濡れのまま会食・・笑

きっと祖母は寂しがりだったので、成仏の日を迎えるにあたり私達の事を思い泣いていたのかもしれません。

おかげで今週は風邪を引いてしまい、高熱を出し寝込みました。
夏の暑さや、祖母の事、自分の体の事などでここ何ヶ月かは気も張っていたので、一気に疲れが出たのかもしれませんね。

かなり更新に間があいてしまいました^^;
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日本の宗教では、7日ごとに仏様に近づく為に段階的に修行を重ね49日目で成仏(仏様の下へ到達)となります。
正確には101日にまだ百ヶ日法要があるそうですが、7日ごとに行っていた中陰法要も一区切りし「満中陰」となります。

中陰とは仏教で人がこの世から次の世に生まれ変わるまでの時期。
7日刻みで7廻り、49日かかるとされている期間の事です。

35日目の小練忌(しょうれんき)では先立った祖父の戒名入りの位牌の性根(しょうね)を一旦抜いてもらい、
隣に祖母の戒名を刻んだものを四十九日の法要の際に再び性根を入れなおします。

「性根」とは仏様の魂の事ですが、祖母に「性根をいれなさい」と言われたのを思い出しました。
現代は「頑張れ」とよく言う人を見かけますが、私は苦手です。
この性根を入れると言うほうが自分なりにしっくり来ます。
「魂を込めて物事に打ち込む」ということですから^^


納骨では墓石の下を開け、骨壷に入っていた骨を全てガーゼの袋へ入れ替えて、土の上におきました。
祖母の最後の肉体の一部も長い年月をかけて少しづつ自然に帰っていくのだそう。

また、祭壇は本当の四十九日までそのままにしておくのですが
(前回書いたように本来は線香も絶やさない)
叔父は家中とにかく全ての明かりをつけたまま、部屋中の襖まで全て開け放したまま毎日眠っているそうで、
泊まった際、電気は消さないで欲しいと言っていました。
自分の部屋も開け、TVもつけっぱなしで眠っていました。

祖母に寂しくないようにという思い半分、広い家に一人ぼっちになってしまった寂しさ半分というように感じました。
その証拠に、私が帰るときは泣きそうな顔をしていましたから・・。


ところでタイトルのもう1つ、「一升餅」という風習があります。
法要の際にお寺へ餅を奉納するのですが、一升の餅を手でちぎり49個に分けたものをお供えし、参列者が持って帰るのだそうです。
同じく、一升餅は子供が1歳を迎えたお祝いの時にも作ります。


一升=一生をあらわしているそうで、餅をちぎる=契るの事。
法要の際には残された私たちがこの世を守る約束をするという意味も含まれているのだそう。
また、無事に49日を迎え仏様の下に行けるということはある意味お祝いでもあるということなんだそうです。

最近はここまで行うことは少なくなったようで、祖母のいる昔ながらの地域だからこそ、風習がまだ見られるのでしょうね。

行事を行わなければいけないということではなく、故人を思う気持ちや、
残された自分達が死を受け入れるという意味合いで行っているものだと理解しています。

叔母は、祖母のおかげで皆に沢山会えて話ができたと喜んでいました。
祖父の没後、ずっと写真を持ち歩いていたそうで、今回譲り受けました。
それは私が幼稚園くらいの頃に祖父と出かけた際の色褪せたスナップ。

祖父はお花見でもハイキングでも、何故かいつもシャツにスラックス。
そして革靴を履いて髪型をばっちり決めていました。
とても懐かしい笑顔でした。祖母の写真と一緒に財布に収めています。


形見分けで祖母の衣類をもらい、そして餅、あとは「茶の子」と「平」という法事饅頭とお茶を持ち帰りました。
今週はそれらをいただきながら、無事に旅立った祖母との思い出をまた少し振り返りました。
少し更新に間が空きましたが、実は検査をうけていました。

いろいろ分かった事もあるので、
長いですが記事を書くことで少しでも皆さんのお役に立てば・・と思っています。

今回受けた検査は「大腸内視鏡」です。
大腸がんの有無は勿論、直接カメラで見ることでいろいろな病変を見つけることができます。

私は約10年前に検査中に見つかった大腸ポリープを切除しました。
ただ検査の途中にあまりの激痛に過呼吸となりパニック症状が出てしまい、半分も行かず中断になりました。
「次は下半身麻酔をします」と言われたものの、あまりの痛さにそれ以来怖く検査を受けませんでした。

