今回からしばらく、まだそれほど仲のよくない人と、なれなれしくならないように距離を保とうとしてやる話し方(ストラテジー)であるネガティブ・ポライトネスについて考えていきます。

 

このネガティブ・ポライトネスというのは、人がもつ「他者に邪魔されたくない、踏み込まれたくない」という自己決定の欲求に配慮するものです。

 

これをもう少し具体的に言うと次のようになります。

 

定義上、このタイプのポライトネスは、相手の領域に踏み込むことや直接名指すことを避け遠隔化表現と間接的表現によって、相手を遠くに置き、事柄に直接触れないようにする、表現の敬避性を特徴とする。"回避"または"敬避"のストラテジーと言い換えることができる。

(滝浦真人『ポライトネス入門』,研究社,2008年,p. 39)

 

今回は、神楽坂あやめが、編集部に押しかけてきてしつこく食い下がる山田エルフに帰るよう命じるのに、どのように間接的表現を用いているのかを見ていきます。

 

間接的に命令・依頼を行う表現というのも、間接的表現に含まれるのですが、そもそも間接的であるということを、ブラウンとレヴィンソンがどのように述べているのか、まず見てみましょう。


ストラテジー1 慣習に基づき間接的であれ
このストラテジーにおいて、話し手は相反する圧力に直面している。間接的に言うことによって相手に「逃げ道」(out)を与えてやりたいという欲求と、オン・レコードで事を成し遂げたいという欲求である。このような場合、慣習的な間接性という妥協によって解決が図られる。つまり、その文字通りの意味とは異なるが、(慣習化のお陰で)状況からその意味が明らかになるような語句や文を用いるのである。
(ペネロピ・ブラウン、スティーヴン・C・レヴィンソン『ポライトネス―言語使用における、ある普遍現象―』田中典子(監訳),研究社,2011年,p. 181)

 

これは結局、以前「行為の促しと気配りの公理」で取り上げた、リーチによる「気配りの公理」と似たようなものです。

 

つまり、相手に情報を教えるよう依頼する場合に、「教えろ」よりも、「教えてもらえますか?」の方がポライトで、それよりも「教えていただけるとありがたいんですが?」の方がさらにポライトになり、それは後になればなるほど間接的な言い方になっているからだということでした。

 

実は何か相手の負担となることを依頼する場合、間接的な言い方をすればするほど、はっきり依頼していない(そうしろと言っていない)分、言われた相手は断りやすくなります。

 

ブラウンとレヴィンソンの言う「間接的に言うことによって相手に「逃げ道」(out)を与えて」というのは、このようなことを言っているのです。

 

依頼からの逃げ道というのは、つまるところ、依頼を断ることだからです。

 

滝浦は上記のストラテジー1の例として次のようなものを挙げていますが、これも同じです。

 

例:[依頼の表現は用いず依頼の前提にだけ言及する]

「日程が決まり次第、ご連絡をいただければと思います

(滝浦真人『ポライトネス入門』,研究社,2008年,p. 40)

 

『エロマンガ先生』で、編集部に来てなかなか帰ろうとしない山田エルフに対して、神楽坂あやめが用いているのもこのような言い方です。

 

神楽坂あやめが山田エルフに帰るように言っている最初の言葉から見てみましょう。

 

「だから? そちらで勝手に交渉するのは自由だと言ったでしょ? なんで私が他社に利するような真似をすると思うんですか?」
「フフッ、わがままね! やれやれ、仕方ない……特別にわたしの次シリーズ、あんたのところで書いたげる! それならいいでしょ!」
「え? ダメですけど?」
「えっ、なに? よく聞こえなかったわ。オリコン一位のわたしが、史上最高の美少女ラノベ作家であるこのわたしが、裏切り者の汚名を被ってまで! この出版社で書いてあげてもいいと言ってるのよ? こんな破格の条件、これを逃したら未来永劫ないわよ?」
どんだけ自己評価高いんだよこいつ。
「はぁ〜……そろそろ帰ってくれませんかね―あっ!」


神楽坂さんの目が、隠れて覗き見ていた俺をロックオンした。
やべっ。
「和泉先生! お待ちしてましたよ!」

(伏見つかさ『エロマンガ先生―妹と開かずの間―』電撃文庫,2013年,p. 148)

[アニメ版だとリア充委員長と不敵な妖精のBパート]

 

