何気なく出てきた広告。
前はカラフルな品揃えだと思っていたけれど
サイトを見たら随分ダークな色彩ばかりで時代の流れを感じる
時代おくれの
宇宙人たるさん
です
。
人口密集地在住ですが
朝の通勤風景も
みんなほとんどモノトーンのよそおい。
そんな中ですが
最近「赤色」が店頭にも出てきています。
クリスマスを
意識して居るのかな🤶。
いろいろ世界とか国内とか
日常生活とか
しんぱいになることはありますが
木々が紅葉を迎えるこの季節
ちょっぴり赤色を
生活に取り入れてみようかな![]()
![]()
20代と40代で自分の適応障害を経験した時、
まるで認知症だと気になって調べていて
たどり着いたのがここでした。
この代表といっしょに
学生の時の友人同士で
認知症の現場に挑んでいる方のYouTubeの解説が
一人一人の「人によりそう」アプローチで
とても地道だけど個人的に圧倒されます
。
最近見た動画でも
「ドキッ」としました。
たる母のような
ほとんど専業主婦だった母とはちがって
仕事と母親を両立してきた
相談者の母さまだからこその心配。
解説者の経験談は
幼い日のたるさん
と
若き日のたる母
の間でも
似たようなことがありました。
「母の日」はもう半年ほど前。
秋深まるこの時期に![]()
まだ認知症なんて無縁だというあなたも含めて
十分大人になっている私たちが
子供時代の自分と母を
思い起こしてみるのもわるくないと思います。
心配性の原因はコレ!
2026/11/01(5分)
朝は揺れていて目覚めました。
震源地が遠くてびっくり
。
テレビを持っておらず、
情報源はYouTubeとラジオです。
YouTubeはいつもおすすめで出てきます。
ニュース一つずつ短い動画で並ぶから
見たいものだけ再生すれば
いらない情報が入らないし
「え?もう一回」とか
「待って、トイレ行ってから続きを見る」
などができるのでありがたい。
これ、素晴らしい試みだし、
ビーバー、表情が良すぎる。
山火事の延焼を抑える“小さな救世主”
ビーバー ダムを作る習性を生かし、失われた自然を取り戻す
2026/10/31(3分21秒)
ある朝読んだ記事。
憧れの車がいたずらで傷つけられた人が
それに比べて、ぼくは別に大きなストレスを抱えていない。人が傷つけたくなるくらいいいクルマも持っている。
クルマを傷つけられる側の人生でよかった。ラッキー!
――『悩まない人の考え方』より
というのを読んで、
ゆがんだ視点の宇宙人たるさん
はまず、
「ケーキの切れない〜」と、
最近読んだ「つみびと」を一瞬思い浮かべました。
前のたるさん
ならば一旦ここに
どっぷり浸かるのですが
(他人の車を傷つける側って・・・などと考える。つまりかつては悩む人)
がんサバイバーたるさん
は
こうなりました。
「そうそう。
がんになった人の家族より
がんになった側の人でよかったわー」
家族ががんになったら
胸が、つぶれます
たるさん
はそういうタイプ。
現役がん治療医でYouTuberの押川勝太郎先生は
若い頃にがんが怖くて怖くて仕方なかったと言います。
私も密かにそういうタイプでした。
昭和の終盤、1980年代に
近畿から北関東某所の小学校に転校して
別のクラスの担任の先生たちが
次々と胃がんになったりしていた。
(脳卒中ワースト1位県だったので、くも膜下出血で若くして突然他界される先生も)
ある男性教諭は、
治療が一段落した後復職されており、ある日のピンチヒッターで
かなりスリムな長身でちょっと細めの声で
「僕はね、胃がんになったんだよ」と話してくれました。
当時、がんについての学習の時間は設けられておらず、
担任が病欠の時の代番の時の雑談という感じでした。
私が人生で初めて遭遇したがんサバイバーでした。
また別の教諭は、兄弟で教員になっていて、
