大河ドラマ、「光るの君へ」を見ていて・・・

~私は今年の大河、好きです。藤原氏の男子たちの名前を

覚えきれないという難点はあるけれど、時代の流れの捉え方が

これまでと、また違い、言葉遣いについて批評・批判もあった

らしいけれど、実際、現代だって、私たちは場面に応じて

いろんな言葉遣いをしているのだから、登場人物がドラマ中で

砕けた物言いをしていても、そういう場面があっても許容範囲と

思うし、はっきりどんな言葉をどこで使っていたか(書き言葉で

ない以上)誰にもわからないのだから~

 

自分の前世や今世を見ているようで、、、そんな印象を受ける場面が

あって、ため息が漏れる。

誰かの生まれかわりというのではなく、

ああ、こういうこともあっただろうな、と。

 

朝ドラは、朝ドラで、現代の私の、田舎の風習との葛藤・・問題が、

~男はできるけれど、女はそれはしてはいけない等~ 

昭和のあの時代から、進歩していない?変わっていないのだな等と

考えさせられることもあり、(なんたって、私は出身が新潟県で、

ドラマには三条~新潟市辺りでの生活のシーンもあったので)

こちらもため息・・・。

 

今回の朝ドラ「虎に翼」のナレーションをしている尾野真千子さんが

主人公を演じた朝ドラ「カーネーション」では、彼女の子供時代の

(その子役が、もう!私にはたまらなくカワイイというか愛着があり)

糸子が、女はそんな男とケンカなんてしちゃだめだと、

男と女は違うと、お父さんに叩かれる場面がある。

その時、お父さんをぐっと涙を流しながらも見る(睨む?)子役の糸子、、、

私はあの場面でどれだけ泣いたことか!

女だから???なぜ??? 

女だって、悔しいことがある・・・。できることがある・・・。

 

お父さんの愛情や気持ちもわからなくもないけれど、あのシーンは、

私の心の叫びのような気がして、泣けた。

 

今年の大河も、朝ドラも、そのストーリーの中には、

女が世の出て行く難しさ、認められることが容易ではないことが含まれ、

描かれている。

 

スウェーデン人の女性解放運動(?教育学者)?)に、故エレン・ケイ という人がいる。

(著書に、「恋愛と結婚」「児童の世紀」など邦訳されているものもある)

彼女の言うように、私は、男女平等とはいえ、身体の差異があるゆえ、

全くのすべての平等は不可だと思うし、そうする必要もないと思う。

しかし、(彼女の見立てのように)男性だけが有利・優先のような

社会の仕組みではなく、女性の立場に合う、女性が男性同様に捉えられ

自分の生き方を生きることのできる、そういう”男女平等”(現代なら、

男女と分けるのではなく、どの性別であってもとなるだろうが)を

私も望む一人である。

 

※エレン・ケイEllen Karolina Sofia Key

1849年12月11日 - 1926年4月25日)は、

スウェーデン社会思想家教育学者女性運動家

 

 

糸子の子役をした星(あかり)ちゃん、、、今は学業真っただ中かな?

卒業して、女優業、たくさんやってるかな?

 

私は、夫婦別姓も叶わず、女だからでしゃばるな、親元に居ろと親戚には

言われ(親戚は閉鎖的でも、親は現代的で賛成してくれた)、残念な

ことあり、悔しいことありで、ここまで来た。

 

女性には女性の、男性には男性の有り様があって、それでいいと思う。

でも、だからといって、可能性をつぶすとか、できることをその性差を理由に

否定するような世の中ではあってほしくない。

 

スウェーデンで、男性(パパもお祖父ちゃんも)もベビーカーを押して

カフェで談笑する、、、それが、違和感なく存在する、、、見れる今、

日本もいつか、そうなるかなと・・・うわべだけマネするのではなく、

人々の意識が変わらなくてはならないのだけど、・・・

朝ドラや大河を見ながら、あれこれ思う今日この頃・・・。

 

~ 了 ~ 

 

読んでくださってありがとうございました。

人の転生では、男女両方を体験すると言われています。

頑固な日本の高齢国会議員おじさんたちは、、、、もしかしたら、

よほど前世で女性(お母さんとか?)にやり込められた経験があるのかな?

だから、女性は男性社会に含まれる形を捨てられない?夫婦別姓ではなく、

同じであるべき~なんてこだわる?なんて思うと、少し笑える・・・私です。

夫婦別姓でうまく(むしろ日本よりも家族を大事に)やっている国、民族は

いくらでもあるのに、夫婦の姓が別だと子供が混乱するだの、家族の和が

保てないだの、、、そんなのは、理由にならない、と私は思うのです。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

しばらく前に、「禅ごよみ 365日」という文庫本サイズの本を購入

(小さいけれど、厚みあり)、それをこちらにも持ってきている。

 

年のせいか、以前に増して禅語のようなものに興味が湧き、

~茶道教室に言っていたころも、軸に書かれた言葉に頷いたことも多く~

時折、読んでいたけれど、母が亡くなってからは、その365日を日ごとに

めくっている。

その本、365日、一日一ページ、去年も今年お同じ9月1日のページだけれど。。。

9月1日(今年は、日曜日)

