小野小町(五代目)の末裔、小野龍海の歴史研究

小野小町(五代目)の末裔、小野龍海の歴史研究

 五代目、小野小町(小野吉子)の子孫としての記録と記憶及び小野一族・ご先祖の研究・成果、趣味の紹介

 

 

 では、前回の続きから考察したいと思います、意訳文を書くのが面倒なので、単語やら表現やらで引っ掛かるものだけをピックアップしていきますね。ウインク

 

 

  初っぱなから牛頭天王の風貌を伝える一文が出ました、「頭に黄色の牛面を載せ、両角は尖っていて真っ直ぐ」と書いています、これを読むとコノ時代でもコスプレをしていた事が分かりますね~。

 

 私がコスプレと書くから遊んでいると思ってはいけません!、メソポタミアでも「魚族」は魚の格好をしていました、これは私は正装だと考えています、他民族に畏れを抱かせる為のギミックでもあり、精神的には牡牛神を身に宿らせる装束であり、立場を配下にある者に見せる象徴ある姿でもあると考えます。

 

Copilot作 牛頭天王

 

OPEN AI作 牛頭天王

 

 でも、この牛頭天王、誰なんでしょう?

 

 読んでいて素戔嗚尊(須波佛陀)須佐之男では無いようです、文意からすれば師子頬ショウキ帝)のような気がしますが、前回考察した「天形星」も師子頬の事でしょうか?

 

 というのも、「その勢いは非常に大きく何事も膳に盛られた料理を食べる如くに為す」とか、「顔は曲がっていて他の人と異なっている」、「故に后宮は有ったことが無い」と書いていて、内容的には師子頬の事のようなんです。(※他の文献では獅子のごとく強かった事は書いていました。)

 

 どう読んでも「」のようなので、インドラ牡牛神も兼任していましたが、この時代は師子頬牛頭天王として牡牛神の称号を継いでいるようです。(※もしくはとしてあったら牡牛神で、在野の将として有る場合が牛頭天王かも知れません。)

 

 牛頭天王という称号は最強の男に冠せられる称号のようである事が分かります。

 

 それと、続きを読んでいると、「コレは皆さんも読みたくなるかも...」と思うような内容なので、AI君に和訳をさせて龍海が微調整して、意訳を載せた方が良いかもしれません。(※間違った解釈をしていたらご勘弁を...)

 

つらつらとおもんみれば、北天竺(北インド)の摩迦陀国(マガダ国)、霊鷲山の艮(うしとら=北東)にある波尸那城のさらに西、吉祥天の源たる王舎城に一人の天皇がおられました。名を商貴帝(しょうきてい)と申し上げ、かつては帝釈天にお仕えしていたお方です。

帝はかつて帝釈天に仕え、天上界(善現天)で遊び、三界(全世界)の星々を司る「天刑星(てんぎょうせい)」と呼ばれていました。しかし、その深く熱心な信仰心ゆえに、今この娑婆世界へと降り立ち、牛頭天王と号されるようになったのです。

そのお姿は、頭に黄色の牛の面を載せ、二つの角は真っ直ぐに尖って、あたかも夜叉のようでした。その勢いは凄まじく、何事も膳の料理を食べるが如く成し、その容貌があまりに世の常とは異なっていたため、后を迎え入れる后宮がありませんでした。

国の民(四姓)はみな、これを悲しみ嘆きました。

「我が君は片時も政(まつりごと)を怠らず、ゆえに国家は豊かに潤っている。帝が楽しみ、民が安らぐ世であり、国境は静かで、道には争う声もない。五日に一度風が吹き、十日に一度雨が降るという理想的な気候で、種を蒔かずとも穀物は実り、求めずとも宝は集まってくる。……しかし、后がおられぬのでは、どうして後の世に楽しみがありましょうか」

その時、虚空(空の彼方)から瑠璃鳥(るりちょう)という青い鳥が飛来しました。その形は翡翠(カワセミ)に似て、声は鳩のよう。鳥は帝の檻(手すり)の前に止まり、さえずりながら帝に告げました。

「私は天帝(帝釈天)の使いです。あなたとは元々、固い同盟を結んだ仲でした。女(むすめ)の名は天刑星、私の名は毘首羅太子(びしゅらたいし)。私とあなたの親密さは、一つの体に二つの頭を持つ『共命鳥(ぐみょうちょう)』のよう。言葉こそ違えど、志に違いはありません。我らは天帝に仕える、一羽の鳥の双翼であり、一台の車の両輪のような存在でした。

