さて、前回の続きです。
笠岡市の龍王山城趾に行ったら、八大龍王神社を見つけたまでをお伝えしましたが、次は本命の龍王神社(高龗神社)へと向かいます。
場所は、
福山市の神辺町に近く、日枝(ひえ)神社の奥にありました。
ただ、地図を見てもらうとわかりますが、ハタのある所が龍王山ですが、福山市というのは龍王山の無い地域だと分かりますよね。(ゼロかどうかは詳しく調べないとわかりませんが。)
日枝神社(祭神が大山咋命)の勧請に合わせて山名も山王山となっています、山王とは大山咋命の仏教的な呼び名ですが、ここでも神道が初期仏教である事を間接的に伝えています。(神主さんは神仏習合の為だと習ったようです。)
龍王神社であり、高龗神社です。
岩を御神体としていて、摂社の扱いの様です、高龗神が龍王である事を示しているとは思いますが、ここが本社とは言えなさそうてすね。
神主さんに聞くと、龍王神社で祭神が、高龗神だからだと説明していただきました。
他の地でも見られた、岩を祭神と見立てています。
一つ勉強になったのは、神主さん曰く、「雨を降らせたい時は高龗神を呼び、雨を止ませたい時は闇龗神を呼ぶ」んだそうです、だから蔵王(ざおう)の高龗神社には闇龗神が祀られていると説明を受けました。
初めて聞いた説明ですが、なるほど中世以降にはその様な解釈で信仰していた事が伝わっている様です、しかし、それは事実としても真実は別の話でしょう!
まず「靇(おかみ)」という漢字は雨冠に龍ですから、雨を降らす役割を担っていたと考えられます。
龍神は雨を降らせる効果がある神様とされていますが、龍神のなかで人工降雨をしていた人が「靇」を名乗った様な印象を受けます
。(他の龍神は神仏に頼むのでは?)
昔の請雨は大きく火を炊き、上空にチリをまき、雨を降らせるやり方なのですが、コレは科学的にも有効である事は私も昔、人工降雨実験の話を読んだ気がします。(ただし成功率は高く無いのですがね。)
そして闇龗神は「出雲のくらみの国」にあったので、闇龗神となった訳ですから、雨を止ませる事なんて出切っこありません、だから闇龗神も雨を降らせるやり方を知っていたと考えます。
じゃあ高靇神の「高」はというと、私は一族の名前が高一族ではないかと推測します。
闇龗神の父は大山積と伝承していることと、くらみの国が出雲にある事です。(だから、母方が龍王の娘で、父は太伯系の消された大山積か?)
つまり、出雲から福山市へと出て来ているんじゃないかなという訳です。
まだまだ情報がたりませんが、段々と核心に迫っている気がします。
次は蔵王山の高龗神社にむかったのですが、途中で面白い神社を見つけたので、ちょっと寄り道です。
「天別(あまつわけ)豊姫神社」とあります。
参道は立派でキレイでした。
祭神は予想通り「豊玉姫」です、玉野市の玉比咩神社では「玉比咩(たまひめ)」と豊玉姫を伝えていましたが、ここでは逆に「豊姫(とよひめ)」と豊玉姫を伝えています。
これは私の仮説通りじゃないかと考えます、豊一族では豊玉姫の幼名を豊姫と呼び習わしていた証拠だろうと思います。(ちょっと笑えますが……、)
双方がうちのコよと言っていたので、じゃあ両方でとなって「豊玉姫」に落ち着いたと分かる気がしますね。(大笑いですけど…)
階段の途中にあった摂社ですが、吉備津彦でしょうか?
階段の上に神社がありました、古い証拠です。(周りが海の時代なので)
社殿はシンプルで、狛犬は「角あり角なし」
、玉比咩神社と同じく空神の立場であることを示していました。
右から「天別豊姫神社」と書いている様です。
という訳で、豊一族は豊玉姫の生まれた頃には福山に進出していた様子が分かりました。
この後に豊の国(豊前・豊後)を興し、神武天皇の後ろ盾になっていきますから、ブイブイ言わせていた時期だろうと思います。
では、本命の蔵王山の高龗神社へ。
また、この神社を地元の人は「蔵王権現」と称す事から、蔵王権現とは「闇龗神」を指す言葉なのかもしれません。(その場合は初期仏教的な行者名が「蔵王権現」で、龍王系としての役割が「靇(おかみ、アメフラシ)」だろうと思います。 今の印象では帝釈天の系譜じゃないのかなという印象がありますが、証拠はありません。
m(_ _)m
もう少し色々と巡れば分かるかもしれませんね。(ここが近くで良かったです。)
龍海