早いものです。9/20で祖母の四十九日を迎え
先週末、雨の中法要と納骨を終えました。
前夜は台風も近付いていた為、怖くなるくらい一晩中土砂降りが続きました。
当日の法要の際には止んでいましたが、終わる頃にはバケツをひっくり返す位の土砂降りになりはじめました。
家の裏山にあるお墓まで上がり納骨を行いましたが、傘をさしながらはできなかったので、
先週末、雨の中法要と納骨を終えました。
前夜は台風も近付いていた為、怖くなるくらい一晩中土砂降りが続きました。
当日の法要の際には止んでいましたが、終わる頃にはバケツをひっくり返す位の土砂降りになりはじめました。
家の裏山にあるお墓まで上がり納骨を行いましたが、傘をさしながらはできなかったので、
全員がとにかく笑う位雨に濡れ・・礼服の着替えもなく結局ずぶ濡れのまま会食・・笑
きっと祖母は寂しがりだったので、成仏の日を迎えるにあたり私達の事を思い泣いていたのかもしれません。
おかげで今週は風邪を引いてしまい、高熱を出し寝込みました。
夏の暑さや、祖母の事、自分の体の事などでここ何ヶ月かは気も張っていたので、一気に疲れが出たのかもしれませんね。
かなり更新に間があいてしまいました^^;
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日本の宗教では、7日ごとに仏様に近づく為に段階的に修行を重ね49日目で成仏(仏様の下へ到達)となります。
正確には101日にまだ百ヶ日法要があるそうですが、7日ごとに行っていた中陰法要も一区切りし「満中陰」となります。
中陰とは仏教で人がこの世から次の世に生まれ変わるまでの時期。
7日刻みで7廻り、49日かかるとされている期間の事です。
35日目の小練忌(しょうれんき)では先立った祖父の戒名入りの位牌の性根(しょうね)を一旦抜いてもらい、
きっと祖母は寂しがりだったので、成仏の日を迎えるにあたり私達の事を思い泣いていたのかもしれません。
おかげで今週は風邪を引いてしまい、高熱を出し寝込みました。
夏の暑さや、祖母の事、自分の体の事などでここ何ヶ月かは気も張っていたので、一気に疲れが出たのかもしれませんね。
かなり更新に間があいてしまいました^^;
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日本の宗教では、7日ごとに仏様に近づく為に段階的に修行を重ね49日目で成仏(仏様の下へ到達)となります。
正確には101日にまだ百ヶ日法要があるそうですが、7日ごとに行っていた中陰法要も一区切りし「満中陰」となります。
中陰とは仏教で人がこの世から次の世に生まれ変わるまでの時期。
7日刻みで7廻り、49日かかるとされている期間の事です。
35日目の小練忌(しょうれんき)では先立った祖父の戒名入りの位牌の性根(しょうね)を一旦抜いてもらい、
隣に祖母の戒名を刻んだものを四十九日の法要の際に再び性根を入れなおします。
「性根」とは仏様の魂の事ですが、祖母に「性根をいれなさい」と言われたのを思い出しました。
現代は「頑張れ」とよく言う人を見かけますが、私は苦手です。
この性根を入れると言うほうが自分なりにしっくり来ます。
「魂を込めて物事に打ち込む」ということですから^^
納骨では墓石の下を開け、骨壷に入っていた骨を全てガーゼの袋へ入れ替えて、土の上におきました。
「性根」とは仏様の魂の事ですが、祖母に「性根をいれなさい」と言われたのを思い出しました。
現代は「頑張れ」とよく言う人を見かけますが、私は苦手です。
この性根を入れると言うほうが自分なりにしっくり来ます。
「魂を込めて物事に打ち込む」ということですから^^
納骨では墓石の下を開け、骨壷に入っていた骨を全てガーゼの袋へ入れ替えて、土の上におきました。
祖母の最後の肉体の一部も長い年月をかけて少しづつ自然に帰っていくのだそう。
また、祭壇は本当の四十九日までそのままにしておくのですが
(前回書いたように本来は線香も絶やさない)