「昨日今日不同(さくじつこんにちとおなじからず)」 

 

”昨日と今日は同じではない。昨日の自分より、少し成長した、今日の自分になる”

 ーーー と脇の解説にある。

 

禅語は、言われてみれば、、、解説を聴いてみれば、ああそうだよな、、と

想うことが多い。

 

禅語の言葉の中には、そうなのか!?と気づくことも多いけれど、すでに知ってる

~そうしている~つもりで、当たり前のことなのに、ちゃんと考えずにやり過ごし

ていることも多いと気づく。

 

小さいことでも、昨日と違う変化がある、今日の気づきが在る等、昨日と今日は

同じではないんだ、、、とそれを認識して大切にすることも成長の一つ。

そう思えば、少し気が楽になり、成長する自分のことも笑って受け止められる。

~たとえ何か失敗したことがあっても、その失敗を別の角度から見るとか~

 

さてはて、私は今日の夜・・・今日の自分を(昨日とは違った)どう見る、

感じるだろう?

 

因みに、昨日(8月31日)は、『昨日雨今日晴』

(さくじつはあめ こんにちははれ) = 

雨の日も晴れの日も自然がそのままに表れているだけ、イイ(好ましい)、悪い

(好ましくない)の判断から少し離れて,楽しめばいい。と解説にある。

 

雨は、植物には水の恵み・・・降りすぎると根腐れや、洪水になることもあるけ

れど・・・。

晴れは、植物には日光の恵み・・・日照りが続くと熱や水分不足で枯れてしまう

恐れもあるけれど・・・。

 

雨が降ったら、先週買った新しい傘を使おう、レインコートにしょうかな?

晴れたら公園でお弁当を食べよう、、、それなりの楽しみ方もある。

 

その雨の日が、その晴れの日が、イイとか悪いとかではなくて、

気の持ちようだというお話のようだ。

 

昨日は昨日、今日は今日、そして明日は明日の楽しみ方があるはず・・・。

 

そういえば、昨日は、トラムが不通になっていて、出かける先への

到着が、予定より1時間近く、遅れてしまった・・・

トラブルはあったものの、おかげで海風に吹かれてボートにも乗った。

悪いことだけじゃなく、そこに「ここはよかった」と思える時間もあった。

さて、今日はどんな日になるか?

 

「日々是好日」ともいう・・・。

母の部屋の柱の上の方に飾られていた額にもこの言葉が描かれていたっけ。

特に、取り立てて好いことがあったり(悪いことがあったり?)しなくても、

一日無事に、過ごせたら・・・それも満足、良い日だったなと思えること、

それが有難い毎日(私)です。

 

 

~ 了 ~ 

 

読んでくださってありがとうございます。

9月1日防災の日(大正12年9月1日に起きた関東大震災)。

今年は、元旦の能登半島地震があり、また最近も九州、関東でも

地震が報じられ、台風も進路が揺れるなど災害の話が多い気が

します。

こういう時こそ、私たちの暮らしも人生・日々の営みも、一日、一日の

ことだと捉えて(防災、防犯は大事ですけど)あまり先を憂いすぎず、

過去に囚われすぎないようにして過ごしたいものです。

みなさま、お気をつけて・・・。

 

 

 

 

雷。。。

 

南アフリカでは、雷を聴いたり、稲妻・稲光を見るのはよくあることで、

スコールの他、雷を伴う激しい雨も、その音や滝のように流れる雨を見て

楽しんだものだった。

 

ここは、、、雨は降るけれど傘をさすほどでもない、とか

雨は降るけれど寒すぎるので傘よりは雨合羽(手袋、帽子)とか、

雨は降って虹は出るけれど、出たら嬉しい、珍しいという感じで、

よく降ってるなあ~という感じの雨はそんなに頻繁に降らないのだと思う。

 

ところが、一昨日の夕方~夜というか?~は、雷がごろごろ・・・

雷鳴が聞こえ、お二階の子供たちは(珍しからか?)庭に出て~しかも裸足で~

はしゃいでいたが、さすがに母親に注意され、呼ばれて家に入って行った。

そしたら、、、かなりの、ベースの音が地面や壁に響くように、振動と共に

雷の音がして、~二階の住人がいつも椅子や家具を引きずったりすると聞こえる

音に似ているのだけど:笑~ その後、響いたので、ああやっぱり雷だ、判明。

 

しかもしばらく、次から次へと雷鳴がとどろいた。

残念ながら、稲光は見えなかったけれど、よく降るねと感じるくらい雨が降った。

 

~街のアパートに住んでいる友人が言うには、遠くの空が暗くなって、まさかと

思っていたら稲光が走り、、、しっかり雷、、、雨がやってきた~と。

 

島でも街でも、雷を伴うこんな雨は珍しい・・・。

 

おかげで、庭は安泰。

水をまかなくても大丈夫だろうなと、喜ぶ。

 

南アフリカでは、8月の終わりは雨、雷雨が多くなる。

風が吹くと夏は終わり、夕方の雷雨が始まると、それが、春の始まりだった。

 

