読者の皆さん、おはようございます。

 

 

黒龍です。

 

突然ですが、今日は少々難しいお話をしたいと思います。

実はこれは、私が長年研究してきたことなのですが。

その答えがうっすらと見えましたので、ぜひ皆さんと共有したいと思ったのです。

 

これは古代の哲学者たちの間でも長年議論されたものなのですが。

 

良い人生に必要なのは「楽しみ」か「意義」か?

 

皆さんはどう思われますか?

 

おやつの時間に大好きなお菓子を食べる行為。

これは、「楽しみ」ではありますが社会的な「意義」はありません。

 

道路のゴミを拾う活動。

これは社会的に「意義」のある行為ですが「楽しみ」にならないでしょう。

 

このどちらが人生をより良きものにしてくれるのか?

 

長年、人間社会を見ていると。

かつて、聖人君子をうたわれた人ほど、「意義」を強調しました。

哲学者たちもそれを賞賛し、

・自己犠牲の精神

・滅私奉公

などの言葉が生まれたのです。

 

ですが、そういう人たちが本当に幸せだったのか?

その姿勢を賞賛され、満足を得られた人間にとっては幸せだったかもしれません。

ですが、必ずしもそれが全員に当てはまるとは私には思えませんでした。

 

そんな中、最近私の中でひとつの答えが出たのです。

結論から申しますと。

 

どちらも大事。

「楽しみ」と「意義」をバランスよく取り入れることで人生は良くなる。

 

ということです。

 

きっかけは、メジャーリーグで活躍したイチロー選手の引退会見でのひと言でした。

 

「人に喜んでもらえることが1番の喜びに変わってきた」

 

これを聞いた瞬間に私は、長年の疑問が氷解した思いでした。

野球で結果を出すこと、これは大変意義のある行為です。

ですが、これが昔のイチロー選手にとって、「楽しみ」であったかはわかりません。

この言い方からすると、必ずしも楽しみではなかったようにも感じます。

 

ですが、結果を出すことでファンが喜んでくれることが一番の喜びになってきたことで。

「楽しみ」と「意義」が一体となったのです。

 

タカさんもそうでしょう。

初めは、自分たちの作品で多くの人に日本の神様や文化の素晴らしさを知ってもらうことに「意義」があると思っていました。

ですが、ファンの皆さんが喜んでくれるのを感じるようになって、「楽しみ」「喜び」が伴うようになったのです。

 

成功している人は、仕事の中に「楽しみ」と「意義」が一緒に存在していることが多いと言えるでしょう。

 

ですが、皆さん初めからそれができていたわけではありません。

イチロー選手だって、「ニューヨークにいった後ぐらいから」とおっしゃっているように、渡米して10年以上経っていたほどです。

 

ですから皆さんも、

「意義」のあることをしたら、自分なりの「楽しみ」を感じることをする。

大変な仕事をしたら、自分の好きなスイーツを楽しむとか。

そういう「意義」と「楽しみ」のバランスを意識してみるといいでしょう。

 

世の中のマジメな人ほど、息苦しく感じるのも、この

「意義あることばかりに拘るのがいいこと」

と、楽しみを蔑ろにしているからかもしれませんね。

 

皆さんの人生が素敵なものになりますように。

私の研究成果が、少しでもお役に立ちますよう。

 

黒龍より。

 

 

 

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(令和3年3月21日 読売新聞朝刊)

 

 

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