ここでもし、まったくポライトでない言い方を神楽坂あやめがすれば、「帰れ」あるいは「帰ってくれ」のようなものになるでしょう。

 

ここでの「…てくれる」は、『日本国語大辞典』(精選版)の記述にあるように、「他者の行為の下に付けて、その行為が好意的になされたり、こちらに利益や恩恵をもたらしたりするものであることを表わす」用法です。

 

「くれ(る)」をつければ、山田エルフが帰るという行為が、神楽坂あやめに利益・恩恵をもたらすものであることが明確になるのですが、別にこれはなくてもかまいません。

 

問題となるのは、「そろそろ」という副詞があることと、「…ませんかね」という疑問文になっている点です。

 

「そろそろ」を『新明解国語辞典』(第七版)で引くと、「事態が経過して、問題とする時(状態)が間近に迫っている様子」と定義してあり、さらに「(それでは)そろそろ」などと言いさして、自分の帰宅や、予定の終了の時刻が迫っていることを、相手に知らせるのに用いられることがある」と補足が述べられています。

 

つまり、ここでは「そろそろ」という、予定の終了の時刻が迫っていることを、相手に知らせるための、慣習的な間接性をもつ言い方をまず使って、帰ることを促しています。

 

さらに、「…ませんかね」という疑問文に注目してみましょう。

 

これは、本来〈質問〉を表す疑問文を使って、帰ってくれるか否か訊ねることで間接的に帰ってくれるよう依頼しているのです。

以前「疑問文で質問以外のことをする仕組みと理由」という記事で書いたように、これは依頼という本来ならば命令文によって行うはたらきを、質問を表すはずの疑問文によって、間接的に遂行している手の込んだふつうじゃない言い方で、間接発話行為と呼ばれるものでした。

 

これによって、山田エルフに逃げ道を残すような言い方をして、神楽坂あやめは、大人としてのきちんとしたポライトな言い方をしているのです。

 

ここで神楽坂あやめが山田エルフに「帰れ」とはっきり言ったなら、売り言葉に買い言葉で、山田エルフの方も「なんでそんな言われ方しなきゃいけないのよ」のように言い返して、口げんかになっていたかもしれません。

 

ラノベ版では、同様の言い方を、神楽坂あやめは以下のようにもう一度しています。

 

「ってわけで、山田エルフ大先生のイラストを描くように、あんたたちからも説得しなさい」
「ちょ!」
なに言ってんだこのアマ!
バッ! 俺は神楽坂さんを睨みつける。
担当編集はやれやれとばかりに肩をすくめた。
「山田先生、いまから和泉先生との打ち合わせがあるのでもう帰ってくれません?
「打ち合わせ? そんなのどーでもいいわ!」

(伏見つかさ『エロマンガ先生―妹と開かずの間―』電撃文庫,2013年,p. 154)

[アニメ版だとリア充委員長と不敵な妖精のBパートだが、当該の台詞はなし]

 

ここでは、先ほどの疑問文の使用に加えて、「いまから和泉先生との打ち合わせがあるので」という、帰るよう山田エルフに依頼する理由が述べられています。

 

実はこれは、間接的な言い方のうち、以下のようなものに相当するのです。

 

ストラテジー6 謝罪せよ
FTA を行うことに対して謝罪をすることによってS(話し手)はH(聞き手)のネガティブ・フェ
イスを侵害することを望んでいないことを伝え
、それによって、その侵害を部分的に埋め合わせることができる。

(ペネロピ・ブラウン、スティーヴン・C・レヴィンソン『ポライトネス―言語使用における、ある普遍現象―』田中典子(監訳),研究社,2011年,p. 263)

 

ここで言うネガティブ・フェイスというのは、人がもつ「他者に邪魔されたくない、踏み込まれたくない」という自己決定の欲求のことです。

 

謝罪が相手に対する言葉の上での気遣いをしばしば表すことは、日本人がよく「ありがとう」の代わりに「すみません」と言うことからも明らかです。

 

例:[謝罪を感謝の表現として用いる]

「こないだはどうもありがとう。いつも気をつかってもらっちゃって、ほんと申し訳ないね

(滝浦真人『ポライトネス入門』,研究社,2008年,p. 40)

 

これも考えたら、ちょっと不思議ですよね。なにせお礼を言うのに謝っているんですから。

 

