サイパン総集編 供養に行こう 一日目
サイパンにて供養をさせて頂こうと思う人のために
サイパン戦没者供養2日間コースをつくりました
マッピ地区は午後4時以降は治安が悪いため
最初に行っておく方が良いでしょう
ここでは日本軍が撤退した順にまわります
①オレアイ海岸とチャランカノア海岸
昭和19年6月15日
米軍がサイパン上陸を果たした海岸
これらの海岸よりヒナシスの丘までの間で
136連隊・河村隊・18連隊第一大隊・戦車第9連隊・旅団315大隊・316大隊・海軍唐島隊の殆んどが壊滅した場所です
上陸時の米軍もこの場所で3500名も死者が出ている
範囲が広いため海岸からヒナシスの丘に向って供養をします
②民間人の墓
1万人以上の犠牲を出した民間人のための墓があります
この敷地内に136連隊や18連隊の碑も建てられてます
このように交通量の多い道路の交差点の角にあるため
車を止めるのに注意が必要です
ここは①の上陸時の攻防の場所ですから
ここでこのあたり一帯の供養をすると良いです
③黒木大隊慰霊碑
ヒナシスの丘の今の空港へ向う道からタポチョ方向に山を登ると
黒木大隊が大砲を撃ち続けた場所に着きます
今では綺麗に囲いがされ部隊全員の名の入った碑も建てられてます
大砲は固定されて天に向ってます
この地が黒木大隊の生存者全員が戦車に向って玉砕突撃した場所です
④アスリート飛行場跡地
現在のサイパン国際空港の横にアスリート飛行場の滑走路があります
アギーガン岬の旅団守備隊は米軍上陸時に
よく大砲を撃ち続けました
最後は全滅してます
サイパン国際空港敷地内に第47旅団の碑が建てられてます
旅団の碑の中に佐々木大隊の単独の碑も建てられてます
北海道部隊らしく碑の形は北海道の形です
佐々木大隊はナフタン岬に孤立し、最後はアスリート飛行場に向けて
全員玉砕突撃をして果てました
⑤死の谷
タポチョ山から見た死の谷周辺
飛行機から見たタポチョ山とその下に死の谷
この死の谷の攻防で米軍が1000人以上の死者を出した
河村大隊と118連隊の生存者らは、地形をうまく利用して
戦果をあげたところです
しかし、この場所の横の道を通り過ぎることぐらいしか
出来ないと思っておいた方が良いであろう
危険な場所です
⑥タポチョ山
ガラパンから見たタポチョ
反対側から見たタポチョ
頂上の様子
上陸した米軍はヒナシスの丘を占領後、
このタポチョ山を目指して北に向った
ここを占領することを最重要作戦とした
また、終戦後も生き残り兵が潜伏していたのも
この周辺の洞窟でした
頂上から東西南北全てに向って供養をしたいものです
⑦ドンニー野戦病院跡
転々と移動した野戦病院ですが
ここドンニーの洞窟はかなり巨大でした
500人から1000人は入れる大きさです
ここが野戦病院としては最後と思われ、地獄谷に移動の際には
動けない負傷者数百名はここで自決しました
お経を唱え、線香を沢山焚き、お供物とお酒を沢山お供えしたいものです
ドンニーとはトウガラシの意味で
トウガラシが多く取れるからドンニーと呼ばれた
この野戦病院跡に行く道中は後日特集を組みます
⑧マリア像
ドンニー地区ではありますが
これはマリア像が祭られキリスト信者がミサをします
このマリア像の横奥にも洞窟があります
ここでもかなりの死者があるようです
奥の洞窟を線香とお酒で供養します
初日はこれぐらいにしておきましょう
タポチョ山とドンニーの野戦病院に行けば
かなり疲れます
靴は登山靴ぐらいを準備しておいた方が良いです
それと半ズボンは避けたほうが良いです
供養に行こうとするならば
民間人は沖縄・福島の方々が多かったから
産地の名物が喜びます
そして各場所で亡くなった部隊もそれぞれ出身地があります
そのあたりを考えて準備すると良いでしょう
私は香りの良い線香、酒は古酒、お供え物は飴玉を準備します