ここも、異常気象で?(例えば)10年前と近年では気候も変わっている

そうだ。

トゥーンベリさんが国会近くで座り込んでいる姿はもう見られないけれど、

誰もが、その変化を実感していることだろう。

 

確かに、2021年の夏は暑かった・・・30度を超える日が続き、驚いた。

ここ数年、全体的に湿度が高くなっている気がするし、夏の陽光も前倒し、

6月から7月よりも、5月後半から6月が夏の良い日(気温も高めで晴れ)が

多い気がする。7月になると(観光客シーズン)、雨の日が増えたり、

気温がいまいち・・・だったりして、日光浴は(晴れ間を見て)できるけど

泳ぐには寒い(日本人には)日が増えた気がする。

 

昔も今も、8月は、もう夏の終わり。

だから、夏休みは8月半ばで終わり。

 

ナナカマドがその赤みを濃く色づき、黄緑色のドングリが増え、枝から

落ちはじめ、うちのプラムの木の葉も色のついたものが増えてきた。

秋に真っ赤に色づく低木の葉も、少しずつバーガンディの色の葉を増や

している。

 

昨日は、ガムラスタンに行き、パンを買ってきた。

ついでにいつもの雑貨店へ。

品薄の店内を巡り、私の目指すものは在庫切れだったのでオバサンに

尋ねると、来週か再来週、新たに注文したものが入荷するという。

観光客に売れたことだけが理由ではなく、工場や仕入れ先の働く人が皆、

夏休みをとるので、夏の間は、モノを仕入れることができないのだ。

それが、ようやく夏休みを終えて、仕事復帰!

夏の終わりはここにもあった。

 

~ 了 ~ 

 

読んでくださってありがとうございます。

日本の台風被害に比べてたら、当地は穏やかで有難いです。

日本は、四季があり、その時々で災害も伴いますが、それゆえ

自然と共存する道、自然と寄り添う生活を昔の人は学び、それが

受け継がれてきたのだと思います。

近年のゲリラ豪雨や線状降水帯、台風の進路の変化、大雪の頻度など

昔の人が知ったら、今の日本の自然災害は、「そんなことが起きるのか?」

「そんなことになるとは!」と驚くような状況になっているのだろうなと

思いますが、それでも変化~自然現象は、私たちが支配するものではなく

そこから変化を気づかせてもらうための”水先案内人”のようなものだと

私は考えるので~ に抗うのでなく、対策、予防、共存の道を探って

行けたら、、、地球を守れるのだろうなと思います。

 

 

この夏、日本に2往復したこともあり、あまりは夏を味わった気分に

(一度、6月に入院時、母の余命宣告、一週間と言われ帰国。

安定したので当地に戻り、そして7月、今度は血圧測定不可となり帰国)

慣れないまま、夏が終わる…終わった・・・。

 

フルーツキャッチャーで楽しいひと時をすごし、美味しい想いはしたが、

この夏は、船(通勤にも使われるボート)に乗っていないなあ~などと

考えつつ、観光客でにぎわい混雑しているのが嫌で街に出なかったり、

それを避けた自分にもその原因はあるので、それは仕方ない・・・。

アイスクリーム店には、何度か、何か所か足を運んだけれど・・・。

念願だった、リンゴンベリーのソルベも今年は味わうことができた。

 

昨日の昼過ぎ、陽気もよかったので島から街の方へ出て、バスを降り、

水辺を歩いて(農園の売店での買い物目的も)ローゼンダールという

農園(公園?)に出かけた。バスを降りた(コンサートホール前)場所

から片道30~40分くらいでたどり着ける距離。

途中、水辺に向かってビキニ姿で日光浴をしている人たちを何人も見た。

この水辺にはホテルが一軒あり、そこの宿泊(滞在)客なんだろうな。。。

お腹が空いたのでトイレ休憩に、民族学博物館に寄り道・・・。

9月半ばから「妖怪」展示をするなどという案内をみながら、トイレに

行くとそこには浮世絵を模したものがドアにつけられていた(苦笑)。

~普段は、白いドア~

休憩後、木陰で休む人たちを横目に橋を渡り、水辺を逸れて森林方面へ。

とても広い、かつては王族の狩猟場だったという土地(島のような)、

ユールゴーデン=全体が今は誰でも入れる公園になっており、その一角に

小さい離宮のようなお城があって、その傍にハーバリウム、カフェ&レス

トラン(ベーカリー)、売店が並ぶ一角がある。リンゴ園もあり、そこに

あるリンゴの木~中には梨の木も~は可愛いパティナ色の札が掛かり

(種類、何年などの記載)どんなリンゴの木か分かるようになっている。

ピクニックエリアなので、通年を通し、ベンチとテーブルを利用する人

たちが多い。カフェで買ってきたものを食べてもいいし、持ち込んでもいい。

もちろん、ごみを捨てるなどのマナーは大事。

古いリンゴの木もたくさん実をつけていたが、今年はドライな夏だったから

実が小さ目だと、子供を遊ばせていたお母さんが教えてくれた。

 

 

