今日の投稿は、

手術を受けた半年前の自分への手紙みたいなものです。

 

「50歳独身でもがん闘病生活は楽しめる」としていますが、

要するに「心配は要らない」というお話。

 

ふだんから、

名前は個体識別に便利な記号だし、

家族はやけに親切な人類、

は借り物で

人生はRPGと思っている

ヒト女性型宇宙人(日本人タイプ)たるさんUFO

 

2024-04-29​​​​ ​​​人生はRPGだと怪談から知る 〜癒しとまなびの怪談〜

 

ただいま抗がん剤治療の後半、

点滴から1週間過ぎて

手足筋肉ビリビリしていますが

今朝は晴れて晴れご機嫌です。

 

乳がん+子宮がんサバイバーでも

100歳になれると知り、さらに元気倍増中。

ウィンナー朝からこんなに大量に!

 

40歳で半ばノリで

医療保険には入らず、

がん保険に入っておいたものの

自分につながる血筋の女性に

誰一人がん経験者がおらず、

「これはお布施ウインク」と保険料を

給与天引きで納めておりました。

がんになって給付を受けるより、がんにならない人生のほうがはるかに良いのは、罹ってみて分かった事実。

 

それがまさかのがん告知

定年退職までまだ10年あるが??

ありがとう、弊社の傷病手当。あるの知らなかったけど。

 

・・・ここまではこれまでに投稿してきた部分ですが、

今日書いてみるのは、

もう少し深掘りした本音の部分です。

ただしこの人、

変わってますUFO宇宙人女の子

 

50歳独身、がん告知を受ける

 

病名がつかなかった8ヶ月

一時貧血をともなう大量出血の時も、

告知への列車と銘打った昨年後半も、

 

なんなら「明日来れますか?」の電話で

呼ばれて診察室に入った時も、

 

頭に「がん」がよぎることは無かったのです。

嘘みたいに楽天家でした。

 

そして告知を受けてもこんな感じで。

びっくりして目から汗がポロリ出て、

看護師さんにティッシュの箱を渡されて

先生に肩と背中をさすられて、汗が止まって

「びっくりしました。でもだいじょぶでっすお願い続けてください」

と促し、ここからが超特急でした。

 

うまく説明できませんが、

 

告知を受けた時の涙は、

悲しい時の涙とは全くちがいました。

 

それで「汗」と表現しています。

 

たぶん、漫画で「夢なのか?」という時に

目をぐりぐりこする動作みたいなものの代わりに、

目と脳が自動で

「画面クリア」「再読み込み」した

という説明がしっくり来ます。

 

人生の端々でこんな感じなので、

自分を人間ではなく

宇宙人だと思っている次第です。

 

 

 

20歳の時「一人でさびしくないか」と問われ

 

みんなとわちゃわちゃするのを

日常とする20代の同僚が

「一人でいると、なんか虚無っすね」と言うので

「虚無としか言えん」と

答えたことがあります。

 

でも自分が20代の時には

虚無。それは無限の自由」と

たるさんUFO悟っておりました。

 

20歳の夏、

全員初対面という先輩3人と夜行列車で北の地へ行き、ある作業を終えて先生に連れられ、初めて訪れる(その日たまたま無人の)学生寮に一人置いて行かれたことがありました。大雨。海辺。病院みたいな造りの建物。考えようによっては怖いかもしれません。当時携帯電話やスマホは無く、公衆電話。急に決まった予定だったため実家へ連絡。

 

するとオカンが「一人で怖くないの?」

たるさんUFO「あー、ぜんぜん」

 

言われたら怖くなるでもなく。

翌朝、部屋の窓から晴天。海。

(翌年の春から1年その地にご厄介になりました。)

 

そういえば「怖い」という感覚をいつ紛失したか思い出せませんが、

「一人で怖くないの?」という問いは

オカンの声を脳内再生して

時々投げかけるようにしています。

 

何の為なんだろう。

一応、この社会で浮き過ぎないため?キョロキョロ

 

 

結婚していないことこどもを産んでいないこと子を産む臓器を失うこと

 

客観的にみて、

ある独身女性が子宮体がんの治療を受けると聞けば、

これらをどう考えたかに

関心を持たれる方もいると思います。

 