叔父は家中とにかく全ての明かりをつけたまま、部屋中の襖まで全て開け放したまま毎日眠っているそうで、
また、祭壇は本当の四十九日までそのままにしておくのですが
(前回書いたように本来は線香も絶やさない)
叔父は家中とにかく全ての明かりをつけたまま、部屋中の襖まで全て開け放したまま毎日眠っているそうで、
泊まった際、電気は消さないで欲しいと言っていました。
自分の部屋も開け、TVもつけっぱなしで眠っていました。
祖母に寂しくないようにという思い半分、広い家に一人ぼっちになってしまった寂しさ半分というように感じました。
その証拠に、私が帰るときは泣きそうな顔をしていましたから・・。
ところでタイトルのもう1つ、「一升餅」という風習があります。
法要の際にお寺へ餅を奉納するのですが、一升の餅を手でちぎり49個に分けたものをお供えし、参列者が持って帰るのだそうです。
同じく、一升餅は子供が1歳を迎えたお祝いの時にも作ります。
一升=一生をあらわしているそうで、餅をちぎる=契るの事。
法要の際には残された私たちがこの世を守る約束をするという意味も含まれているのだそう。
また、無事に49日を迎え仏様の下に行けるということはある意味お祝いでもあるということなんだそうです。
最近はここまで行うことは少なくなったようで、祖母のいる昔ながらの地域だからこそ、風習がまだ見られるのでしょうね。
行事を行わなければいけないということではなく、故人を思う気持ちや、
自分の部屋も開け、TVもつけっぱなしで眠っていました。
祖母に寂しくないようにという思い半分、広い家に一人ぼっちになってしまった寂しさ半分というように感じました。
その証拠に、私が帰るときは泣きそうな顔をしていましたから・・。
ところでタイトルのもう1つ、「一升餅」という風習があります。
法要の際にお寺へ餅を奉納するのですが、一升の餅を手でちぎり49個に分けたものをお供えし、参列者が持って帰るのだそうです。
同じく、一升餅は子供が1歳を迎えたお祝いの時にも作ります。
一升=一生をあらわしているそうで、餅をちぎる=契るの事。
法要の際には残された私たちがこの世を守る約束をするという意味も含まれているのだそう。
また、無事に49日を迎え仏様の下に行けるということはある意味お祝いでもあるということなんだそうです。
最近はここまで行うことは少なくなったようで、祖母のいる昔ながらの地域だからこそ、風習がまだ見られるのでしょうね。
行事を行わなければいけないということではなく、故人を思う気持ちや、
残された自分達が死を受け入れるという意味合いで行っているものだと理解しています。
叔母は、祖母のおかげで皆に沢山会えて話ができたと喜んでいました。
祖父の没後、ずっと写真を持ち歩いていたそうで、今回譲り受けました。
それは私が幼稚園くらいの頃に祖父と出かけた際の色褪せたスナップ。
祖父はお花見でもハイキングでも、何故かいつもシャツにスラックス。
そして革靴を履いて髪型をばっちり決めていました。
とても懐かしい笑顔でした。祖母の写真と一緒に財布に収めています。
形見分けで祖母の衣類をもらい、そして餅、あとは「茶の子」と「平」という法事饅頭とお茶を持ち帰りました。
今週はそれらをいただきながら、無事に旅立った祖母との思い出をまた少し振り返りました。
叔母は、祖母のおかげで皆に沢山会えて話ができたと喜んでいました。
祖父の没後、ずっと写真を持ち歩いていたそうで、今回譲り受けました。
それは私が幼稚園くらいの頃に祖父と出かけた際の色褪せたスナップ。
祖父はお花見でもハイキングでも、何故かいつもシャツにスラックス。
そして革靴を履いて髪型をばっちり決めていました。
とても懐かしい笑顔でした。祖母の写真と一緒に財布に収めています。
形見分けで祖母の衣類をもらい、そして餅、あとは「茶の子」と「平」という法事饅頭とお茶を持ち帰りました。
今週はそれらをいただきながら、無事に旅立った祖母との思い出をまた少し振り返りました。