鶴光のオールナイトニッポン・サンデースペシャル(サンスペ)の歴史を彩った、
18人の
アシスタントについての思い出。
今回は”やけっぱちトリオ”(後のトリオ・ザ・ゴミ)です。
好評だった交代制アシスタント”崖っぷちトリオ”の後を受け、1983年4月より登場しました。
人選は、当時番組担当だった田村ディレクターが、次の3つの基準で行ったそうです。
1.好評だったミッドナイトストーリーができること。
ミッドナイトストーリーを月一度のペースで行う企画があり、その頃にっかつロマンポルノの
”あんねの子守唄”に主演し大人気だった”小森みちこ”を抜擢。
2.演歌を生で歌える。
4時台は、年齢層がやや上のリスナーも少なくないことからよく演歌をかけており、
その流れでカラオケコーナーを作ろうという企画があり、歌のレパートリーも多く、
当時アイドル演歌歌手で売り出していた”柳沢純子”に決定。
3.盛り上げ役がいる。
投稿ネタやイントロ当てクイズなど、リスナー参加のコーナーをさらに盛り上げるため、
ゲストで来たとき大騒ぎしていた”松本明子”を採用。
こうしてみると、大橋恵理子、日高のり子(盛り上げ役)や芦川よしみ(演歌&セクシー)など、比較的長く務めたアシスタントの要素が盛り込まれたといったところでしょうか。
結果は、3人とも強烈なパーソナリティーで、数々の珍事件を起こしたり話題を振りまいたりと、ネタには事欠かず、文字通りサンスペがフィナーレするまでの2年間を大変盛り上げてくれました。
トリオ名は、はじめのうち”やけっぱちトリオ”でしたが、3人とも芸能界ではなかなか芽が出ず、1年後に”トリオ・ザ・ゴミ”という、なんとも悲惨な名前に改められます。
次回からは、その後の活躍も含め、3人のそれぞれをご紹介します。
end
あけましておめでとうございます。
本年も当ブログをお引き立てのほどよろしくお願いします。
MBSタングタウン木曜日(ヤン木)のコーナー紹介。
角アナの、プロにまったく引けを取らない芸が聴きどころのコーナーです。
1983年9月8日より
漫才(無題)
角:わんばんこー、あっという間に9月でんなー。
鶴:ほんま、やかましいガキがおらんようになってホッとしますねぇ。
角:ところで9月1日は何の日か知っていますか?
鶴:えーと僕の誕生日でもないし、誰かの結婚記念日やったかいな、それともアンタの命日?
角:アホなこと言いないな。今日は防災、9月1日は「防災の日」やがな。
鶴:松なんかよろしいね。
角:それは盆栽でしょ。
鶴:キュウリ、キャベツねぇ。
角:それは野菜。
鶴:君とこの嫁ハンのこと。
角:それは悪妻。こら、何を言わすねん。「防災の日」というのは、災害を防ぐ日のことをいうんやがな。
鶴:あ、そうでしたか。
角:僕とこなんか、万が一のことを考えて大事なものを一つの袋にまとめてすぐ持って逃げれるようにしてるんですよ。
鶴:ほう、大事なものというと?
角:食糧とか、多少のお金やがな。せやけど札束が重すぎてにげられるかなぁ。その点君は軽いからいいねえ。
鶴:とんでもございません。私とこもちゃらちゃらと、ぎょうさん入って重たい重たい。
角:なぁんや、小銭ばっかりや。
鶴:娘の小遣い借りてまんねん。
角:情けないなぁ。そんなんで大地震でも起きたらどないすんねんな。
鶴:僕のところも、ちゃあんと避難袋用意してまんがな。
角:ちゃんと食糧とか入ってんやろな?
鶴:いや、いざというとき僕がそこに入れって嫁ハンに言われてまんねや。
角:君が入ってどないすんねん。
鶴:これで2、3日は食いつなげる言うてました。せやから僕も安心してまんねん。
角:カマキリの夫婦やがな。君とはやっとれんわ。
鶴、角:はー、さいならー。
(わらじ家ちず子さん)
本年も当ブログをお引き立てのほどよろしくお願いします。
MBSタングタウン木曜日(ヤン木)のコーナー紹介。
今回は”夜の憩い”です。
このコーナーは、リスナーが投稿した漫才のネタを、ド角&ド鶴が演じるものです。角アナの、プロにまったく引けを取らない芸が聴きどころのコーナーです。
1983年9月8日より
漫才(無題)
角:わんばんこー、あっという間に9月でんなー。
鶴:ほんま、やかましいガキがおらんようになってホッとしますねぇ。
角:ところで9月1日は何の日か知っていますか?
鶴:えーと僕の誕生日でもないし、誰かの結婚記念日やったかいな、それともアンタの命日?
