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さんきちの「え~のんか~」

ラジオ、乗り物、食を中心とした内容になるかと…。
ホームページもありますので、よろしかったらご覧ください

MBSヤングタウン木曜日(ヤン木)のコーナー紹介。
今回は”ミュージカル落語”です。

このコーナーは、お題となる鉄道沿線の駅名を使ってダジャレの替え歌を作るものです。
歌は、基本的に鶴光師匠が歌いますが、最新(当時)の曲などメロディがわからないときは、角アナか西端弥生が歌うこともありました。

1983年9月8日より
※今回の宿題は、「山手線」の新宿~東京間北側(池袋、上野方面)

♪鳩
〽ぽっぽっぽ、鳩ぽっぽ、駒込(豆)がほしいか、そらやるぞ。みんなで中野区(なかよく)食べに来い。
♪かあさんの歌
〽母さんが夜なべをして、池袋(手袋)神田(編んで)くれた。
♪ちいさい秋みつけた
〽田端(誰か)さんが、田端(誰か)さんが、田端(誰か)さんが見つけた。
♪会津磐梯山
〽エンヤ~、会津磐梯山は高田馬場(宝の山)よ。
(山口県・ストップ淳一くん)

♪サンタ・ルチア
〽神田(サンタ)ールチーアー、神田(サンタ)ールチーアー
(大阪府・エンタニトシオさん)

♪上を向いて歩こう
〽上野(うえを)向ーいて、歩こーう
♪カナダからの手紙
〽ラーブレター、フロム、神田(カナダ)ー、もしも田端(あなた)が日暮里(一緒に)いたら―。
(大阪府・ナガタトモヤさん)

♪小指の想い出
〽田端(あなた)が神田(噛んだ)、小指が痛い。
♪うさぎのダンス
〽田端(タラッタ)、田端(ラッタ)、田端(ラッタ)、うさぎのダンス。
(東京都)

♪あんたがたどこさ
〽神田(あんた)がたどこさ、肥後さ、肥後どこさ。
(大阪府ヤスマサヒデユキさん)

♪お馬の親子
〽お馬の親子は仲よしこよし、いつでも一緒に日暮里、日暮里(ポックリ、ポックリ)歩く
(大阪府・マー坊の天気予報さん)

♪ひなげしの花
〽御徒町(丘の上)ひなげしの花でー。
(大阪府)

♪ガンダーラ
〽神田(ガンダ)ーラ、神田(ガンダ)ーラ
(山口県・オオニシヒタサダさん)


次回の宿題は片町線(現、学研都市線)
以下、鶴光のお手本。

片町:
京橋:〽グランシャトーが、おまっせ。
鴫野:
徳庵:「徳庵堤に差し掛かりますと、主従無礼講そのまた陽ぉ気なこと、ドドンドンドン」(落語・野崎詣りより)
鴻池新田:「おっ、鴻池の旦サンやおまへんか。」
住道:
野崎:〽野崎詣りは、屋形船で参ろう~
四条畷:「アンタ(角)の住んでるとこや!」〽白い白いおうち、誰が誰が建てた~(♪シャボン玉)
忍ヶ丘:〽京都にいるときゃ、忍と呼ばれたの~。長万部にいるときは・・・(♪昔の名前で出ています)
東寝屋川:
星田:
河内磐船:〽河内のオッサンの歌~。
津田:
藤阪:
長尾:

・・・お手本とは思えないようなものもありますが、ご愛嬌ということで。

end
駅弁ではありませんが、列車の中で食べたい弁当ということで、東京駅に隣接する大丸B1にて購入。
弁松は創業から160年続く老舗で、東京を代表する弁当のひとつとして度々メディアにも紹介されてます。

今回は定番の並六を選びました。

並六1

二段重でボリュームたっぷり。
今では珍しくなった経木の折が、かつての駅弁らしさを醸し出してます。

並六2

江戸を代表する弁当だけに、煮物や焼き物が中心。
揚げ物が入って無いのも嬉しいです。
なんと、小さいながら東京のソウルフード"ちくわぶ"(実は生麩)もあります。

煮物の濃さは江戸の味つけそのもの。魚の照り焼きもぷりぷり感が最高。
中でも、上座を占める卵焼きは自慢の一品だけあって、程よい弾力に老舗の技を感じます。
全体的に甘辛いものが主ですが、そんな中で生姜の辛さが丁度よい箸休めに。
白飯が冷めてもふっくらした感じが残されており美味しい。
上品な甘さの豆きんとんは、デザート感覚でいただけます。

