米軍上陸地点 激しい水際での戦闘 | 太平洋戦争の傷痕 次世代への橋渡し

米軍上陸地点 激しい水際での戦闘

6月15日明け方、サイパンの周りには大小艦船755隻の米上陸輸送船団が海上一面に姿を現し、上陸作戦の準備を始めた

10万人の地上部隊・25万人の水上部隊の米軍は4時45分、日の出と共に2時間の全艦一斉射撃を上陸地点に向け撃ち続けた

6時になると兵員と兵器を乗せた陸揚船34隻と各種砲・弾薬を満載した輸送船団14隻が姿をあらわし、艦砲射撃と戦闘機からの空爆の中、700隻を超える水陸両用車にてチャランカノアとオレアイ海岸に向かって殺到した


チャランカノアの海岸正面にいたのは47旅団316大隊の江藤隊、オレアイ海岸正面には43師団136連隊の小川雪松連隊長だった

両軍とも海岸陣地は破壊され通信網は無く兵力にも大損害を受けていたが、ススペ岬からの射撃も併せて自動火器・迫撃砲で全火力を米軍上陸部隊に一斉に浴びせた


チャランカノアの316大隊陣地はクモの巣状に構築されており、そこから迫撃砲・機関銃を撃ちまくり、旅団砲兵隊と高射砲25連隊の水平射撃、さらに河村隊の健闘により一時は優勢のように見えた

オレアイの136連隊は第2大隊安藤隊が正面で粘り強く防御し米軍は2時間ほど上陸できず、後方支援が来るのを待つ有様です

チャランカノアとオレアイの間にはススペ岬があり、ここにも執拗に砲撃を繰り出す日本砲兵部隊が存在し、次々に上陸舟艇を破壊しておりました

この部隊は16日午後まで死守していたが、空爆の助けを得た米軍海兵隊と白兵戦となり、最後には全員玉砕しました

アギーガン岬にも316大隊と山砲兵第3連隊の一部がクモの巣状に陣地を構築しており、巣に掛かった上陸部隊に側射を浴びせ1時間ほど1歩も進ませなかった

ここでも米軍は被害が大きく、前進困難となり遂には艦砲射撃と空爆を要請した

援護を受けた米軍はやっと前進できた


日本守備軍の凄まじい射撃に、上陸する米軍の恐怖は度を越えていたものと思われますが700隻を超える上陸部隊は艦砲射撃と空爆の援護を受けながら次々と上陸し、戦車が上陸してからは圧倒的な砲撃で日本部隊は次々と倒れ、山間部に後退させられた

日本軍はほとんど破壊された水際陣地で善戦した

海岸線は両軍の血と砂と死体の山となっていた


上陸した米軍にカナツタブラ谷地から黒木大隊の野戦重砲とヒナシス丘南側から山根隊の野砲は、上陸して一息入れようとした米軍キャンプ準備中に、今までの沈黙を一斉に開放するように、猛烈に的確に撃ち込み米軍は大損害を出し、一時は沖まで後退させた

この戦果は後々までも称賛されるほど気持ちの良いものだったらしい

しかし、巧妙に隠してあった砲台の場所が米軍艦隊にわかってしまい、翌日には目の仇となった

米軍は27師団の海兵隊も上陸させヒナシスを攻略し一気に東海岸まで突っ切り、日本軍を分断し飛行場を占領する作戦にでた

黒木大隊は戦車を先頭にしてチャランカノア正面からヒナシスの丘の斜面を登ってくる米兵と敵対することになった

0距離まで迫った時、山本分隊長は砲の下に地雷を埋め自ら砲に抱きつき自爆を計り、血まみれの肉片は前方の木にぶら下げられました

残った兵士は弾の尽きるまで撃ち続けた

その砲火は17日まで続いた

全ての砲が破壊された後に黒木大隊長は徒歩編隊を組み、戦車めがけて突撃し玉砕した