胃がんで他界された先生の弟である中学校教諭の授業を受けたり。
小学校の時、兄先生が宿泊学習の準備でお手本で歌ってくれた
「遠き山に」がお上手で、いい声でハリがあった。
(ドボルザークの「新世界」メロディーで歌うやつ)
数年後、自分の担任がお休みで代理で自習の時間の監督に来た兄先生は
白い布手袋されて終始椅子に座っておられた。
当時、彼が胃がんの闘病中であることは知らなくて(亡くなってから知らされた)
体格も変化がなかったので「手袋」だけがちょっと不思議に思いました。
別のがんだけど、抗がん剤の副作用とか、免疫力低下による
手足の皮膚や感覚の変化を実際に体験してみると
先生の手袋の意味はとてもよくわかります
。
・・・だからがんが怖くなったということにはならなくて、
たるさん
の場合には
兄弟先生の弟さん側というか、患者よりも
その家族のことが少し気になりました。
なぜそうなのか、振り返ってもよくわかりませんが、
家族の人生や日常は
よくドラマで描かれている先の先の先まで続くということを
認識していたからなのか。
また、私自身については小学2年生(8歳)まで
自分の年下のきょうだいの方が自分よりも
いろんな感染症をもらって来ていたので
あの子の心配をしがちな姉だったからかも知れません。
だから、
先にがんになれて
一旦、安堵した部分もありました。
親は誰もがんになっていないので
あなたがたが生きて居るうちに私がなっちゃってごめんと思ったことに次いで
ああ、きょうだいのあの子は大丈夫かと。胸がつぶれないかと
かつて大学院生の時に初めて適応障害になって
学業を中断せねばならなくなった時、
学校の保健センターの精神科医の前で初めて泣いたのは
家族構成を聞かれて両親の次に「ごきょうだいは?」と言われた時でした。
たるさんのアキレス腱だよね、あの子は。
できれば一旦治してから伝えたいところだ、と思ったくらいです。
家族へのがん告知をまだ避けたいと。
・・・こんな感じでいまだにスッキリ端的に表現できないけれど
とにかく
「当事者でなく、がん患者の家族」にある日突然なる人、と
「がん当事者」が
どうしても、ほとんどの場合セットで存在するわけですが、
私は家族側の方が10000000000000倍辛いと想像していたので
肝の座っている母
や、
その夫である宇宙人父はともかく
同じくヒト女性型日本人タイプである
私の後に生まれたきょうだいのあの子
大丈夫か。
がん告知後の3日間くらいはそのことが最大の心配事でした。
職場の上司についても心配でした。
どこまでの情報を開示していいのか。
自分が上司だったら、部下が「がん」って言ってきたら
どうしていいかわかんないよ![]()
。
世の中の他人は大丈夫か
歯医者さん、
マッサージやストレッチに通っていた先のセラピストやトレーナー
買い物をするにあたりどうしてもがん患者であることを伝える必要がある
医療用ウィッグもコスプレ用も扱っているかつら屋さん
化粧品販売員
美容師とか
うわ〜![]()
![]()
ぜんぜん落ち込まないけど
めちゃくちゃ悩む宇宙人![]()
他人は自分に生まれなかった自分だと
たるさん
は本気で思っているから
自分以外の「がん患者たるさん
に遭遇する人類」の心の衝撃のことが気になりました。
それを救ったっぽいのは
「〜側の人」思想の延長。
特に子宮卵巣全摘出の開腹手術を受けるまでが顕著で
(その後、抗がん剤治療など繰り返すと案外吹っ切れた。時間も大事)
すれ違う人全員の
がんリスクをオイラが引き受けるぜ!という
謎の心の掛け声
ベビーカーを押すお母さん
その隣を歩くベビーのお姉ちゃん
高齢の女性
同年代の女性
すれ違う人全部の婦人科系疾患は
この後まるっと取り除かれる
アタイの臓器に、神様、全部くっつけちゃってください。
みんなが日常を続けてくれて居るから
私は闘病に専念できる!