さて、このような欲求を侵害することを望んでいないと伝える1つの方法は、理由があるからしょうがないんだと相手に言うことです。

 

圧倒的な理由を示せ
3 つ目の方法として、S(話し手)は、自分にはFTAを行うやむを得ない理由(例えば、自分自身の能力上の問題)があると主張するかもしれない。それによって、ふつうの状況であれば、S(話し手)がH(聞き手)のネガティブ・フェイスを侵害することなど考えもしないはずであるということを示す。

(ペネロピ・ブラウン、スティーヴン・C・レヴィンソン『ポライトネス―言語使用における、ある普遍現象―』田中典子(監訳),研究社,2011年,p. 266)

 

ブラウンとレヴィンソンが挙げている、これに関する例は以下のようなものです。

 

I can think of nobody else who could... 他にできる人が思いつかないのです。
I simply can't manage to ... どうしてもやりくりがつかないのです。

(ペネロピ・ブラウン、スティーヴン・C・レヴィンソン『ポライトネス―言語使用における、ある普遍現象―』田中典子(監訳),研究社,2011年,p. 266)

 

山田エルフに帰ってもらわなければ困る理由を、「いまから和泉先生との打ち合わせがあるので」と明確に述べることによって、「あなたを嫌って理由もなく追い返しているのではない」というメッセージを間接的に伝え、それによってポライトな言い方にしているのだと言えます。

 

この理由を逆から述べると条件になります。

 

これも同様に、そのようにしないと、どのようなまずい事態が生じるのか相手に伝えることで、やはり「あなたを嫌って理由もなく追い返しているのではない」というメッセージを間接的に伝えることになるからです。

 

この例が、神楽坂あやめが山田エルフを帰らせようとして行っているやりとりの、終わりの部分に見られます。

 

エルフは、カッ、と両目を見開いた。
「わたしがライトノベルよ!」
どんっ! 巨大な擬音を幻視してしまうほどの、凄まじい決め台詞だった。
あまりのド迫力に、俺は気圧され、たたらを踏んだ。
すべてを聞き届けた神楽坂さんが、淡々と言う。
「ライトノベルちゃん、早く帰らないと、そっちの担当編集に苦情を入れますよ


「なっ、ず、ずるいわよ! そんなの!」

(伏見つかさ『エロマンガ先生―妹と開かずの間―』電撃文庫,2013年,pp. 157-158)

[アニメ版だとリア充委員長と不敵な妖精のBパート]

 

以上のように、ネガティブ・ポライトネスのストラテジー1と6をうまく使うことで、大人である編集者の神楽坂あやめは、子供で自分の思っていることを言い続ける山田エルフにうまく対処し、角が立たないようにしているのです。


このようなネガティブ・ポライトネスのストラテジーをうまく使うことで、いわゆる「大人の会話」がうまくできているのだと言ってもいいと思います。

 

神楽坂さん、女子大生的なノリももっていますが、こういうところはちゃんと大人なんですね。

 

私自身、こういうことうまくできない人なので、見習いたいなぁ。

ポジティブ・ポライトネスというのは、仲のよい人と話をするとき、もっと仲良くなろうとしてやる話し方(ストラテジー)で、人がもつ「他者に受け入れられたい、よく思われたい」という他者評価の欲求に配慮するものでした。

ブラウンとレヴィンソンは、これを以下に示す15のストラテジーに下位分類しています。

 

いずれもこのような接し方をされたH(聞き手)は、S(話し手)に受け入れられた、よく思われたと感じるわけです。

 

1. H(聞き手)(の興味、欲求、ニーズ、持ち物)に気づき、注意を向けよ
2. (H(聞き手)への興味、賛意、共感を)誇張せよ
3. H(聞き手)への関心を強調せよ
4. 仲間ウチであることを示す指標を用いよ
5. 一致を求めよ
6. 不一致を避けよ
7. 共通基盤を想定・喚起・主張せよ
8. 冗談を言え
9. S(話し手)はH(聞き手)の欲求を承知し気遣っていると主張せよ、もしくは、それを前提とせよ
10. 申し出よ、約束せよ
11. 楽観的であれ
12. S(話し手)とH(聞き手)両者を行動に含めよ
13. 理由を述べよ(もしくは尋ねよ)
14. 相互性を想定せよ、もしくは主張せよ
15. H(聞き手)に贈り物をせよ(品物、共感、理解、協力)

 