車窓を流れる東京の街を眺めながら食べるには、ぴったりの一品です。



サンスペ投稿コーナー、今回から2回にわたって”愛の告白コーナー”を紹介します。

リスナー(主に女性)から寄せられた、恋愛ストーリーを紹介するもので、投稿としては
長編ですが、構成がしっかりしておりレベルの高いものになっています。

当時、鶴光師匠は20代後半で、言わば噺家では二つ目クラスといったところでしょうが
年齢を超えた熟練の感情表現に、思わず聞き入ってしまうのでした。

1976年8月22日より

私は、夏の終わりとともに、一つの愛にピリオドを打ちました。
1年間愛し合った二人でしたが、やはり結ばれない運命だったのでしょう。
決して嫌いになったわけじゃないんです。
ただ、けじめをつけたかっただけなんです。

彼と出会ったのは、私が短大に入り始めて出席した大学の講義の時です。
ざわついた教室の中にはいいてきた彼は、教壇の上に立つと
「今日から文学を君たちと一緒に考えていきたい。よろしく。」
と、照れながら言って、長い髪を手でかきあげました。

その仕草が可愛く、また可笑しかったのか、何人かの人が笑い、
それでまた彼も余計に照れて顔を真っ赤にしてしまったのでした。
彼の恥ずかしそうなそんな表情、可愛く思いました。

それからというもの、毎週1回彼の講義になると、私は一番前の席に座り、
一生懸命彼の話に耳を傾けたのでした。

彼は、今まで私の前に現れた男性と違い、若いわりにはどことなく影があり、
人生に疲れた表情がなんとも言えず、私の母性本能をくすぐるのでした。

そして、ある日私は思い切って、講義が終わってから彼の研究室を訪れたのでした。
いつもの照れたような表情で、彼は私の質問にまるで恋人と語らうような優しい調子で
応じてくれました。
あっという間に時間が過ぎ、私が研究室から帰ろうとした時、彼が私の耳元でそっと
囁いたんです。

「一度、食事でもしましょうか?」

それがきっかけとなり、二人は会う回数を増やしていきました。
彼の照れた表情の奥にある影の部分。
私は、そんな彼の影の部分にどんどんと引きずり込まれてしまったんです。

去年の夏休みになる前、いつものように私が研究室に入っていくと、彼はいきなり
私を激しく求めました。
あまりのことに、私は彼を突き飛ばすと研究室を飛び出してしまったんです。
最後の一線を越えるにはあまりにも急だったし、それに、私には親の決めたフィアンセが
あったからです。

私の家は、田舎で大きな病院をやっており、そこにいるインターンの人と、私が短大を
卒業したら結婚するということに親が決めていたんです。

その人は父の病院に私が高校に入学した時に来て、最初のうちは病院の仕事をするという
よりも、私の勉強をみる時間が多く、非常に親切で真面目な人でした。
父はその人に病院を継がせるつもりだったんです。

その人のことが頭にあったからというわけではないのでしょうが、私は彼から求められた
時に思わず拒んでしまったのです。

そして、私は夏休みに家に帰りました。
でも、フィアンセのインターンの人は、どことなく物足りなさがあったんです。
一緒にいても、ただいたずらに時が流れていくだけでした。
いい人だなぁとは思うんですが、それ以上の気持ちはどうしてももてないんです。

私は、もう東京に帰りたくて帰りたくて、彼に会いたくて、一番列車に飛び乗ったのでした。

東京に着くと、すぐに私は彼のアパートに駆けつけました。
今考えると、何故そんな行動に出たのか自分でもよくわかりません。

そして、その夜私と彼はとうとう結ばれたのでした。
日焼けした彼の厚い胸の中で、私は全身の歓びを感じたのでした。
そして、その行為が終わった後、一筋の涙が光りました。
でも、悲しくて泣いたのではないのです。
ただ、寂しさと、嬉しさと、怖さが入り混じって、たぶん出た涙だと思います。

その日から、私はすべてが変わったみたいです。
今まで、一人娘でわがまま放題に育った私が、彼に一生懸命尽くす女になり、
もう私の心には、田舎にいるフィアンセのことなど全くありませんでした。
心も体も全て彼に与えつくし、それが最高の幸せだと思うようになってしまいました。