しかし、あなたは信仰の志が深かったために、今この人間世界(閻浮提)に下生し、転輪聖王の位に就かれました。それなのに后も侍女もいない。それゆえ天帝は私に命じ、あなたに教えを授けに来たのです。

これより南の海に、娑羯羅(しゃがら)龍宮があります。そこには三人の美しき姫がおります。第一は金毘羅女(こんぴらにょ)、第二は帰命女(きみょうにょ)……。さあ、北海の龍宮、難陀・跋難陀(なんだ・ばつなんだ)の城へ向かい、嫁として迎えなさい
」と書いています。

※Gemini訳

 

 ちょっと修正を入れましたが上手いこと訳すものです。びっくり

 

 意味としては概ね正しいと思います。

 

 結局は天形星とは天帝の娘の事を指すようですので、その場合天帝とはアヌシャカになるようです、そして天形星は結局、龍宮の事で正しいようです。

 

 

 さて、いくつか私の知識と違うものが出てきました、これまでは龍宮シャカラ龍王神大市姫)が初代龍宮かと考えてきましたが、この時点ですでに龍宮は存在していたようです。(つまりは先代がいるってなりますね凝視

 

 加えて天帝の娘が「天形星」となりますから、龍宮とは別人の可能性もあります、またこの舞台がどこなのかが焦点になりそうですが、コレは「日本」の話で間違いないと思います。

 

 

 この時代は上図のように呼んでいたと推測されます、インドまで海路でいける彼らは南海も庭のようにしていたと推測できるからです。(※5500年前には海路で行けるようになっていたと思われる)

 

 これを証拠づけるモノが岡山市東区にある「神前(かむさき)神社」に残されているからです。

 

三海水神

 

 私はこれを綿津見における領海域と考えたのですが、その前段階を表す表現という方が適切なのかもしれません。

 

 そして南海にある今の四国は今でも南海道の名を残し、4600年前から大月姫の国である事が竹内文書に書かれているからです。

 

大食作媛国(大月姫の国)

 

 この大月姫の国が徳島県にあった事を突き止めているからです。

 

 

 龍宮天石門徳島の「石門」を模して造っていると思われます、よってルーツが徳島の「石門」の所にあると考えています。

 

 

 つまりは先代も徳島石門あたりに居た事が推測出来るからです。

 

 それから難陀跋難陀龍王の城へ向かえと言ったのも笑えます、私の考察からは難陀龍王龍宮の息子の面足尊跋難陀龍王龍宮の娘の「倉稲魂」だからです、そして牛頭天王のことを「北海の竜宮」と称しています、つまりは出雲王朝牛頭天王という意味でしょう。

 

 

 結局は3~4世代をごちゃ混ぜに伝承していると考えて良さそうです、ただ南海の竜宮龍宮の先代に当たると思われ、見つけたい気持ちになります。

 

 だいたいの場所は分かっていても、地名に残らないので難しい条件になります、徳島の古文献をあさって「龍宮山」の名が残っていれば良いのですが、まぁ難しいとは思います。

 

 それと金比羅って女性だったんですね~、金毘羅神社のある山はアワナギの亡くなった場所ですが、祭神は大物主で、大物主大国主和魂とされていて、おおむね大国主と同じ人物とされています。

 

 でも大国主とは須佐之男の事で、アワナギ大物主)の養子に入っている関係で混乱が生じている様子もあります、そのアワナギを祀る神社が金毘羅神社という意味がこれまで分からなかったのですが、これでアワナギの娘だと推測する事ができますね。

 

 アワナギの娘が何人いるかは分かりませんが、一人は白山姫なのでもう一人いて、それが金毘羅と考えるべきなのでしょう、ただ金毘羅の勢力が大きくなったのは息子の代からではないかと推測します。(※相当強かったと推測しています。)

 

 よって文中に出てくる、シャカラ龍宮とは「アワナギの引退地」となると象頭山(琴平山)だと思われます。(※意外に近かった...)

 

 だんだんと具体的になってきましたね!ウインク

 

 続きを楽しみにしましょう!

 

 龍海