ここから始まる
がん闘病が
地球の世界の
何かを少しだけ良くするはず(意味不明)
キリッ
独身一人暮らしの
お地味な宇宙人の私は
がんになる側で本当によかった
。
〜側の人メリットを考えるか
メリットがなければ妄想で物語に浸かる![]()
たいしたことは出来ないけれど
生涯で40人に一人くらいかかる子宮体がんのお役目を
私が担わせていただきます。
50でがんになっても
そこから50年生きる奴もいる
(途中再発があっても、が加わるとしても)
みたいなお地味で息の長いチャレンジを
密かに続けて3年を迎えるところです![]()
![]()
。
最近は外国人のお客さんがうんと増えて
混み合っていて諦める好きなお店。
平日ふらりと帰りに行ってみたら席があったので
そのお店で一人
夕ご飯を食べて帰りました。
にぎりやすい無骨な取っ手のポット。
ミシンで縫いつけている
🫖ティーバッグのタグ。
マイクロプラスチックを取り込む心配なし。
スパイシーなアヒージョチャーハンは
パクチーもちょっと乗っていて
いろんな文化がチャンプルー。
実はその日の職場での昼休み
私よりうんと若い職場のともだちが
明日からしばらくお仕事を休むのだと
そっと教えてくれました。
自分もかつて適応障害で
休職したことがあり
とはいえそれぞれ事情は異なるから
待っているよと言っていいのか
新しい仕事探しちゃえって感じで送り出すか
言葉が上手に見つけられなかったけれど
私は〇〇ちゃんといつでも働きたい気持ちだよ、と言いました。
まずは1ヶ月くらい、何もしなくていいから
呼吸をしていたら合格だよ。
でも、ご飯は食べてねと。
「今日話せてよかった」と
彼女は言ってくれました。
午後の仕事を終えて
帰りにこうして一人で
好きなお店で晩ご飯を食べながら
癌治療の数年前の
自分の適応障害の時の休職を思い返しました。
あの時は離れたくて仕方なかった。
息が出来なくなるくらい
生きていることが続けられない気がするくらい
苦しい時間があったけれど
その辛さの感触を
今の私はほとんど
思い出せません
。
思い出せなくなるくらい
あの辛さから人は
離れることが出来るのだと
決して笑い飛ばしたりは出来ないけれど
回復してその後がちゃんとあるのだと
今私がこうして仕事を続けていることが
その証明になっているのだと
他の人は気づかないかも知れないけれど
私はわかっている
。
ただの自己満足かも知れないけど
大丈夫な一例を世界にお示ししているんだわ![]()
その後にがんになって
抗がん剤治療も受けて
何やら色々体が変わってしまったけれど
なんとかその先の人生を
続けることも出来ている
。
朝見た短い動画で
「諦めることだけは明日に延ばしてもいい」
って言うのがありました。
今悩める誰かがいて
私がその人に何かを言うならば
「諦めないこと」が大事なんだけど
何を諦めないかと言えば
自分がすり減らない毎日を作ること
だと私は思っています。
学生時代に1回
社会人で2回
適応障害になっちゃったくらい
不器用な宇宙人なのですが
少しずつ進歩してこれたと思うのです。
自分がすり減らない毎日は
きっと作ることができる
。
私が50年ちょっとの間生きて見つけた
自分がすり減らない一つの方法は
自分の感情について
考えないと言うやり方です。
元気な時に暇を持て余すと
感情を揺さぶられたがる人類ですが
元気でも
暇でもない時は
感情を意識しない方がいい。
他人の感情も
自分の感情も
いったん置いておく。
クスッと笑える何かだけ
拾ってもいい。
余裕が出てきたら
他の人がかわいいとあんまり言わないものを
「かわいい」と言ってみる。
自分の小さな失敗も
「かわいくなってる」と言ってみる。
前の人、歩くの遅いな、って時も
「前の人、かわいくなってる」と
心の中で言ってみる。
すると
かわいいもの
かわいくなっているものが
どんどん集まっていくように
思うかも知れないけれど
だいたい
忘れる。
残らない。
だから多分
すり減らない。
あとを引かず
さっぱりしてくる。
さっぱりしたら