ブラウンとレヴィンソンによると、これらは相互に関連していて、以下のように図示することが可能だということです。

(ペネロピ・ブラウン、スティーヴン・C・レヴィンソン『ポライトネス―言語使用における、ある普遍現象―』田中典子(監訳),研究社,2011年,p. 136)

 

今回は、『エロマンガ先生』からの引用では取り上げなかったストラテジー3、6、11、13、14のうち、残りの3つについて、ブラウンとレヴィンソンや、滝浦の挙げている例と共に紹介していきます。

 

ストラテジー11は次のようなものです。

 

ストラテジー11 楽観的であれ
協力的ストラテジーに関する視点を切り替えて、逆の見方をすれば、H(聞き手)がS(話し手)の欲求をS(話し手)のために(あるいはS(話し手)とH(聞き手)双方のために)自ら望んでおり、それを手に入れるのを助けてくれるだろう、とS(話し手)が仮定するということになる。つまりS(話し手)が、H(聞き手)は自分に協力してくれるだろうと無遠慮ながらも期待するならば、当然S(話し手)もH(聞き手)に対して同様の協力を惜しまない、という暗黙の拘束が生じる。あるいは少なくとも、それが互いに共通の利益になるのだから、H(聞き手)はS(話し手)に協力してくれるはずだという暗黙の要求を伝える。

(ペネロピ・ブラウン、スティーヴン・C・レヴィンソン『ポライトネス―言語使用における、ある普遍現象―』田中典子(監訳),研究社,2011年,pp. 172-173)

 

これは、「人間関係の距離を縮めるか維持するかの決定要因」という記事で、お金を貸してくれるよう依頼する場合にどう言うのかを取り上げた例が参考になります。たとえば仲のよい同僚にお願いする場合、相手との仲の良さに対してアピールし、相手の存在意義やプライドを認めるような言い方、例えば「ねえ、お金貸してくれるよね」のような言い方をすることを、以前述べました。

 

このように無遠慮に、ある意味楽観的に、相手にお願いをするということは、逆の立場になったときに自分もそうしてあげると暗に言っていることになるということです。

 

これはなかなか面白い考え方だと思うのですが、みなさんどうでしょうか。

 

私も確かに、このように楽観的にお願いできるのは、自分も逆の立場ならそうしてあげられるほど仲のよい相手だけだという気がします。

 

次のストラテジーを見ます。


ストラテジー13 理由を述べよ(もしくは尋ねよ)
H(聞き手)を行動に取り込むもう1つの側面は、S(話し手)がなぜ自分がその欲求を持つのかについて理由を述べることである。自らの実践的推論にH(聞き手)を取り込み、反射性(H(聞き手)はS(話し手)の欲するものを欲している) を想定することにより、H(聞き手)はS(話し手)のFTAに妥当性を見出すことになる(あるいは、そうなるようにS(話し手)は望んでいる)。

(ペネロピ・ブラウン、スティーヴン・C・レヴィンソン『ポライトネス―言語使用における、ある普遍現象―』田中典子(監訳),研究社,2011年,p. 176)

 

これもちょっとピンと来ないかもしれませんが、以下のような例を見れば理解しやすいかと思います。

 

これはGoogle Booksにあった小説からの引用ですが、母親が反対しているにもかかわらず、エンリケという人物が子どもに乗馬を教えようとしている場面です。

 

「ママ! どうして乗馬を教えてもらっちゃいけないの? ここではみんな乗ってるよ」
「私は乗っていないわ」
「それも改善できるよ」エンリケがすかさず言った。「僕が教えてあげよう。絶対楽しいから。馬に乗れたらあちこち見て回れるし。じゃあ早速、明日初レッスンをどう?」
(アン・メイザー,青山有未(訳)『アンダルシアの休日』,ハーレクイン文庫版,Google Books)

 

ここで話し手のエンリケは、聞き手の子どもに、なぜ自分が「乗馬を教えたい」という欲求をもつのかについて理由を述べています。

 

具体的には、乗馬を自分が教えることで、子どもは馬であちこち見て回るという楽しい経験ができるからだということです。

 

皆さんも、仲のよい人に何か提案をするとき、ついついその提案を自分がしたい理由を言ったりしませんか

 

このような言動は、実はポジティブ・ポライトネスのストラテジーの1つだったのです。

 

最後のストラテジーを見ます。

 