かかりつけ医から、一度ポリープが見つかっていれば再発する可能性があるからと嫌がる私に(笑
別の病院を紹介してもらい、今回の検査に至りました。(本来は2年に1度)

結果、今回もやはり同じような場所にポリープができていました。
小さなものでしたのでその場で取り、あとは組織検査の結果を待つだけです。
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今回受けたところは、個人病院ですが年間約6,000件の内視鏡検査をしておられます。
病院内にはいたるところに注意書きが貼り出されています。
流れ作業のように行う病院に、はじめは少し疑問を抱きましたが検査後に払拭されました。

食事制限が3日前からあったり検査当日は状況次第で何時に終わるか分からない状態でしたが、
全てはスムーズに検査を行い、且つ受ける側に不安や痛みが無い為の最大限の工夫だと理解できました。

そして、前回の検査であったことや怖いという気持ちを十分に伝えることができていたので
終わった後痛みもなかったです・・と伝えるととても喜んでおられ、思わず私もありがとうと言いました。

検査後、1枚のプリントを渡されました。院長名でした。
そこには「検査を受けたことのない人の不安や、他で受けた痛い体験などで検査を受けることが遅くなり手遅れの人を沢山見てきました。
その為に1人でも多く検査を、痛みなく確実に受けていただく為に、いろいろな決め事を守っていただくこととなり申し訳ありませんでした。」と書いてありました。

いろいろ制約はあるものの、看護師さん達はひとり一人にとても丁寧に笑顔で接しておられました。
忙しくて休む間もないと思います。実際の検査もカメラは数種あり、その人により使い分けているそうです。

また、特に見つけにくい場所は念入りにするからなど、検査中も説明をされながら不安がないように丁寧にされている印象でした。

検査当日も、午前中の「最終仕上げ」の部屋には同世代の女性ばかりでした。
そのことで、私も少し安心して受けることができました。
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大腸がんは、特に女性に多く発見が遅れるとリンパに近い場所で転移しやすく死亡原因の上位です。
(女性の死亡原因1位が大腸がん、男性は肺がんが1位です)

ただ、良性のポリープが悪性になり、ステージへ移行するには約2年かかるそうです。
またステージ3までであれば、ほぼ治るがんでもあるそうですが、検査の怖さから発見できず
手遅れになるケースが本当に多いそうです。

この話を聞いて、2年おきの検査ということが納得できました。
食生活もかなり改めているのですが、やはり体質もあるそうですので・・
これからはきちんと2年おきに受けようと思います^^

*赤身の肉や、動物性油脂など(肉食女子、ケーキ好きの方)は食生活がとても
 影響するそうですので、お気をつけくださいね^^
 また、大腸がんの原因の約半分は遺伝性だといわれています。


私は関西圏におりますので、気になられた方はメッセしていただければ病院名を
ご紹介させていただきます。(基本宣伝するつもりはないので・・)

実際に受けてみたあとで知ったことですが、メディアの情報は参考までで・・。
医師が選ぶ名医に毎年選ばれておられ、皆さんもよくご存知の健康番組などで検査の重要さなどを
時折お話されていらっしゃるそうです。

2年おきに無理なくいける場所が一番良いと思いますが、やはり施設や医師の技術一つでこんなにも
差があるものだと痛感しました。
よく調べていただいき良い病院とめぐり合えることをお祈りしております。
先日ニュースを見ようとしたのですが、少し時間が早いのでその間番組を流していました。
たまたま出たチャンネルでは、過去番組のトピックスを2時間かけて放送する・・という
番組編成時期ならではのwwものでした。

その中でタイトルの番組紹介をしていました。
家は民宿を営み祖父は漁師という家の幼い女の子が、ひとりで港の祖父に昼食を届けるというもの。

女の子は近いルートの逆方向へ行ってしまったため、約3倍近い道のりを行くことになり、遠い上に山を越える為、上り坂で海も見えません。それでも着実に前に歩いていました。