ひとしきりリンゴ園で深呼吸、少し読書をした後、再び、水辺に戻り、

来たのと逆の岸を歩いて別の公園の入り口(立派な青い門がある)に出た。

さすがにこの門の傍の広い芝生や門の向こうの橋、大通りには観光客らしい

人々が大勢・・・夏の最後の日を惜しむかのように足早に過ぎていく。

時にカメラを(携帯電話?)を空に向け、時に植物に向け・・・。

 

黄色、白、赤、紫、、、色ごとに花(植物)が植えられ、空と水の青、

周りの大樹の緑、芝・低木の草色が、目をとらえて離さない。

 

美味しい空気は、こんな植物溢れる環境で生まれるんだなと再認識し、

また、深呼吸、この自然あふれる恩恵を実感。

 

農園ブティックでの目的だったモノは、すでに違う品に替わっていて

(今後は入荷しないかも・・)買えなかったが、歩き損だとは感じない。

 

陽光と、水と木々を渡る風と、その音と・・・香りに癒された時間。

 

一人で歩くのは何も考えず、好きな時に写真を撮るために立ち止まれて

のんびりできていいけれど、去年、一緒に歩いた友人たちはここには

もうおらず、寂しさもちょっぴり・・・。

 

一人でも、誰かとでも、こんな場所ならいくらでも歩ける・・・。

去年の10月、ギリシアに帰った友人と歩いた(去年の9月)時に

「4年前ここに初めて来た時、こんな素敵な場所が(自分の住むことに

なった)アパートから歩いてこれるところにあるなんて、なんて素敵なの!と

思ったわ」と興奮して話してくれたのを思い出した。

 

私が初めてここを歩いたのは、到着したばかりの三年半前の1月下旬、

水辺の水は凍り、雪が薄っすらかぶっていた真冬・・・寒くても早朝の光も

また眩しく、枯れ木の木々に雪は映え、公園は美しかった・・・。

 

そんなことを考え思い出しながらの帰路だった。

 

~ 了 ~ 

 

読んでくださって、ありがとうございます。

私の、ストックホルムで一、二を争う(笑)、好きな場所です。

 

 

 

 

 

母が入院し、亡くなった…ことが、この夏の一番大きな出来事なのだけど、

こちらに戻ってから、ようやくフルーツキャッチャーを買ったこと、

これが何よりかな。

 

昨日のブログ(記事)にも、同じことを書いたけれど・・・もう一度。

 

庭にあるリンゴやプラムの木。。。

高い枝に成っている実を毎年、眺めては、あああ、取りたい、食べたい、と

思ってみてきた。

地面に落ちて、ころころどころか、かなり(一面にといいたいくらい)ゴロゴロ

落ちていて、なんとももったいない・・・。

残念ながら、手で取れそうな位置(高さ)に成っているのは少なく、

どうしても梯子とか何かが必要・・・。

サクランボだけは、手で届く枝からもたくさん実が取れる🍒けど、

それでも、さらに高い枝にたわわに実っていて・・・あああ、もったいない。

リンゴの木は梯子をかけるには枝がモサモサしすぎていて無理だろう。

プラムの木は梯子が必要だけど、枝が弱そうで(上るのは危険)

梯子を立てかけるのも躊躇われる・・・。

というわけで、フルーツキャッチャーのお出まし。

最初の夏、大家さんが、昔は庭の果物でおやつは十分だったと言っていた。

本当にそう。。。

 

フルーツキャッチャーのおかげで、青りんご(わずか赤みがさすけれど、

赤くならない種類のリンゴ)とプラムを取って、美味しくいただいた。

プラムは、熟れ頃のを生で食べる! 

新鮮ジューシー、甘くておいしい。

青りんごは、酸味が強いので、ジャムにしてみた。

砂糖の分量、多すぎたかな?と思ったけれど、おすそ分けした友人からは

絶品!との感想をいただき、お世辞でも嬉しかった♡ 

私も、そのままだと甘いけど(そりゃ、ジャムなので)プレーンヨーグルトに

ちょうどいい感じ~と満足。

 

木の、高い枝にはまだまだプラムも熟したのが残っていて…

我が家が購入したフルーツキャッチャーの柄では、足りない・・・。

もう一つ、長い方を買っておけばよかった、、、と反省というか、

(欲張りな?)後悔している・・・。

 

8月19日だったかな、こちらの公立学校も新学期(新学年)スタート。

各国から観光客はまだ大勢来ているようだけれど、地元の夏休みは終わり。

 

私にも、良い夏の思い出ができました・・・。

 

~ 了 ~ 

 

読んでくださってありがとうございます。

 

この夏、初めてトライした(飲んだ) ハマナス・スープに続き、

先日、ブルーベリー・スープも食べて(飲んで)見ました。

スープというだけあって、そもそも温めて飲むモノ、

特に冬は、クロスカントリー大会などでの休憩所の、身体を温めるために

振る舞われる飲み物だとか(ブルーベリースープ)。

ビタミンを補給して、身体を温めて・・・ですね。

 

夏はこちらではもう終わりですが、冬に向けて、クロカン用のトレーニングを

している姿がまた増え始めました。

(スキー板にローラーをつけたようなもので、歩道をスティック使って走る)

 

 

 