毎日早寝をすることだ。
続けてみてわかったのだ。
感情は、要らないかも知れない。
共感もほどほどで
いいのかも知れない。
前よりも上手に
自分がすり減らない毎日が
ちょっとずつ
出来てきたかも知んない![]()
。
ん、何この話。
50年のうち、18歳以降を一人自由気ままに、
時に実家にまた住んだりして
やりたいように暮らしてきた宇宙人たるさん
です。
怪談を聞くにつけ
闘病や介護の話を聞くにつけ
難民が紛争地である故郷にまた帰る話を聞くにつけ
人類は帰りたがる衝動を持っているみたい![]()
だと感じています。
たるさん
はがん告知で一度
自分の命の終わりを想像した時も含めて
帰りたい場所ってあんまない
変人かもです。
わからないなりに
考察する材料を動画で得ました。
・帰りたいと思う場所の心残りや気がかり
・今いる場所が「居場所でない」という違和感
この二つのどちらか
または両方が
原因なのかなと
。
帰宅願望の対策(2分35秒)
18歳までの1回の引っ越しと
その後の日本各地あっちこっちへの引っ越しで
日本がホームという感じのたるさん
は
今のところどこも居心地が良いと思っています
てへ。
もしもの再発あった時のことは
頭の片隅にあって
まだ定年前なら仕事を極力続けながら治療
病院がOKなら入院
(そのために入院通院1日1万円のがん保険継続)
または今の家で在宅療養
(訪問看護ステーションをいくつか散歩でチェック済み)
仕事継続が不可能になるとか
定年後ならば
区の助成で1回だけ引っ越し補助してもらえるので
家賃をグッと抑えた部屋に移るなど
一人暮らしで家族はいないけれど
きょうだいが望むなら
きょうだいの住むエリアで
治療や療養を受けるのもあり。
なるべく体力をつけられるうちにつけて
荷物は軽くできるようにしておこう
。
そんな私ですが
小学2年の時にインフルエンザかなんかで
高熱出して「島へ帰りたい」とうわ言を言ったそうで
魂は
どこかへ
帰りたがるかもしれないね![]()
50歳で子宮体がん(当初の見立てステージⅠA→術後確定ⅢA)
術後補助化学療法6回から復職して2年の
宇宙人たるさん
です。
復職後に体が回復しきらぬまま異動があり
そこから何とか大丈夫なところにこぎ着けたばかりです。
これを踏まえて
復職タイミングについて振り返ってみます。
がんは千差万別
これはあくまでヒト女性型宇宙人日本人タイプの一例だから
「あ、そう」くらいの受け止めで参考にしてくださいね。
主治医の指示
まず、主治医である産婦人科医は
抗がん剤治療(パクリタキセル+カルボプラチン)6回後の
<私の※>復職タイミングとして、
「最後の抗がん剤から1ヶ月は待って」と言いました。
※一般論だけでなく、私という患者の状態を踏まえているはず。
たるさん
は6回のうち3回目だけノイトロジン使用、
あとは自力で骨髄抑制(各種血球数値の低下)を回復していました。
手足のしびれと平衡感覚のブレ、ただし、船にたくさん乗った経験とめまい慣れ(良くない)で
転倒することは無かったので、この患者はとにかく
白血球が回復すればOKくらいの認識ではないかと思う。
「はい」って言って
職場の上司にもそれを報告。
会社の上司の反応
じゃあ1ヶ月後必ず戻れという反応ではなく私と産業医に任せる感じ。
(マジいい上司、いい会社)
復職について誰かに相談したか
この時点で友人の大半にがんを黙っていたし
離れて暮らす家族(両親・きょうだい)には余計な心配をかけたくない長女魂。
当時はまだAIはそこまで一般的でなくて
街の商業施設の占い師(30分5000円)に何気なく今後のことを相談
「半年くらい休まなくていいの?」
従来の癌治療のイメージ+私の運勢的に次の春を待つのもアリだと。
ネットの情報
今もだけど
いろいろ調べてみても復職タイミングの正解は無いように見えました。
2年後の自分が振り返って思うこと
今の体感や職場の状況を踏まえて、
最後の抗がん剤治療完了日にがん保険の給付請求のための診断書と一緒に
復職願いに添付する診断書作成を依頼して