ストラテジー14 相互性を想定せよ、もしくは主張せよ
S(話し手)とH(聞き手)の間に協力関係があることは、双方でやりとりされる相互の権利や義務の証を示すことにより、主張されたり、納得されたりすると考えられる。S(話し手)は実際、次のような言い方をすることがある。「あなたにX をしてあげますよ、もしあなたが私にYをしてくれたら」(I'll do X for you if you do Y for me) 、または「先週私はあなたにXをしてあげたから、今週あなたは私にYをしてください」(I did X for you last week, so you do Y for me this week) (あるいはその逆) 。

(ペネロピ・ブラウン、スティーヴン・C・レヴィンソン『ポライトネス―言語使用における、ある普遍現象―』田中典子(監訳),研究社,2011年,p. 177)

 

皆さんは、仲のよい友人と飲みに行ったりしたときに、「今日おごってくれたら、次に飲みに行く時は私がおごるよ」とか、「こないだおごってくれたから、今日は私がおごるね」のような会話をしたことがないでしょうか。

 

実はこのような関係というのは、よく考えてみると、仲のよい人としか成り立ちません。

 

それほど仲がよくない人にこのようなことを持ちかけると、おそらく不信感を抱かれたり、変な顔をされたりすると思います。

 

以上で、ブラウンとレヴィンソンによるポジティブ・ポライトネスのストラテジーをすべて紹介しました。いかがだったでしょうか。

 

「あっ、確かに私と仲のいいあの子の会話に当てはまる」とか、「あるある」とか思っていただけたのなら、紹介した意義はあったと思います。

 

次回以降は、それほど仲のよくない人と、仲が悪くならないようにするための、ネガティブ・ポライトネスについて見ていきます。

ポジティブ・ポライトネスというのは、仲のよい人と話をするとき、もっと仲良くなろうとしてやる話し方(ストラテジー)で、人がもつ「他者に受け入れられたい、よく思われたい」という他者評価の欲求に配慮するものでした。

ブラウンとレヴィンソンは、これを以下に示す15のストラテジーに下位分類しています。

 

いずれもこのような接し方をされたH(聞き手)は、S(話し手)に受け入れられた、よく思われたと感じるわけです。

 

1. H(聞き手)(の興味、欲求、ニーズ、持ち物)に気づき、注意を向けよ
2. (H(聞き手)への興味、賛意、共感を)誇張せよ
3. H(聞き手)への関心を強調せよ
4. 仲間ウチであることを示す指標を用いよ
5. 一致を求めよ
6. 不一致を避けよ
7. 共通基盤を想定・喚起・主張せよ
8. 冗談を言え
9. S(話し手)はH(聞き手)の欲求を承知し気遣っていると主張せよ、もしくは、それを前提とせよ
10. 申し出よ、約束せよ
11. 楽観的であれ
12. S(話し手)とH(聞き手)両者を行動に含めよ
13. 理由を述べよ(もしくは尋ねよ)
14. 相互性を想定せよ、もしくは主張せよ
15. H(聞き手)に贈り物をせよ(品物、共感、理解、協力)

 

ブラウンとレヴィンソンによると、これらは相互に関連していて、以下のように図示することが可能だということです。

(ペネロピ・ブラウン、スティーヴン・C・レヴィンソン『ポライトネス―言語使用における、ある普遍現象―』田中典子(監訳),研究社,2011年,p. 136)

 

今回は、『エロマンガ先生』からの引用では取り上げなかったストラテジー3、6、11、13、14のうち、初めの2つについて、ブラウンとレヴィンソンや、滝浦の挙げている例と共に紹介していきます。

 

ストラテジー3をブラウンとレヴィンソンは次のように説明しています。


ストラテジー3 H(聞き手)への関心を強調せよ
H(聞き手)の欲求をS(話し手)も共有していることを伝えるもう1 つの方法は、「面白い話をすること」で自分自身(S) がその会話に貢献することに関心を持っているという熱意を強調することである。これは、「迫真的現在時制」(vivid present)で表されることもある。例えば、これはポジティブ・ポライトネスによる会話によく見られる特徴であるが、活き活きと描写される話の中にH(聞き手)を引っ張り込むことで、比喩的にではあれ、内在的なH(聞き手)への関心を増幅させて伝えることになる。
例を挙げよう。

I come down the stairs, and what do you think I see?―a huge mess all over the place, the phone's off the hook and clothes are scattered all over...
階段を下りてくる、そして私か何を目にするか、分るかい?―そこらじゅう、ものすごい散らかりようだ。電話は外れているわ、服はあっちこっち散らばっているわ...