外気温12度、薄曇り、少し隣の屋根の向こうに水色の空が見える。

お陰様で、今日も無事に夜が明けた。

 

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昨日は、母の四十九日でした。

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気持ちが滅入らないようにということもあるけれど、庭になったプラムが

もったいないので知人におすそ分けをしようと思ってYさんと街で会うことに

した。そのついでに、、、チョコレートを買った。

私が、この街、ストックホルムに来てからギフトによく使うお店のチョコレート。

一度くらい、お土産で持ち帰ったかもしれないけれど、母は口にしたことが

あっただろうか・・・。

 

チョコレートが好きだった母。

小さな個包装のチョコレートがザっと入った袋を買い、気が向いた時

「一度にたくさんは食べないよ。一つずつ食べるんだよ」と言っていた。

 

今年の冬、私が帰国して(妹のところに居た母に)会いに行った時も、

小さくていいから、たまに一人で食べるチョコレートが欲しいというので、

昔懐かしい、ロッテのイチゴ味のチョコレート(板チョコではなく個包装に

なっているもの)やガーナチョコレートを買って持って行った。

 

家族がいない、留守の昼間・・・なんとなくテレビを見ながら、また、今思えば、

昔を思い出しながらチョコレートをつまんでいたんだろうな・・・。

私の祖母(母にとっては姑)も、チョコレートが好きだった。。。

帰郷の土産に、よくチョコレートを持ち帰ったっけ・・・。

 

帰宅して、そのチョコレートをストックホルムの絵葉書と共に、ひと月少し前、

母の写真が増えた我が家の俄か”仏壇”に備えた。

 

四十九日が過ぎて、母は彼岸の方にたどり着き、生まれ変わるのだとしたら、

その方向にむかったのだろうか・・・。

その前に、会いたかった父や祖母、母の両親たちに会って交わる時間を持てて

いるだろうか。。。

 

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四十九日が過ぎたので、ブログを再開しようと思いました。

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前回の7月のブログ、、、朝鳥の声がして、、、と早朝に書き、「二度寝をする」

と結んだあの日、ちょうど私がここで起きて、窓を開けて、鳥の声を聴いて

書いていたころ、、、母は、その心臓の動きを止める準備をしていたようだ。

~血圧が測定できなくなり、(病室にいた、妹の話)~ 

 

あの日、私が普通に起床した日は、すでに母が旅立つときだった。

あの日、急いで、飛行機を予約、午後の便で帰国した。

 

私が日本に到着した時、母(の体)はすでに病院からも出て、実家に

帰っていた。川崎から新潟の実家まで、遺体を搬送してもらった。

 

幸いなこと、、、この業者はとてもよかった。

一期一会。

お世話になりました。

問い合わせの電話をした時から、母が家に戻るまで、、、。

ありがとうございました。

 

今日も、窓を開けると鳥の声がする。

季節が変わったので、鳥の鳴く時間やにぎやかさは変わっている。

ぢぢぢ、、、も、チチチも、、、話していることは分からないけど、

数種類の鳥がいて、何か交わし合っているんだろうな。

 

毎日の電話でよく鳥の話がでた。

日本にいた頃から、母が座ったまま、縁側の向こうの、窓の外にやって

くる鳥を見て、雪の季節には、わずかに残った南天の実をついばみにくる

鳥がいること、、、きれいな羽根の鳥が時々やってくること、、、。

私が庭のあるこの家に住みだして、ここで目にする鳥の話をして、

母は私の実家のその小さな庭にやってくる鳥の話をしてくれた。

 

電話をするために時計を見る必要のなくなった生活・・・。

私がここに戻って来て変わったのはそれだけだ。

 

目が覚めて、トラムの音を聴く。

朝起きて、窓を開け、鳥の声を聴く。

パソコンのキーボードを叩くテーブルの、そこで顔を上げればサクランボの

木の枝葉が揺れている。

ラジオからはクラシック。

そろそろ朝食の支度をしなくては、と思いながら、私の一日が始まる。

 

お母さん、、、と呼ぶと、声に出すと、まだ喉が詰まる。

何度も何度も、それこそ数えきれないくらい口にしてきた言葉なのに・・・。

 

「お母さん、私だよ」と電話で話し出す、、、時間になって電話をする、

それが、なく(亡く)なっただけ。

 

後悔も、想い出も、まだまだ出そろってはいない。。。

四十九日、もうそんなに経った?という反応の人もいるが、

まだ四十九日、そんな気がする。。。

 

母はやっと彼岸の向こうに逝ったのだ、着いたのだ。

それでも、思えばいつも私のところに居てくれる(※)、私はそう思うのだ。

私には聞こえないし見えないけれど、そう思うことで救われることは多い。

もしかしたら、あの日の午前二時の鳥の声、風の音のように、母は必要と

あらば私の元へやってきてくれる・・・そう信じている。

 

  ーーーーー 🌸 ーーーーー 

 

Yさんは、プラムを喜んでくれた。

一緒にアイスクリームを食べて、コーヒーを飲んで、、、。

晩年、母は眠れなくなるといってあまりコーヒーを自らは飲まないように

なっていたけれど、実家で私がコーヒーを入れると、「いい香りだね、

コーヒーの匂いは好きだよ」と言っていたっけ。

 