一言で言うと、

たるさんは「気にならない」です。

 

世の中も、そう平気で言うことが

年々容易になって来ているとも言えます。

多様性万歳です。

 

理由らしきものを書いてみます。

 

(オカンキメてる過去にも登場)と同じような時代背景ならば、何の迷いもなく結婚して3人子供を産んでいたと思います。

10代で昭和が終わり、社会人になる前にバブルが崩壊し、全員が子供を持てない時代が来ることをその時から気にしていました。30代になった頃、社会の空気もあり、誘われたというか仲間を得てちょっと抗ってみたりしました。大きな地震が起きたりしたけれどこの国は変わりませんでした。たるさんは非力で小さい。自分で背負える荷物だけで今日まで生きて来ました。ありがたい。まだ何かに挑むチャンスはあると思っています。

 

個人的にはそうなのですが

 

どうしても結婚したかった。子供が欲しかった。そんなふうに思う方々の願いが叶えられなかったとしたら、なんて心貧しい国じゃい。豊かな層は置いてけぼりの人々を見て見ぬふりしているのかい、って思います。ではもし今自分が豊かな層に属していたら何か出来たか?というと、知恵も勇気もなくてやっぱり非力で。一人底辺暮らしで上等なのかもしれない。「ああ、何か出来ないかな」は頭の片隅にいつもちょびっと存在しています。

 

そんな中でのがん告知で、

「その葛藤は一時休戦!」にしてもらえたので

実はありがたかったのかもキョロキョロ

 

 

一人でがん闘病できるのか

 

「一人でがん闘病できるのか」と言う

一般の問いに回答できるほどの

経験がない立場ですが、

それでも言っておくと「できます」。

 

がん治療にあたり、現状は会社と社会の制度に助けられていて不自由ありません。

 

先に書いた

社会に抗っていた頃、

生活保護の一歩手前の

「住宅補助(だっけ)」の

申請手続きが通るところまで

進んだことがあります。

 

貯金20万円を切っていること、

失業給付期間が終了してもなお

無職であることを証明でき、

月5万を家主の口座に

振り込んでもらうところまで進みました。

(この時は、自分の主義主張のために公のお金を投入してもらうことに疑問を感じ、裁判の途中ではありましたが自分はアルバイトの就業を始めました)

 

何が言いたいかというと

 

日本の社会保障制度も、

がん患者を支援する仕組みもあると言うこと。

やりようはあります。

自分で探す、行動することは必要ですが

今やネットもあります。環境は大丈夫です。

 

個人の「こころと体」が一人でがん闘病できるのかについては

条件付きで大丈夫です。

 

その条件は2つ。

・ふだんから自分の身体を気にかけ

・不調の時には早めに病院に行く

 

たるさんとちがって、

BMIが人並み以上にあるなら

さらに有利かも知れません。

愛も自由も闘病も「体力」です。

 

ここまで読まれた方、役に立つやら立たないやら分かりませんが、お時間拝借ありがとうございますキラキラ

 

地球の片隅で暮らす生命体宇宙人として、

あなたさまも、私も

みんなそれぞれが唯一無二の人生をこれから先も楽しむことを願って止みません。

 

 

*おまけ*多様性バンザイにしてくれる人たちのこと

 

これはIMALUさんの「都会っ子のデュアルライフ(21)」より。

現在34歳。

「結婚しないの?」「子供欲しいの?」などの質問は

常に聞かれています(笑)。

 

日本は今のペースで行くと

ジェンダー平等が達成されるのが

134年後と言われていて

 

私が社会に抗っていた34歳の時から

あんま進んでないよ。

 

134年なんてまるで

どこかの国の懲役刑みたいチュー

 

2024.07.01

 

 

叶恭子さんの恋愛についてのアドバイスが好き。

 

 
 

恋愛は、

誰しもが絶対にしなければならないものではない。

恋愛をしたくないとか、興味がないのであれば、

一生しなくても構わないこと

 

以前に本で読んで「よかったー」と思いました。

叶恭子さんはずっと一貫しています。

 

掲載日 

 

 

 

今のオネエたちも、

オネエの時代を作った人たちも、みんな好き。

 

子供時代にいじめられた山咲トオルさん

いやな思いはしたことが無かったピーター。

どちらも家田荘子チャンネルより。