角:アホなこと言いないな。今日は防災、9月1日は「防災の日」やがな。
鶴:松なんかよろしいね。
角:それは盆栽でしょ。
鶴:キュウリ、キャベツねぇ。
角:それは野菜。
鶴:君とこの嫁ハンのこと。
角:それは悪妻。こら、何を言わすねん。「防災の日」というのは、災害を防ぐ日のことをいうんやがな。
鶴:あ、そうでしたか。
角:僕とこなんか、万が一のことを考えて大事なものを一つの袋にまとめてすぐ持って逃げれるようにしてるんですよ。
鶴:ほう、大事なものというと?
角:食糧とか、多少のお金やがな。せやけど札束が重すぎてにげられるかなぁ。その点君は軽いからいいねえ。
鶴:とんでもございません。私とこもちゃらちゃらと、ぎょうさん入って重たい重たい。
角:なぁんや、小銭ばっかりや。
鶴:娘の小遣い借りてまんねん。
角:情けないなぁ。そんなんで大地震でも起きたらどないすんねんな。
鶴:僕のところも、ちゃあんと避難袋用意してまんがな。
角:ちゃんと食糧とか入ってんやろな?
鶴:いや、いざというとき僕がそこに入れって嫁ハンに言われてまんねや。
角:君が入ってどないすんねん。
鶴:これで2、3日は食いつなげる言うてました。せやから僕も安心してまんねん。
角:カマキリの夫婦やがな。君とはやっとれんわ。
鶴、角:はー、さいならー。
(わらじ家ちず子さん)
東京駅でかつて売られていた駅弁です。
現在のとんかつ弁当とはだいぶ趣が異なっており、以前ご紹介した千葉駅並みにユニークなタイプです。
パッケージはチキン弁当と同じ形です。
炊き込みタイプのカレーピラフは油っぽくなく、カツとの相性も抜群。
とんかつも冷めている割には、柔らかかったです。
子供だけでなく大人にも受けそうな感じですが、程なくして終売になりました。
そういえば、カレーの駅弁はかつて柳井駅などいくつかあったような気がしますが、残っているのは佐賀駅ぐらいなものでしょうか。
また復刻してくれませんかねぇ。
現在のとんかつ弁当とはだいぶ趣が異なっており、以前ご紹介した千葉駅並みにユニークなタイプです。
パッケージはチキン弁当と同じ形です。
中身はカレーピラフととんかつが4枚
炊き込みタイプのカレーピラフは油っぽくなく、カツとの相性も抜群。
とんかつも冷めている割には、柔らかかったです。
子供だけでなく大人にも受けそうな感じですが、程なくして終売になりました。
そういえば、カレーの駅弁はかつて柳井駅などいくつかあったような気がしますが、残っているのは佐賀駅ぐらいなものでしょうか。
また復刻してくれませんかねぇ。
サンスペ投稿コーナー、前回に引き続き"愛の告白コーナー"です。
1977年12月18日より
だって、彼は私の最も嫌いなタイプの人だったんです。
1977年12月18日より
(ナレーション)
何気ない毎日のなかで、ふと心に浮かぶ遠い日の思い出。
青春というには、あまりにも若すぎたあの時の2人。
いま、忘れられないあの日のことを、そっと振り返る愛の告白コーナー。
(本文)
男と女の縁って、とっても不思議なものなんですね。
まさか、あの人とこんなふうになるなんて、思ってもいませんでした。
だって、彼は私の最も嫌いなタイプの人だったんです。
会社には、いつもサングラスをかけ、どことなくくずれた感じで、
遊び人という噂があって、同じ会社の女の人なんかも何人か泣かされたということでした。
それに、時々厚化粧をし和服を着た水商売風の女の人が、昼間っから会社に訪ねてくるような人だったんです。
本当だったら、卒業前にお見合いをした人と卒業したらすぐに結婚することになっていました。
でも、私は何故か卒業してすぐ主婦になるなんて考えられなかったんです。
1年間という約束で、強引に会社勤めをさせてもらうことにしたんです。
もちろん、周りの人たちは家族をはじめ全員大反対でした。
しかし、その時フィアンセの彼が
「まだ若いんだから1年間社会に出ていろいろと見るのもいいかもしれないね。」
と賛成してくれ、私は自分の意思通りOLになりました。
今考えると、これがそもそものつまづきというか、私の人生を180度変えることになってしまったのでした。
会社勤めを始めてみると、中学から短大までずっと女の子たちだけで暮らしてきた私にとって、見るもの聞くもの驚くようなことばかりなんです。
フィアンセの彼は毎日のように電話をくれデートに誘ってくれました。
最初のうちは、フィアンセの彼の優しさに、私は幸せな日々を送っていたのです。
お酒の味も覚えました。ちょっぴりタバコも吸いました。
そして、夜の公園で彼に抱かれはじめてのキス。
私は、彼の優しさに包まれて、結婚する気持ちを一日一日強くしていったのです。
それが、ある1日の出来事が私をこんなにも変えてしまうなんて・・・
会社の忘年会があり、私たちは若い人たちばかりで、酒の勢いも手伝い2次会へと繰りこんだのです。
私も、こんなにたくさんの人と一緒に楽しくお酒を飲むのは初めてで、