この夏、母の葬儀を終えて戻ってから、ついにフルーツキャッチャーを買った。

長い柄の先に、ネットと魚を取る魚籠をプラスチックでごつくした感じの

先っぽ(合体させる)がついたもの。

毎年、地面に落ちるリンゴやプラムをみて、もったいない、取れずに残念と

何度思ったことだろう~。特に、熟れてバーガンディ色になったプラムが

ゴロゴロ頃買っているのを見ると、食べたいというよりも、本当にもったいないと

思って指をくわえてみていた・・・(苦笑)。

この夏、(私の気持ちを上向きにするためか?初めて夫が、買っていいと了承)

フルーツキャッチャーのおかげで、プラムもリンゴもたくさん採れた。

さらに高い枝の方にも熟れた実がなっていて、そこに届かないのは悲しいけれど、

~もちろん鳥にも残しておくし、鳥たちは、人間がとるより先に食べている~

それでも、プラムやリンゴをとるのは楽しい夏のひと時だった。

 

リンゴは酸っぱすぎるので、ジャムに。

プラムは、ちょうどよく熟れたらそのまま、、、。

 

もちろん、今年もサクランボ🍒も、たくさん採れた。

日本から戻った頃にはすでにうわ~っと思うくらい地に落ちていたけれど、

それでも採って味うには、まだまだ十分残っていた。

ご馳走様、自然の恵み、味、、、木々、、、。

 

「仏壇に すもも供えて 遠い空」

「母の声 想い聞こえて チョコレート 彼岸の母に 処暑廻りくる」

 

  ~ 了 ~ 

 

読んでくださってありがとうございます。

 

また、これからもよろしくお願いいたします。

(あまり読者もいませんが~)

私自身のこと、家族のこと、住んでいる場所で感じたこと等、

いつか娘が読むことも有るかと、そんなことを想いながら書いています。

 

※「Signals(シグナル)」(著者:ジョエル・ロスチャイルド)にあるように、

彼らの愛・(霊であれ何であれ)・存在は、そこにある・いると信じている。

 

 

 

 

夜明け前、

日の出、一時間前、、、

窓を開けて、空気の匂いを嗅ぐ。

鳥の声がする、けっこう賑やか。。。

 

毎日、〜いや、毎晩、、、

ほぼ一時間から二時間おきに目が覚めて、

午前2時、、鳥の声が聞きたくて窓を開ける。

 

遠くで囀り、鳴きあっている元気な声を聴いたら、

少しだけホッとする、、。

 

 

〜 了 〜 

 

読んでくださってありがとうございます。

もう一眠りします、

おやすみなさい💤

 

 

 

前回、ブログ記事を書いてからほぼ一か月。

 

庭の黄色い花が満開に咲いたキングサリの画像を母に見せながら

文明の利器のおかげで私も母の顔を見ながら、約30分、チャットを

したその日曜から僅か一週間後の15日、私は羽田空港に降り立った。

 

週明けに母の容態が急変して入院し、余命一週間足らずと診断された

ため、慌てて帰国した。葬儀を視野に入れ、文字通り、持つモノも持たず

とりあえずの帰国。

こんな急な場合でも、行き先が日本ということは実は有難いことである。

なぜなら、、、日本に行けば、とりあえず何でも買える・・・手に入る、

そう分かっているからである。

 

コンビニでおにぎりや飲み物を買うことができる。

勿論、自販機もある。

喪服が必要になっても、黒いストッキングを忘れていても、買うことができる。

何処に行けば何を買えるか・・・わかっている。

これは、本当に、全く知らない異国へ行くのと180度異なる状況で、

日本へ帰るということだけで安堵というか、幸運なことだ。

 

異国、たとえそれが行ったことのある国、たとえば米国でもドイツでも、

長らく(そして近年)住んだことやその国の事情をよく知らない場合は、

行き先が先進国であっても、到着後、何をどこで調達するか?できるか?からが

問題であり、気持ちの上でストレスになるけれど、日本なら、、、

とりあえず帰ればなんとかなる・・・、そう思って帰国できたから。。。

 

結果、母は、思っていたよりも心臓(心肺)が強かったようで、幸いなことに

病院のベッドに横たわる母に面会に行った時には、目を明けて会話もでき、

一緒に行った娘の顔を見て、喜んでくれた。

 

娘も仕事を調整し、上司から急ではあったけれど1週間の休みをもらって

ニュージーランドから日本へやってきた。

母のおかげで、思いがけず(理由は、喜ばしいものではなかったけれど)

娘と4年ぶりに再会し、娘とパン屋やコンビニ、デパートを歩き、一週間

寝食を共にしながら、母の面会に通った。

 

さまざまなアップダウンや変更があり、また、妹と話をし検討し、

私は、6月末に一度、日本を離れ、北の国に戻ってきた(※)。

幸い、母の容態は、低空飛行で血圧も低めのままだが、ある意味、安定して

いる。ただ、ここ二日、妹の呼びかけにも反応が鈍くなり、目を明けても

すぐに閉じてしまう、、、。

 