主治医の指示通り「最後の抗がん剤から1ヶ月後」の日付を復職許可日としてみて
まあそれで良しだと感じています。
でも、もう少し待っても
決して甘えのレベルでは無かったとも感じています。
私が考える復職タイミング決定のポイント
そもそも復職できるのかも
本人の状態と職場との認識のギャップを
本人と周囲が協力して埋められるかどうか
にかかっている
と、たるさん
は思います。
だから産業医の介在、職場人事とか上席者とか
関係者とのコミュニケーションが欠かせません。
何より本人の認識や意向も大事。
この「本人の認識や意向」ってのが
2年前の当時を振り返ってみると
<あやうい>のです。
本人の認識にひそむあやうさについて
たまたまたるさん
は
職場側からの提案に「しばらくは在宅勤務で」とあり
元々在宅勤務でもあったので、<あやうい>ままでも何とかなりました。
ちょっと詳しく振り返ります。
2024年夏は今年2026とちがって
めちゃくちゃ暑く
フルウィッグは無理で
ツルピカ
ハゲ頭に自作の頭のおぱんつ
(写真は右向き横顔の頭。おぱんつは黒)、
その上に前髪だけのウィッグ
(ゴムバンドに部分カツラがついている)
その上から布のケア帽子をかぶっており
前から見るとこんな感じ。
日本のほとんどの皆さんとちがって
そもそも、たるさん
は職住医療近接。
・ギリ徒歩圏内、公共交通機関を3種類も選べる場所に職場があり
(往復でも交通費はワンコインでお釣りがくる)
・その勤務経路の途中に子宮体がん治療を受けている病院があり
・ついでに定期健康診断のマンモグラフィーで引っかかった際の精密検査ができる乳腺外科もそばにあり
副作用含めた体のダメージの判断材料としては
・ステージ3だけどリンパ郭清不要でむくみ無し
・手首から先、足首から先の感覚麻痺は強め
・平衡感覚がデタラメで片足立ちができない(回復したのは2年後・今年の夏)
・開腹手術の傷は回復順調、でも腹筋運動はまだドキドキ
・復職時のアピアランス(下の写真を参考)
客観的にみて
まだあんた、ハゲやん![]()
まゆも麿(まろ)だし。
もっと髪が戻ってから復職でも
世の中的には構わないのでは?
実際
アタマくらくら😵💫
足元ふらふら
だったし
そして、たるさん
については
・過去2回適応障害の休職(約半年ずつ)からの復職経験あり
つまり、復職の段取りや元に戻る過程について
別の病気😷だけど実体験がある。
そんな人でも
抗がん剤から1ヶ月での復職は
だいぶ「頑張り」
「猛烈(モーレツ)」モードだった
と今は感じます。
他の人が同じような状態で復職を展望するとして
自分は一人暮らし・家族は遠くでいつも通り暮らしている
たるさん
と違って
・日々面倒を見るご家族がいらっしゃる
・リンパ浮腫の心配がある
・卵巣摘出後のホルモンバランスの乱れがある
といった患者の場合には
決して無理せず
主治医や職場と話し合って
「長く続くこれからの勤務」を見据えて
慎重に復職を進めてほしいと思います。
がんもがん以外も
復職タイミングは
全員、オーダーメードです
。
一人一人が周囲を巻き込んで(これは先々を考えると遠慮は要りません!)
試行錯誤と軌道修正を重ねながらやっていい、とたるさん
思います。
さてさて
下記リンクはAIが教えてくれた
乳がん治療後の復職についての情報です。
婦人科がんよりも患者数が圧倒的に多いので
こうした情報の集約ができている乳がん。
乳がん患者同士でもきっと個人差は大きいことでしょう。
乳がん復職のタイミングはいつ?京都で治療と仕事を両立するケース別手順
乳がん復職のタイミングは「体力が100%戻った時」ではないという事実
乳がんの治療を受けながら働く女性にとって、最も悩ましいのが「いつ仕事に戻るか」というタイミングです。多くの方は「以前と同じように動けるようになってから」と考えがちですが、実は「体力が完全に回復するのを待つよりも、職場の受入体制を整えて段階的に戻る」ほうが、長期的なキャリア継続には有効であるという意外な事実があります。復職はゴールではなく、治療と生活を調和させる新しいスタートです。