愚痴は言わず、やめる気配もなく、自分を励ます為に歌を歌いながら歩き続けています。

祖父は到着予定時間を大幅に過ぎてもこない孫を泣きそうな顔でずっと待っていました。

しかし坂の中腹で疲れたのか、ついにしゃがんで泣いていました。するとその視線の先に白い羽が落ちているのを見つけました。

女の子はそれを投げあげると、まるで羽が先導するかのように道の先にふわふわと飛んでいき、女の子は嬉しそうに走って追いかけはじめました。

また羽を投げ進んでいく事を楽しそうに繰り返していると、やがて海がみえ(まだ手前の港ですが)元気を取り戻し、最後まで諦めずに辿りつきました。

祖父と抱き合った女の子は静かに泣いていました。

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このシーンを見て、はっと子供だった自分を重ね合わせ小さい頃の記憶を鮮明に思い出しました。

祖父母は毎日忙しく働いていたので甘えることはできず、愚痴も言えず泣いても仕方ないので
当たり前ですが3歳の頃から自分の事は全てしてました。

そして叶えたい事を諦めるか、できるまでやり続けるか・・。
大抵は諦めるのが悔しくてしつこくやっていましたし、どうにかしてもできる方法を常に考えていました。
小さなことですけどね。自転車に乗れるようになりたいとか、高い木の上の実を取りたいとか・・ww

また、小学校では学校の帰り道、300mほどある私道からは私一人しか帰る人はいません。
更に真冬は私の身長の胸あたりまで新雪が積もり行く手を阻まれなかなか進むことができません。

そんな時、元気になろうと歌を大声で歌いながら歩いたり、ツララを取ってキラキラした光を眺めてはまた進み・・
辛くても帰らなければいけないですし、毎日楽しみを見つけながら・・そんなことを繰り返していました。

多分、TVの女の子も家族全員が24時間仕事をしている為普段なかなかかまってもらえず、その理由も知っているのでしょうね。その中で自立してたくましく育っているように見えました。

それは周りの愛情があってこそなのだろうなと感じました。
私も両親以外の沢山の人に育ててもらっていた事を大人になってから漸く実感できるようになりました。

何事も無駄なものはないといいますが、子供の頃に培った私の対応力のおかげで本当に
今もなんとかありがたく生きていけています。

その状況にいるのも自分の選択。だから文句の言いようはありませんし子供の頃からそれは変わりません。
目の前のつまらない悩みも、解決するのは自分次第なのです^^
マンネリの語源は「mannerism」から芸術や作風などが型にはまっているもの・・

というのが本来の意味なのですが、日本ではやや否定的な言葉として使われています。
新たな魅力がみえない、ワンパターンなど「飽きる」というようなイメージでしょうか。

メディアや企業では今「大いなるマンネリ」を安定的なビジネスモデルとして目指そうとしている。
マンネリ、飽きられるという一番辛い山を通り越したもののことですね。

「大いなる」がつくと”王道”という表現に近いかもしれません。
企業はなかなかそのモデルが見出せません。ブランドイメージみたいなものですが、
続けるだけではなく飽きさせないことや、信頼があるというのも必要なのです。


私が子供の頃、祖母がよく見ていた「笑点」は私にとって面白さがあまり分からない退屈な番組でした。
大人になっても、その印象があり見ることはありませんでした。
ここ最近、たまたま笑点を見る機会がありましたが、近年上方にも毎日落語が見れる拠点ができ
落語の楽しさも知っていたので、ようやく面白さに気づきました。

まさに笑点は「大いなるマンネリ」のお手本ですね。

基本的な番組進行やテーマ曲は50年ほぼ変わりません。それでいて長く続くことができるのは
やはりそこに出る人たちが時代にあった笑いを持っているから。
その上、パターンはお決まりの為見る人にとってはむしろ安心感がある。
爆発的な面白さはないものの、「じわる」感があります。

マンネリを大いなるものに発展させる為にはとても大変です。
続けることだけではなく、内容はあきさせない工夫がありそれを重ねてようやく認められる。

あまり詳しくない噺家さんの世界ですが、弟子達が住み込みで24時間一緒に生活を共にしてこそ、
肌で感じるものや日常での会話から言葉のセンスを磨いていくのだろうなと思います。

その気遣いや絶妙な間をとってあのやり取りが成立していることをちゃんと理解してみている人は
少ないだろうけれど、見れば感じることができる。


歳を取っても一生ヘビメタは聴くだろうなぁ。演歌は聴かないな・・と思っていたけれど
笑点は歳を取るから分かる面白さがあるなと最近じわじわ来ておりますww