それでは明日は二日目をご案内しましょう
サイパン戦没者供養2日間コースをつくりました
マッピ地区は午後4時以降は治安が悪いため
最初に行っておく方が良いでしょう
ここでは日本軍が撤退した順にまわります
①オレアイ海岸とチャランカノア海岸
昭和19年6月15日
米軍がサイパン上陸を果たした海岸
これらの海岸よりヒナシスの丘までの間で
136連隊・河村隊・18連隊第一大隊・戦車第9連隊・旅団315大隊・316大隊・海軍唐島隊の殆んどが壊滅した場所です
上陸時の米軍もこの場所で3500名も死者が出ている
範囲が広いため海岸からヒナシスの丘に向って供養をします
②民間人の墓
1万人以上の犠牲を出した民間人のための墓があります
この敷地内に136連隊や18連隊の碑も建てられてます
このように交通量の多い道路の交差点の角にあるため
車を止めるのに注意が必要です
ここは①の上陸時の攻防の場所ですから
ここでこのあたり一帯の供養をすると良いです
③黒木大隊慰霊碑
ヒナシスの丘の今の空港へ向う道からタポチョ方向に山を登ると
黒木大隊が大砲を撃ち続けた場所に着きます
今では綺麗に囲いがされ部隊全員の名の入った碑も建てられてます
大砲は固定されて天に向ってます
この地が黒木大隊の生存者全員が戦車に向って玉砕突撃した場所です
④アスリート飛行場跡地
現在のサイパン国際空港の横にアスリート飛行場の滑走路があります
アギーガン岬の旅団守備隊は米軍上陸時に
よく大砲を撃ち続けました
最後は全滅してます
サイパン国際空港敷地内に第47旅団の碑が建てられてます
旅団の碑の中に佐々木大隊の単独の碑も建てられてます
北海道部隊らしく碑の形は北海道の形です
佐々木大隊はナフタン岬に孤立し、最後はアスリート飛行場に向けて
全員玉砕突撃をして果てました
⑤死の谷
タポチョ山から見た死の谷周辺
飛行機から見たタポチョ山とその下に死の谷
この死の谷の攻防で米軍が1000人以上の死者を出した
河村大隊と118連隊の生存者らは、地形をうまく利用して
戦果をあげたところです
しかし、この場所の横の道を通り過ぎることぐらいしか
出来ないと思っておいた方が良いであろう
危険な場所です
⑥タポチョ山
ガラパンから見たタポチョ
反対側から見たタポチョ
頂上の様子
上陸した米軍はヒナシスの丘を占領後、
このタポチョ山を目指して北に向った
ここを占領することを最重要作戦とした
また、終戦後も生き残り兵が潜伏していたのも
この周辺の洞窟でした
頂上から東西南北全てに向って供養をしたいものです
⑦ドンニー野戦病院跡
転々と移動した野戦病院ですが
ここドンニーの洞窟はかなり巨大でした
500人から1000人は入れる大きさです
ここが野戦病院としては最後と思われ、地獄谷に移動の際には
動けない負傷者数百名はここで自決しました
お経を唱え、線香を沢山焚き、お供物とお酒を沢山お供えしたいものです
ドンニーとはトウガラシの意味で
トウガラシが多く取れるからドンニーと呼ばれた
この野戦病院跡に行く道中は後日特集を組みます
⑧マリア像
ドンニー地区ではありますが
これはマリア像が祭られキリスト信者がミサをします
このマリア像の横奥にも洞窟があります
ここでもかなりの死者があるようです
奥の洞窟を線香とお酒で供養します
初日はこれぐらいにしておきましょう
タポチョ山とドンニーの野戦病院に行けば
かなり疲れます
靴は登山靴ぐらいを準備しておいた方が良いです
それと半ズボンは避けたほうが良いです
供養に行こうとするならば
民間人は沖縄・福島の方々が多かったから
産地の名物が喜びます
そして各場所で亡くなった部隊もそれぞれ出身地があります
そのあたりを考えて準備すると良いでしょう
私は香りの良い線香、酒は古酒、お供え物は飴玉を準備します
それでは明日は二日目をご案内しましょう