いよいよなのかな、と思いつつ、、、母が、私と妹に、心の準備やあれこ

れ検討・用意をする時間を与えてくれている、それまで待ってくれているの

だろうと・・・このセオリーは、父が倒れてから三年後に逝った時までの

間に感じたもの・・・思うと、低空飛行とはいえ、”ずっと小走りをしてい

るような状態”という(妹が聴いた看護師さんの言葉)母の身体の負担に

心苦しさ、申し訳なさを感じる。

それでも、いつか、、、近いうちにその最後がやってくる。

 

父がそうであったように、いつか突然、こと切れる・・・息を引き取る。

私の田舎の方では、亡くなる時のことを「目が落ちる」・・・という。

 

目が落ちてから知らせが来るか、いよいよですよと医師から告げられた時に

連絡が入るか、分からないが、次に妹から連絡が来て帰国する時は、

母をあちら側へ見送るために行くことになる。

 

「一回帰るけど、また来るからね」と言って出てきたけれど、次は、

私が来たことを母が認識することはできない状態である可能性が高い。

それはそれで仕方がないと妹には伝えてある。

せめて、意識があって、目が明いて、声にならない息だけのような

声であっても対話ができるうちに会いに行くことができてよかった。

それが叶ったから、、、あきらめもつく。

 

持ち帰ったパソコンを一度も明けることなく、こちらに戻ってきたが、

パソコンどころか、タブレットでも、ブログを更新するために画面に

向かう心の余裕はなかった。

 

北の国に帰国してみたら、キングサリはすでに花の時期を完全に

終えて、種になるらしい若い鞘がたくさん風に揺れている。

サクランボの実がなり、色づき始めている。

 

バラは終わってしまったのか?よく解らないが、モックオレンジ*の

白い花は観ることができた・・・

この一週間の、雨や風ですでにほとんど散ってしまったけれど・・・。

 

まるで季節が先取りされたような、5月から6月に気温の高い夏らしい日が

多かった当地では、7月に入ると、雨や気温の低い日が多く、長そで姿の

観光客だらけだ。

もちろん、涼しい北欧、避暑を求めてここにやってくるのだと思えば、

涼しくても好いのだけれど、晴れれば強い夏の日差しも長続きしないので

泳ぎたい子供たちや観光客には、少し哀しい日が続いている。

 

一方、日本は35度を超える猛暑がやってきていると聞く。

日本では、まだ夏休みが始まっていないのに・・・。

 

父が亡くなったのは、ロンドンオリンピックの最中だった。

今年の夏、今月下旬からはパリオリンピックだ。

私が生まれた年も、妹の生まれた年も、オリンピックの開催年だ。

 

覚えやすいけれど、、、なんだか、恨めしい気もする。

 

パリオリンピックの開会式の前に母は逝くのだろうか。。。

いずれにしても、その時は、周囲の人にとって、あの時が最適だったと

後になって(多くの人が)思うようなタイミングで人は逝く、、、

私はそう思っている。

 

だから、こればかりは、、、母に任せるしかない。

最後まで、私に、私たちに、その姿を見せることで、私たちのいく先を

教えてくれている母。

感謝しながら、、、その時を待っている。

 

~ 了 ~ 

 

読んでくださってありがとうございます。

また、一区切りついたら、何か書きたいと思います。

 

 

※私の場合、生活は北の国にあるので、海老名市にある部屋に帰宅しても

(娘がニュージーランドにもどったため)一人で翌日の面会時間を待つわ

けで、それは、いわば、母が死ぬのを待っている・・・今日か明日かと待っ

ているようなものだという気持ちがぬぐえなかった。

これが、何か怪我の回復や子供の誕生を待つために日々を過ごすものなら

気持ちも明るかったのかもしれないが、”誰かが死ぬのを待っている”という

状況は、~母の場合は、快復する見込みのない、ターミナルケア(看取りケア)

の段階であるため~ それが身内で、老衰や治る見込みのない病気であり、

他人がどうこうできるものではないと分かっていも『誰か(母)の死を待つ』

のは、耐えがたかった。

 

*モックオレンジ= バイカウツギ 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

去年、ほとんど花がつかなくて、数個しか咲かなかった

うちの前にあるキングサリ・・・。

今年は、本当に見事にたくさん花が着いて、満開だ。

 

うちのキングサリだけでなく、沿道に見えるキングサリは、

ほとんど満開状態。

 

黄色いアイリスは今年も元気に花開き、水辺にあるアイリスは

どれも~他の川沿いや池の~きれいに咲き揃っている。 

 

一方、ライラックは、イマイチだったかもしれない。

今年は、花開いたものの、いつもより満開時期が短かったか? 

どの家の垣根のライラックもフサフサ元気というほどではないように

感じた。

 

セイヨウトチノキ(ホースチェスナッツ)、またはマロニエの木の

花も、咲いたな、と思ったえけれど、あまり大きな花にはならないで

すでに色褪せ始めている気がする。

 

植物たちは、、、今年は誰が、たくさん花を咲かせるか?