ケーススタディ1:手術後、放射線治療を行いながら事務職へ復職したAさん
ケーススタディ2:抗がん剤治療を終え、副作用を考慮して復職したBさん
ケーススタディ3:ホルモン療法を継続しながらフルタイム復帰したCさん
自分にあった時間の使い方を考えるようになりました。
コロナが明けてからお出かけばかりしていたし
がん治療後もなるべく外に出ていましたが
街に外国人観光客の方がずいぶん増えて
物価も上がってきて出費を抑えたいから
家で過ごすことが増えました。
外で食事する回数が激減し
家で自炊する割合が増えたので
出費が抑えられました。
時間の使い方にはお仕事も含まれます。
今年の年末でがん告知から3年。
今のところ新たな治療なく経過観察で
お仕事は今のままかな。
ジタバタしない事で心が穏やかになりました。
別の仕事もやってみたい気持ちは少しあります。
AIの普及による世の中の再編の様子をよくみて
新しいことにも挑んでみたいです
。
そして
もう一つ考えるのは
自分にあったお金の使い方、管理方法。
Paypayとか交通系ICとか
キャッシュレス決済は便利だけど
使っている金額が把握しきれません。
お金を使っている感覚が今ひとつ薄い
。
クレジットカードでオートチャージをやめて
都度、駅でクレカ⇨ICカードへのチャージも使い過ぎが危なくて
駅で現金⇨ICカードへチャージするようになりました。
クレジットカードのポイントに集約できないけれど
ICカードの方でポイントがつくし
何より
現金を駅自販機に入れる「手間」が
お金を使っている認識を
毎回植え付けてくれる気がします。
毎月の固定費以外の支出が
半分になって
びっくりしています![]()
。
一人暮らしだから
何もかも自分次第
。
以下は私なりに
ちょっとヒントになった動画二つです。
動画
金融→非正規雇用で工場へ転職し3年🏭
『普通』を手放して幸せになれた
2026/10/16(16分12秒)
0:00はじめに
0:08 これまでの経歴
1:22 工場を選んだ理由
2:42 仕事の内容
3:19 工場選びのポイント8選
7:50工場勤務に向いていると思う人5選
12:57 非正規雇用で働くために心がけたこと
14:13 『普通』を手放した
お金については
我慢でなく
仕組みでゲームにしていく。
動画
収入が少なくてもお金が貯まる人の心理。家計簿が育てる4つの能力
2026/08/10(20分03秒)
【目次】
0:00 貯まる人と貯まらない人の違い
2:40 理由1 お金が見えなくなった
4:48 理由2 残ったら貯めるは失敗する
6:54 理由3 買い物が心の応急手当になる
8:36 ここから話は逆になる
9:20 能力1 書いて見えるようにする力
11:00 能力2 先に自分へ払う力
12:49 能力3 三十日待てる力
14:30 能力4 今あるものを愛おしむ力
16:16 家計簿が続かないあなたへ
17:13 今日のまとめ
19:12 おわりに
変わっていく自分。
全部置いていくその日までの過程。
がん告知を受けた日に
漠然と思い描いた
治療中何度も頭をかすめた
最後の日を迎えるまでのこと。
看護師であった女性が
夫を看取った。
そして今の道を選んだ。
貴重なお話![]()
自宅で死んだ夫の遺体は美しかった/がん治療やめた患者 看取る家族の在り方/スピリチュアルケア師
2026/09/24(48分09秒)
00:00 OP
00:25 「スピリチュアルケア師」の役割
06:06 WHOが定義する「4つの苦痛」
08:24 癌に侵された夫が選んだ「最後の自由」
14:46 人生の最期に訪れる体と心の変化
20:08 謎の足音…臨終間際のスピリチュアル体験
24:48 看護師の視点と家族の感情の狭間で
31:02 シルクロードの記憶をたどり僧侶の道へ
35:22 スピリチュアルケア師としての再始動
37:55 「あと○年」余命告知は誰のため?
42:16 人生の終末期に残る「絶対的な救い」
最後の最後に信じていられるもの
何かありますか?
