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手紙情報は正確に記載してるつもりですが、もし間違っていたら指摘下さい。

手紙知っておいて欲しい情報なので興味のある方ない方みなさんご活用してください 。



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2012-02-05 17:48:49

2012 サイパン島流水灌頂戦没者供養 8 (最終章)

テーマ:サイパン島戦没者供養

24日はフリータイム

早く帰国する人は早朝にサイパンを発ちました

あとに残る人は各自で戦跡をまわったり観音様にゆっくり挨拶したりします


今回の私の目的は米軍上陸前の陸海軍合同指揮所を訪問することです

あとの二人は朝から地獄谷に行って酒を酌み交わしにいきました

昼に合流する約束だったが連絡が取れない

13時を過ぎても連絡がないので慌てました


なにかあったかも・・・と思い

私は地獄谷まで見にいきました

そこでやっと電話がはいったのですが

その声は明らかに酔ってます

そして堀内今朝松さんの供養に行ってたと・・・

今回は二人だけで酒を酌み交わしに行ったものだから

かなり酔ったのでしょう


とにかく13時半頃に合流ができて

すぐに旧司令部に向かいました

マウンテンフリークさんにあらかじめ資料を頂いていたので

忠実にその資料通りに進むしかありません


最終的には到達はできたのですが

何度となく諦めかけました

道はなくジャングルの沢を進まなくてはなりません

途中、大きな岩が沢を塞いでいたり

崖を登らねば先に進めなかったり

石の上はツルツル

おまけに酔っ払が一緒です


でも私がめげそうになると

この酔っ払いが益々勢いを増し先を進むのです

誰か兵隊さんがとりついていたようでした

おかげで到達できた次第です


マウンテンフリークさんの資料は完璧でした

資料の通り進めば洞窟が発見できたのです

道中はどうなるのやらと思ってました

マウンテンフリークさんありがとうございます


マウンテンフリークさんはこの正月にサイパンに行った道中記を書いてます

戦跡をまわるなら必見ですよ


マウンテンフリークのブログ



道中の動画を見て下さい



赤いコーンが駐車目印

車を止めたところがたまたま赤いテープが木に巻いてありました

マウンテンフリークさんが目印をつけてくれたものです

いきなりそれを見落としてしまいました


少し探し赤いテープを発見

いきなり沢に侵入していきます

最初は楽そうでしたが

途中から完全にジャングルです




不覚にも懐中電灯を忘れてしまいました

地獄谷の二人と連絡が取れない騒ぎで

うっかりしてしまった

これでは何も見えない


とりあえず線香を焚き、お酒を供えてお経をあげました

また次回、もっと奥へ行き

南雲中将がいた場所を想定したいと思います


太平洋戦争の傷痕 次世代への橋渡し


太平洋戦争の傷痕 次世代への橋渡し


太平洋戦争の傷痕 次世代への橋渡し



最近の画像つき記事
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2012-02-04 17:16:27

2012 サイパン島流水灌頂戦没者供養 7

テーマ:サイパン島戦没者供養

日の出ツアーから戻り朝食を取り

9:00にロビー集合です

冷蔵庫に保管してたお供物を車に積み込み

パウパウビーチへ向けて出発

日航ホテルのすぐ北側のビーチです


ここからお供物を全て海に流します

これが流水灌頂供養です

参加者が戦没者の戒名や俗名を書いた経木も一緒に流します


太平洋戦争の傷痕 次世代への橋渡し

サイパンに到着してからずっと天気が良いです

波も穏やかで供養もスムーズでした

流水が終わると次は地獄谷の入口にて供養です


太平洋戦争の傷痕 次世代への橋渡し

最後の司令部である地獄谷

南雲中将・斉藤中将が自決をしたところです

そして最後の総攻撃に向けて集合した場所

別働隊が午後からその洞窟で飯盒を炊いて供養にいきました

翌日も酒を持って眠っている魂と乾杯をしに行ってます


全員で行くのは無理なため

この入口で供養をさせていただきました


地獄谷の次はオレアイ海岸に移動です

チャランカノアともう一つの米軍上陸の海岸です


太平洋戦争の傷痕 次世代への橋渡し

ここの戦闘も激しかったのです

ここを守っていたのは岐阜の136連隊

この海岸に背丈もない穴を掘って陣を構え米軍を迎え撃ったのです

激しい艦砲射撃のなかじっと穴に這いつくばり

米軍が海岸にたどり着いた瞬間、一斉に攻撃を開始しました

一時は優勢になるものの

居場所が明らかになると、そこには艦船からの雨以上の砲撃が始まります


無事なものは後退させられましたが

日本軍は上陸を許したその夜に夜襲をかけます

フナシスの丘からは戦車第9連隊を先頭に136連隊が総攻撃しました

海岸線は横須賀特別陸戦隊900名が総攻撃をかけました

米軍の防衛線を突破するものもあったのですが

待ち構えていたバズーガ砲によって戦車は全滅してしまい

夜襲は失敗となりました

残されたのは日本兵の死体の山となったのです


我々の団体の中には岐阜の人も多く

供養させて頂けて喜んでおりました



これで予定していた戦跡はすべて供養でき有難くホテルに戻りました

ホテルについてからはすぐに道具の片付けです

7月に来てもすぐに準備に入れるようにしておく必要があるのです

夜はパーティ、それまでに道具を全て移動し綺麗に洗い保管します


18:00からは参加者全員でパーティです


太平洋戦争の傷痕 次世代への橋渡し

25周年を祝って大いに盛り上がりました


2012-02-03 16:49:03

2012 サイパン島流水灌頂戦没者供養 6

テーマ:サイパン島戦没者供養

今年の供養はいつもより少し時期が遅く

また、旧暦の正月はいつもより時期が少し早いため

供養の日と大晦日が重なってしまいました

元々、私はそれを承知してたのですが・・・


サイパンには中国人が多く旧暦で事が運びます

ガラパンの街はまったく旧暦で動いてます

今年の大晦日は1月22日、元旦は23日です

0時になるとハッピーニューイヤーとなるわけです


ガラパンの各店舗は新年のお祝いに一斉に花火を打ち上げます

それもガラパンの街中で上がります

この光景を見て欲しくてこの日にしたということは内緒にしておきましょう



ドカンドカンと大きな花火はまるで艦砲射撃です

延々と鳴り響く爆竹は戦闘機からの機銃です

街中に火柱があがり米軍上陸前のガラパンのように見えてしまいます

大晦日の23:45頃から新年の0:30頃まで

あらゆるところから上がる花火は唖然としてしまいます

感動と驚きが入れ交り、見れて良かったという気持ちになります


我々の団体はフェスタリゾートを利用しておりガラパンの真正面です

増してや全員が山側の部屋だったため部屋の窓からこの光景を見ることができました

全員山側となることは今までになかったことです

有難いですね



花火が終わって

さすがに足と腰にきてます

すぐにベッドにダウンでした


23日はAM6:00に部屋の電話が鳴り飛び起きました

約束してた時間になっても熟睡してたようです

慌てて支度をしロビーへいき

すぐにバンザイクリフに向けて車を飛ばしました


今回の課題でもある初日の出をバンザイクリフから見る

起きて来れた4人と共にまだ暗いバンザイクリフに行き

日の出を待ちました

6:45頃から徐々に昇りはじめ1年の無事と感謝を祈りました


太平洋戦争の傷痕 次世代への橋渡し


太平洋戦争の傷痕 次世代への橋渡し

ゴルフに行くと日の出は見れるのですが

バンザイクリフから見ると一味違いました

太陽のパワーを感じることができました


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