でも、そんな甘い生活は、やはり長続きはしませんでした。

最近、彼は突然「俺、アメリカの大学に研究のため留学することになった。
お前も一緒に来るかい?」と言ったんです。
その言葉を聞いた私は、しばらくの間呆然とし、何も言えませんでした。
もう、彼なしでは生きていけない。でも、私がアメリカに行くということまでは、
考えもしなかったからです。
二十歳の私が、はたして彼と一緒にアメリカに行って、うまくやっていけるのだろうか?
まだまだ世間知らずの私が・・・
私は急に不安になりました。
今まで彼しかいないと思って、どこまでもついて行くつもりだったのに・・・
なぜか不安がどんどん広がるばかりでした。

その時、なぜか田舎の両親とフィアンセのことが思い出されたのです。
「そうだ、私にはいつまでも待っていてくれる人がいる。」
ということが、奇妙な安心感を私に与えてしまったのです。

彼が出発する日、私は見送りに行きませんでした。
彼のために流す涙を、彼に見られたくなかったのです。
そして、彼は一人で旅立って行きました。
そのあとの消息は、私にもわかりません。

私は、来月フィアンセと式を挙げます。
さようなら。私の好きだった彼へ。

(不明)


サンスペの歴史を彩った18人のアシスタントについての思い出です。
今回は坂上とし恵です。
以前ご紹介した"崖っぷちトリオ"の一員として、1983年3月までつとめました。

生年月日:1964年3月16日
出身地:広島県

高校在学中より自宅から70km離れた広島市内のタレントスクールに通いレッスンを受け、
はじめはスクールメイツとして活動します。
後に渡辺プロダクションのオーディションに合格し、それを機に上京。
1981年にNHKの歌番組レッツゴーヤングで、日高のり子とともにサンデーズの
メンバーになります。
1982年に1stシングルが発売され、その年の9月より崖っぷちトリオの一員として
サンスペのアシスタントに加わります。

鶴光師匠とは、クイズ・ドレミファドンで共演していたこともあり、結構息も合ってました。
交代制のアシスタントだったので、毎週出演というわけにはいかなかったのですが、
サンスペ最終回にはゲスト出演してくれるなど、番組に対する思い入れはあったようです。

坂上とし恵で忘れてならないのが、松本明子との関係。
当時2人とも国立にある渡辺プロの寮に住んでいましたが、後に松本明子がサンスペの
アシスタントになった時、番組の中でその暮らしぶりを暴露されることになります。
松本明子の家族とも面識があるようで、1983年に(明子の)母親がサンスペに電話出演
したとき、「アッコのおばさん」「とし恵ちゃん」と呼び合うほどでした。

サンスペ卒業後はバラエティ番組を中心に活動していましたが、徐々に露出が減ります。
ちょうどその頃、笑っていいともでデビューした野々村真と交際が始まったようです。
お互い仕事が少なく苦労したようですが、しばらくして野々村真が世界・ふしぎ発見
ブレイクし、その甲斐あって1995年にようやく結婚にこぎつけました。

二人のお子さんにも恵まれ、最近は鬼嫁(笑)として時々夫婦でテレビに出演することも。
2013年には、長女が芸能界デビューし、順風満帆な日々を送っているようです。

本人は特に情報発信していませんが、夫や長女のブログで時々近況に触れることができます。

MBSヤングタウン木曜日(ヤン木)のコーナー紹介。
今回は”ミュージカル落語”です。

このコーナーは、お題となる3つの音を使って物語を作ります。

1983年9月8日より

先週の宿題:バイクの走行音、タイプを打つ音、太鼓の音(民族音楽より)

高校時代は暴走族の一員で (バイク)、
毎晩ディスコで踊っていたが (太鼓)、
今では娘も社会人になり (タイプ)、
商社で働いております。
(旗本退屈男さん)

ドキュメント ~ あるボクサーの話
一人の青年が田舎から出てきて、ついにタイトルマッチに挑戦できる日がきた 。
挑戦者の入場です (太鼓)。
激しい打ち合いの末(タイプ)
はかなくKOされ、救急車で運ばれました(バイク)。
(尼崎市)

ヤン木の3人は、10月改編後のため技術を身につけようとしています。
(西端)弥生は、タイピストになりたくて (タイプ)、
鶴光は、地方巡業のために、オートバイの免許を取ろうとしております (バイク)。
そして、サル爺(角)は、踊りの稽古に精を出しています (太鼓)。
(兵庫県・キタガワヤスオさん)

※次週のお題:ポンポン船、アヒルの鳴き声、地獄のオルフェ 第3部(天国と地獄より)

- 鶴光の例 -
あ~、二日酔いやなぁ~ (ポンポン船)
心臓が、こない高鳴っとる。
あぁ、気分悪ぅなってきた(アヒルの鳴き声)
えらいことした、会社に間に合わへんがな!(地獄のオルフェ 第3部)

end