(ペネロピ・ブラウン、スティーヴン・C・レヴィンソン『ポライトネス―言語使用における、ある普遍現象―』田中典子(監訳),研究社,2011年,pp. 141-142)

 

これは要するに、話し手自身が体験したことを、生き生きと聞き手に面白おかしく語るというものです。

 

英語の場合、淡々と客観的に語る場合、過去のことは過去時制で語るのですが、生き生きとした語りをしたい場合、現在時制にしたりします。

 

日本語だと、過去時制(厳密には日本語の場合、完了形と考える方がよいのですが)をわざわざ使いはしないのですが、上の英語の例と同様に、自分の見聞きしたことを、親しい人にたたみかけるように話し続けることが、これに相当すると考えられるでしょう。

 

ただし、それほど仲良くない人にこのような話し方をすると、よくしゃべるうるさいやつだなーと思われるかもしれません。

 

関西人はよく、こういう話し方をすると、私は個人的に思っているのですが、みなさんはいかがでしょうか。

 

次のストラテジーを見ていきます。

 

ストラテジー6 不一致を避けよ
形だけの同意
H(聞き手)に同意したい、もしくは同意していると見せたいという願望は、「形だけの同意」(token agreement)へとつながる。[…]話し手が巧みに言い回しを工夫し、同意に見せかける、あるいは不同意を隠すような例は英語には数多くある。相手の言葉に対しあからさまにNo とは言わず、実際にはYes, but... と受けるといった具合だ。

(ペネロピ・ブラウン、スティーヴン・C・レヴィンソン『ポライトネス―言語使用における、ある普遍現象―』田中典子(監訳),研究社,2011年,p. 153)

 

これは、意見が一致しない場合に、いきなり違うと言わないで、いったん相手の言い分をある程度認めた上で、自分の本音を述べるというものです。

 

これは、リーチの「合意の公理」とほぼ同じものと考えてもいいのですが、ブラウンとレヴィンソンはちょっと興味深い例を挙げています。

 

A: That's where you live, Florida? そこに君は住んでいるんですね、フロリダに
B: That's where I was born. そこで生まれたんです。

(ペネロピ・ブラウン、スティーヴン・C・レヴィンソン『ポライトネス―言語使用における、ある普遍現象―』田中典子(監訳),研究社,2011年,pp. 153-154)

 

この例では、Bの現在住んでいるところをフロリダだと勘違いしたAが、Bにそのように言ったところ、Bは違うとは言わず、フロリダは生まれた場所であると主張することで、今住んでいる場所とは違うことを暗に示す形にとどめています。

 

これによってAが自分の知識が誤っていたことを指摘される形で自分のよく思われたいという他者評価の欲求を否定されることなしに、会話は進みます。

 

Bはそうすることで、Aの面子を傷つけることなしに、自分の言いたいことを伝えているわけです。

 

もう一つ面白い例を見ておきましょう。

 

もしみなさんは、自分が両親とうまくいっているのに、誰かに「君はお母さんとお父さんを嫌っているんだよね」のように言われたら、なんて答えますか。

 

「いや、大好きだよ、なんてこと言うんだ、君は」などと言うと、相手によっては、自分が正しいと思っていることを否定されて、その結果、自分のよく思われたいという他者評価の欲求を否定されて、むっとするかもしれません。

 

そういう場合には、次のように答えるという手もあります。

 

A: You hate your Mon and Dad. 君はお母さんとお父さんを嫌っているんだ
B: Oh, sometimes. まあ、そういう時もあるね

 

これによって、Aの面子は保たれ、Bは「そういう時」という特殊な時以外は、「お父さんとお母さんを嫌っていない」ということを、何とか伝えることができます。

 

みなさん、どうでしょうか。特にこのストラテジー6は、Aが勝手にBと仲良しだと思い込んでいる面倒くさい人である場合に、Aの自分のよく思われたいという他者評価の欲求を否定することなしに、うまくAを扱う方法だと言えるでしょう。

 

みなさんのまわりには、このストラテジー6で取り上げた例のAのような人はいませんか。いれば、このように話すことで、少しは角の立つのを防げるかもしれませんね。