花を持つ木々たちが相談しているのかな?と思った・・・。

 

タンポポも・・・いつもの春から夏よりも、群生かと思うような花の

咲き誇った時期が、短かったかも? あっという間に綿毛になったなと

思った・・・。

残念ながら、老木の、ハリエニシダは今年、花が少なかった。

仕方ないのはわかってるけど・・・元気なのかな・・・。

せめて、葉っぱが出て来て良かったと思う。

 

気温の(例年よりも早く、5月にすでに暑いと感じる日があった)

上下が関係しているのか? 

その辺りはよくわからないけれど、まるで、植物同士が、毎年、どの花が

どの木(の種類)が、花をたくさん開かせるか・・・植物同士で話して、

取り決めを交わしているのでは??・ なんて思った。。。

 

栄養や水分や・・・木の根っこが、地中で得られる栄養にだって限りがある。

水の~雨の少ない年、たまたま、その植物にとって必要な時期に水分が

少なかったりすれば、大きくなりたくてもなれないし、、、。

私は去年、十分咲いたから、今年は、あなたに譲るわ~なんて、言ってる

かもしれない。

 

そういえば、サクランボは短いというほどではなかったけれど、リンゴの

花の時期は、今年は短かったと思う・・・。

 

さてさて、木々の花だけでなく、道端の草花もまた雪解けの頃のスノード

ロップやクロッカスから始まって、もうすぐラベンダー、なでしこの季節だ。

 

短い夏…とは言わないけれど、~一応、5月から8月くらいの間に~ 

花々は、植物は、一斉に葉を出し茎を伸ばし花を咲かせて、実を結ぶ。

 

今年は、庭の塀のそばにあるオダマキも思ったよりたくさん伸びて花開いて

いる。 

こんなに植わっていたんだな、と・・・。

 

あとひと月もすると、サクランボの実が赤くなる・・・。

そして、庭の片隅にあるクラウドベリーやフサスグリ(レッドカレント)も

実をつける。

 

~ 了 ~ 

 

読んでくださってありがとうございます。

 

身近な植物の、年によって変わる花のつき方、咲いている長さなど

毎年少しずつ違うように感じ、、、もしかしたら、植物同士で地中の栄養や

水分を譲り合っているのかななんて思いました。

 

地上の人間も、資源を譲り合い、分かち合って、地球を大事にして、他の

国の人々とも上手に共存していきたいですね。

 

 

 

 

今日は、ナショナル・デー。

この国の「国の日」祝日。

ちょうど卒業シーズンということもあり、しばらく前から、国旗がデザインされた

ものや、高校の卒業生が被る帽子が描かれたもの(もちろん国旗も)が、さまざま

な店で売られている。青と黄色のテープ、リボン、国旗を持ったぬいぐるみ、

カードや、そして小さな国旗を立てたケーキも。

 

初夏の晴れた日…街中ではパレードや馬のショーなんかもあるのだろと思うが、

郊外は静かなものだ。

車で20分ほどのところにある農場のビストロで、ナショナルデーには、

この国旗がついたイチゴのケーキが売られますよという広告を二日ほど前に

見つけた。そして、ケーキ目当てにいってきた。

シンプルな、スポンジケーキ(ホットケーキっぽい気もする)を二層にして

間にルバーブのジャムか何かを挟んで、上に生クリーム、そしてイチゴの

スライスを載せて飾ったケーキ。

甘すぎずに美味しい。

この国の人は生クリーム大好きなので、たっぷり乗っているのも嬉しい。

 

 

道沿いの多くの家の庭には、国旗が掲げられている。

普段は吹き流し風のシンプルな旗をなびかせている家も、今日は、大きな国旗に

模様替えのようだ。

気持ちよさそうに大空、青空にはためく青に黄色十字の国旗。

 

キングサリも黄色、

水辺に花開いているアイリスも(ほとんどが)黄色。

ほぼ綿毛に変わってしまったけれど少し前までは、タンポポも黄色、

今は、菜の花のような花が黄色で野原や沿道を一面に飾る・・・。

 

青空に映える・・・。

木々の葉の緑にも眩しく、そして涼し気だ。

 

陽光と木々、、、光の象徴ともいえる組み合わせなのだろうな。

 

ここ数日で、ハマナスのような形状の(でももう少し薄い)野ばらの花が

目立つようになった。

ハマナスでも、野ばらでも(ローズヒップは実のことなので)どちらでも

いいけど、いわゆる・・・私がこの夏、飲み始めたNyponsoppa =

ローズヒップ・スープの素を提供してくれる植物かな。。。

うちの裏庭のも咲き始めた。

 

あと二週間もすれば、夏至になる。

この国の人が待ちに待っているミッドサマーの日。

~夏至祭の前夜、ミッドサマー・イブの方が大事かもしれない~。

民族衣装、音楽、ミッドサマーポール、青、黄、白の花束。

そして、、、夏は続くけれど、同時に、一年のもう半分が始まる。

 

この国の夏を今年も楽しめることに感謝。

 

~ 了 ~ 

 

読んでくださってありがとうございます。

昼下がり、、、ラジオからはクラシックとも、モダンともいえない

いわゆるフュージョン系の音楽が流れてきますが、それも、ここによく

聞こえる爽やかな日~日陰の気温は15,16度くらい~です。