普段フィアンセの彼からも「強いね、君」と言われたものだから、つい調子に乗ってお酒をぐいぐいと飲んでしまったのです。
3次会、4次会と続き、私が憶えていたのはそこまででした・・・
気が付いたときには、生まれたままの姿で見たこともないような部屋にいたのです。
大きなベッドに真っ赤な座布団と2つの枕。
私は、何が起こったのかまったくわかりませんでした。
お酒の勢いが体中に回っているようで、頭の中がぼうっとしていました。
その時、バスタオルを巻いただけの男の人が、いきなり部屋に入ってきたのです。
私は思わず布団をかぶりました。
すると、すかさず男の人が言ったのです。
「やっと気が付いたのか・・・。大変だったんだぞ。」
その声の主が、あの遊び人風の男だとすぐに気が付きました。
そうです。
私はこの男に20年間守ってきたものを、お酒に酔ったために、知らないうちに奪われてしまったのです。
彼が言うには、私が入社してきたときから感じるものがあったということで、
べつに遊びのつもりでこうなったわけじゃないと真剣な表情で言ったのです。
私は、こんなに力強い真剣な彼を見たのは初めてで、怖いような体が身震いするような戦慄を覚えたのです。
もちろん、はじめは彼を恨みました。
でも、恨んでも彼のあの真剣な顔つきだけは、私の心に焼き付いて離れませんでした。
それからというもの、フィアンセの方には次第に気まずさだけが増していき、とうとう親の反対を押し切り別れてしまったのです。
そのことを彼に話すと、一瞬戸惑ったような顔つきになりました。
でも、いつもの真剣な表情になって、
「そうか、やっと俺だけのものになってくれたんだな。」
いつになく優しさを持っていました。
しかし、毎日のように彼に誘われるままベッドを共にしていると、ふと言い知れぬ不安に陥ることがあるんです。
決して彼が嫌なわけではありません。もう彼についていくしかできない私です。
でも、何かが違うような気もするんです。
何にも知らなかった頃。
フィアンセの彼とあどけないデートをしたこと。
懐かしく思い出したりします。
でも、今はどうにもならないことなんです。
抱かれているときの幸せ。
彼だけを信じて生きていくしかないのでしょうか。
彼と離れているときの不安は、私自身が後悔している証しなのでしょうか。
今の気持ちが、正直言ってよくわからない。
でも、幸せなのでしょう。
(東京都・S子さん)
歴代アシスタントにはカウントしていませんが、1976年の一時期出演していた折原真紀も忘れることのできない一人です。
彼女は、当時サンスペと雑誌”平凡パンチ”がタイアップした”若者文化大賞”という企画があり、そのコーナーの特別アシスタントをしていました。
生年月日:1955年3月10日
出身地:岩手県
身長:158cm
若者文化大賞とうのは、オールナイトニッポンと平凡パンチがタイアップして作った企画で、その当時起きたあらゆる出来事(事件からグラビアアイドルまで)をランキングするものです。
彼女は、その年の7月から10月までの間レポーターとして2:00台に10分弱のコーナーを担当していました。(ちなみに、1回目のレポートは5つ子のお父さんでした)
ルシーラ卒業後、そのまま次のアシスタントになると思いきや、翌年公開の東映映画”日本の首領”に出演することが決まり、そちらで多忙になったのか、若者文化大賞のコーナー終了とともにサンスペを降板しました。
1977年は映画やドラマに出演していましたが、それ以降は次第にフェードアウトしていたようです。
余談ですが、鶴光師匠も出演した時代劇”人形佐七捕物帳”に、回は重なりませんが、出演していたこともあります。
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彼女は、当時サンスペと雑誌”平凡パンチ”がタイアップした”若者文化大賞”という企画があり、そのコーナーの特別アシスタントをしていました。
生年月日:1955年3月10日
出身地:岩手県
身長:158cm
若者文化大賞とうのは、オールナイトニッポンと平凡パンチがタイアップして作った企画で、その当時起きたあらゆる出来事(事件からグラビアアイドルまで)をランキングするものです。
彼女は、その年の7月から10月までの間レポーターとして2:00台に10分弱のコーナーを担当していました。(ちなみに、1回目のレポートは5つ子のお父さんでした)
ルシーラ卒業後、そのまま次のアシスタントになると思いきや、翌年公開の東映映画”日本の首領”に出演することが決まり、そちらで多忙になったのか、若者文化大賞のコーナー終了とともにサンスペを降板しました。
1977年は映画やドラマに出演していましたが、それ以降は次第にフェードアウトしていたようです。
余談ですが、鶴光師匠も出演した時代劇”人形佐七捕物帳”に、回は重なりませんが、出演していたこともあります。
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