昨日が重かったので今日は軽く「太陽と月」にいつ分かれたのか考察してみたいと思います。
ちょうどキリストの誕生するタイミングで生まれた「アマテル」は中国系日本人の末裔として大王となる権利を有していました、しかしその前から日本へと戻っていたシャカ族ですが、これは他者からの呼称であるため、本人達は月読族と自称していたと考えられます。
イサナギ・イサナミは暫定王家として国内の調整を行っていたと考えられ、両王家の話し合いの元、決まったのがアマテルが太陽の大王、ツキヨミが月の大王とする二大王家の鼎立ではなかったかと推測します。
↑ 太陽と月の紋章
この両者の連合は「天つ神」連合であり、古来よりの陰陽思想を体現したものであるため、双方とも異議はなかったと考えます。
しかしこれによりハブられる勢力が一つあります、それが「クナト王」の勢力です、クナト王はドラヴィダ人と表現される通り、人種としては日本人ではないものの、おそらく石器時代に遡るほど日本人と共存していた民族と考えられ、ドラヴィダ系日本人と呼べる民族だったと考えられます。(たぶんメソポタミアやエジプトにも従属していた)
実力的には一大勢力でもあり、クナト王に近しい者達はヤマタノオロチ・熊襲・蝦夷となり、最終的には「アイヌ・琉球の民」となって日本人に合流する事になりますが、不当な扱いをされてきた歴史があるものと推測します。
アメリカへと進出した日本人にはドラヴィダ系日本人も多くいたと考えられ、単純に日本人がという訳でもなさそうです。
※全てのドラヴィダ人がではなく、日本人と同化していたドラヴィダ人がいたのだと考えます。ラピタ人もそれに該当するのではないかと推測します。
ではでは、本題に戻りますが、メソポタミアでは「王権は天(神)から下される」と表現される通り、「天(神)が決めるもの」と解釈されていました、これが日本の「天つ神」の由来だと考えられます。
言葉通り神様は「天」に居たと考えていた事が分かりますが、12000年前のギョベクリペテ遺跡に既に在るとおり、12000年前には「生命の木→ジェド柱」というイメージがすでに定着していた事が分かります。
このギョベクリペテ遺跡を主として築いた日本人が「牡牛」をモチーフとしていた王がいてメソポタミアを開きます、そこへ7500年前の鬼界カルデラの大噴火により熊本が噴火による火山灰土により住めなくなった為、熊本の日本人部族「海の民=日系ドラヴィダ人?」が合流して、牡牛と蛇の王家が誕生しています。
縄文遺跡にも二つに分かれていた遺構が見つかっていますので、この思想は更に古いものであると考えられ、大陸に進出していた陽の大王の下へ日本の陰の大王が合流したイメージなのか、それとも部族のモチーフだったのか、ともかく牡牛と蛇の日本人がメソポタミア文明を興したと言えると思います。
その後になって4000年前の富士山周辺に住んでいた伏羲(ノア・天御中主)はメソポタミアにあって「大洪水」に遭います、これは最初のメソポタミアの牡牛神が二卵性の双子であった事や大洪水にあった事と同じ内容であった為、牡牛神の再来として伏羲(ノア)は扱われたと考えられます。
※伏羲・女媧は二卵性の双子と思われる内容がインドに残されていました。
伏羲(ノア)と神農(ヤペテ・蚩尤)は拠点を中国へと移し最初の統治者となったようです、そして中国を「支那」と呼んで分家扱いされました。
中東やエジプトには王家がありましたが、中国には無かったので日本から見ると統治下にあったので「分家」と呼んだ可能性があると思います。
※中東は他の王族と共存、部族連合国家だったと考えます。
伏羲は中国の大王、子のギルガメッシュはメソポタミアの大王、孫のイムホテプはエジプトの宰相と、この瞬間は中国からエジプトまでなかば支配していたという表現が出来ると思います。(※部族連合国家としてですが、統一王朝とは違う形態でです。)
この時に文化の大きく違う二地域を「太陽と月」に分けた可能性があると思います。
イムホテプの後裔は月氏族となってカザフスタンからインドまでを支配地域にしている様子がシャカ族やサカ族の居た地域として確認できます、これは同時にエジプトの交易の勢力範囲でもあり、中東の日本人は主に商人として交易の中心をなしていたと考えられます。
4000年前に大きく「太陽と月」をモチーフとする部族に分かれたとする仮説になりますが、月氏族は紀元前3世紀頃と比較的若い時代の分類になります。
ですので、私のいう月氏族とは原始の月氏族、呼び方は全く違うものだったと考えられ、最終的には「月」を民族のモチーフ(既に意味は分かっていなかった可能性が高いと思います、なにせ2000年も後なので)としたので、月氏族と呼ばれ出したと考えます。
この伏羲からの2000年の日本人の足取りは、ほとんど解明されていないといって良いでしょう、その中で2600年前のインドで「釈迦」が仏教を説き、2000年前のイスラエルのナザレ村で「イエス」がキリスト教を、同時代に日本で「アマテル」が天つ神連合を興した事は非常に「日本人の特質を象徴(神懸かっている!?)」していると考えます。
ですので私の仮説としては伏羲の系譜で中国の日本人が「太陽」のモチーフを、メソポタミア・エジプトにあった日本人が「月」のモチーフを使い、日本人の勢力が最大であった時代に分かれたとしたいと思います。
龍海