私が三陸海岸に1年住んだ時に
お世話になった「おかあさん」は
私がいるあいだに
綺麗な仏像を購入していました。
「いざという時、これさ抱いて逃げる」と
笑っていました。
3月の大きな揺れと海が押し寄せた
その1ヶ月後彼女は見つかりました。
見つからない人が大勢いるけれど
見つかる幸運に恵まれたのは間違いなく
あの仏像のおかげだったと
私は思っています。
情報流出といえば個人的には
その1
まだガラケーもない1990年
バブリーなおじさまが自動車電話とか
ごくごくごく一部の人が肩下げカバンみたいな携帯電話を使用していて
人類のほとんどが固定電話
公衆電話を使用していた頃に
状況してきたある駅の公衆電話の上に
大事な手帳を置いたまま
移動してしまった経験があります。
手帳には高校生の連絡先の電話番号
フルネームで書いていないあだ名
・・・30年以上経っているけどみんなごめんね
。
その2
今の職場の同期の一人、
入社3日で退職した子から何年もたってから
突然メールが届いた
8年くらい前かな
「選挙の投票とかの呼びかけか」などと呑気に開いてみたら
(自分の経験では、普通に用事があること以外ではそういう電話しか受けたことなかった)
「おひさしぶりです。
同期の皆さんにご連絡しています。
皆さんの連絡先が入った携帯を紛失してしまいました。」
とのこと。
返信はしませんでした。
なぜなら、
これ自体が釣りの可能性もあるかもと考えたから。
「同期 たるさん」というのを見て送ってきて
その子じゃない人が
向こうにいる可能性も考えました。
この時に漏れているのは
・関係性とか所属(この件なら同期ということ、場合により社名・部署名)
・氏名(たぶん漢字フルネーム)
・日中連絡先電話番号のみ。
住所は無いはず。
本当にその子なら、取得しているのは
入社時に共有された連絡網だけだったから。
この二つは個人的な情報流出。
その影響は不明です。
企業の漏洩系では
Yahooで全員に500円支払われた
これまた20年くらい前の漏洩に該当。
影響は不明。
これらを踏まえて
以前から
少々漏れるリスクは
いろんなところであると思っていたので
あまり怖がっていません。
やってきた防衛策は
・ネットバンクはやらない
・交通系ICはスマホにせずカードのまま
・LINEで繋がる相手は最小限
・流出していい情報のみをネット手続きに使用する
がん保険の給付請求は電話を使わず
保険会社のネット(個別にログイン後に入力するもの)でした。
社会的立場もないので漏れたところで気にもならず
給付金が支払われるのは
後に紙で送られてくる診断書に丸をつけた数など
アナログで保険会社側が後でカウント。
(カレンダーの日付の入院日、通院日とか、
手術「あり」、抗がん剤「あり」抗がん剤による脱毛「あり」など)
ネットバンクは使用していないから
後日入金される銀行口座への金額は
多分簡単には漏れない。
それを見られるのはかなりの権限がある人か
もっとうんと高額の残高がある人を狙うサイバー犯罪者。
・・・ってことで今の所自分を落ち着けています
。
その他の対策として
クレジットカードは
・全取引をこまめに管理できる範囲の使用にとどめる
たるさん
はカード2枚まで
(学生時代から持っている年会費0円のものと、年間最多利用サービスの系列カード年会費約2000円のもの。NISAはデビットカード)
利用明細はこまめに管理して使途不明金0円
毎月の使用パターンを作っておく
家から遠く離れた時に大きな買い物をしない
癌治療・経過観察・指定難病の医療費窓口支払いはクレカで管理
(これも使用パターンに入れておく。急変などで突発的に支払う際にロックされたくない)
万一自分が亡くなる場合に備えてサブスクは全部カード払い
(カードが止まれば引き落としされない)
結局、
信用・信頼を築き上げる小さな積み重ねと
情報漏洩対策はちょっと似ている気がします。
変なことが起きたらすぐに気づける
客観的に「これは本人ではない」と認識してもらえる
それはまさに信用・信頼があるかどうか。
あとはね
実は同姓同名が(少なそうに見えて意外に)多いということもエゴサで認識![]()
程よく成功している人しか今の所いないから安心。
年齢や住んでいる場所も近そうな人も複数
(まだ直接遭遇したことはないけれど)
もうこうなると
たるさん
が狙われる意味ほとんどない。
都会の片隅で
ひっそりお地味に暮らし続けるわ
。
動画では
最近は怪談・都市伝説系YouTuberともなじんできた
たるさんと近い世代のお二人が語ります。
世界と社会とゴリっゴリにまじわっている二人が至る結論が
お地味なたるさんみたいな生活だったりするオチで
私って安全みたい
と思ったりしました
。
【裏社会と情報漏洩】今後の犯罪と自分の守り方について2人で話してみました|丸山ゴンザレスと草下シンヤ
10/23(24分12秒)
25年前、
国際電話をつないでいた頃に
海外旅行中の邦人と日本のカード会社の通話をつないでいたのを思い出しました。
これは最近拝見したブログ記事。