産後の他者支援について。

 

 

 

先日、下の子が1歳の誕生日を迎えた。

 

ここで、私の今までの育児にまつわる他者支援について振り返ってみる。

 

ダイジェストでまとめると、以下のような感じ。

 

★引きこもりのんびり、1人め育児。サポートはおもに親、夫。

★産後5ヶ月で2人目妊娠。2人目が1歳になるまでの間が一つの山場になると予測

★夫の育休(2ヶ月)を要請、双方の親にヘルプを要請、民間のベビーシッターを活用

★ベビーシッターの良さに目覚める、が、2人保育は高い!(1時間3240円!)

★近所の一時保育を活用。市の助成により2人で1時間600円、しかし病気をもらいまくる。肺炎球菌とマイコプラズマを発症(親が)し一時保育、中断。

★そしてキッズラインをしる。2人で1時間2300円、安くはないが使い勝手が最高!

 

 

 

1人目の育児中、育児の手助けは

夫、

双方の両親(おもに母、義母)だった。

 

そのほか、地域資源として、

月に一度の赤ちゃん会と、

毎週木曜日の午後に公民館で開かれている赤ちゃん相談会という集まり、

あとは徒歩20分のところにある2箇所の赤ちゃん広場、

そして公園のママ友さんたち。

 

しかし正直、同世代の同性とのコミュニケーションが苦手な私はママ友さんという存在をうまく作れず、公園にいくのも赤ちゃん広場も、どんどんおっくうになっていき、冬場は寒さやインフルエンザ予防を理由にほとんど行かなくなった。

 

娘が生後3ヶ月くらいのときに赤ちゃん会で出会い、かろうじてLINEまで交換したママさんがふたりいるが、1人はすぐ引っ越してしまい、もう1人は職場復帰して疎遠になった。

主なやりとりはLINEのみで、実際に会うことはほとんどない。

幸いにも、私の元職場のデイサービスは、ボランティアや子供の出入りがとてもさかんでオープンに受け入れてくれるので、

 

人恋しくなると片道1時間かけて元職場に遊びに行き、子どもとお年寄りの交流と、私の息抜きとコミュニケーションに飢えてる感を満たしていた。

 

 

 

 

そう、それでよかった、1人目育児。

思えばまあまあ気楽なもんだった。

 

もちろん1人目でなにもかも初めて育児、手探りでわからないことたくさんだったけれど、娘はよく眠り、よく笑い、大人しくて育てやすかった。周りのママさんたちやネット上で見かける育児のつまづきポイント(夜泣き、食べない、寝ない、病気、事故、産後うつ、夫の非協力など)をほとんど感じることなく、すんなり大きくなってくれた。

 

さすがに産後5ヶ月で次の妊娠が分かった時には、想定外すぎてびっくりしたけれど、もともと子供はたくさん欲しかったので嬉しかったし、まとめて育てるメリットもたくさんあると思えた。(初産が35才と決して若くなかったので)

 

冬になり、安定期に入りお腹が大きくになるにつれ、0歳児と胎児を抱えた私は世間から隔絶された狭い世界でのんびり、おもに自宅で「逃げ恥」や「カルテット」を見ながらのほほんと暮らしていた。

 

 そして迎えた2人育児。

 

里帰り出産で、5月に2人目となる長男が誕生した。6月に自宅に戻ったが、ほぼ毎日、母か義母かシッターさん(横浜市の産前産後ヘルパー助成制度を活用)が来てくれて食事や入浴、上の子の遊び相手を担ってくれた。

 

7月に入り、夫の2ヶ月にわたる育休がはじまった。(今の日本ではかなり長くとれたほうだ)。

 

横浜市の産前産後ヘルパー助成制度の委託を受けた、民間のベビーシッターさんが1時間500円で、2人目が半年くらいになるまで来てくれた。ちょこちょこそれを利用し、子供達の入浴などを手伝ってもらっていた。

 

 

これが、私の初めてのシッターさん体験だった。

 

双方の親にもなにかと助けてもらったり、長期で実家に帰ったりもしてずいぶんお世話になったけれど、お金を払ってシッターさんに頼むというシステムには、それなりのメリットがあった。

 

大きくはふたつ、

 

・絶対に大事な予定が守られる。ということと、

・相手の都合に遠慮することなくリクエストできる

 

ということ。

 

ひとつめは、

ハローワークの失業保険認定日とか、友達の結婚式のような、絶対「その日に」行かなきゃいけないという用事があるとき、シッターさんなら予定が確約でき、シッターさん自身に体調不良などあったとしても、代わりの人を派遣してくれる。これは大きい。

 

子供が生まれてから、全ては新生児が優先で、大人の都合で動くことなどいったんゼロになった時期があった。食べたいものを食べたい時に食べることも、休息も睡眠も、自分の一存では決まらない。全ては細切れで、唐突で、予測がたたない。それが赤ちゃんと暮らすということだった。

 

介護職を経験していたので、生身の人間をお世話するということの「ままならなさ」には多少経験があった。予測がたたずに急に生じる出来事にたいし、いちいちイライラしない、焦らない、相手が何かをしたいときにはそれが終わるまでゆっくりつきあう、自分のToDoの優先順位をとっさに切り替える訓練はある程度できていた。

 

夜泣きのときには自分の好きな懐メロを歌って気をまぎらわせたり、追い詰められないようにスマホで好きなものを見たり。

 

 

でも、新生児期を過ぎ、赤ちゃんの体もだいぶしっかりしてくると

ずっと後回しにしてきた自分の用事や、外との約束も必要になってくる。

歯医者さん、美容院、整体、役所まわりなどもだんだん用事がたまってくる頃。

 

もちろん、親に頼んでもこころよくお留守番を引き受けてくれるだろうけど、あくまでも親に予定がなく、元気で、親の暮らしに支障のでない範囲で、頼み過ぎない配慮も大事になる。留守中に困らないよう、あれこれ用意したり、お礼をしたり、気を遣う。

 

 

だからシッターさんに頼むメリット、ふたつめの「相手の都合に遠慮することなくリクエストできる」というのも、意外と大事なこと。

 

お金を払って成立する関係の良さはこれにつきると思う。

 

相手にはちゃんと報酬がわたるし、都合がつくからこそ予約が成立しているわけで。

 

親に気兼ねしてしまうこの点をクリアしているということで、シッターさんの存在意義は相当大きいと思う。気持ちだけで成立するのではない、そこに報酬が発生する対等な関係からこそ、こちらも堂々とリクエストできる。

 

 

しかし・・・なんだか高かった!

市の産前産後助成期間を過ぎてからは、

 

基本料金2000円/時、

2人保育でプラス1000円/時、

プラス消費税/時、

 

 

というわけで3240円/時、プラス往復交通費。

 

民間のシッターさんを3時間頼んだら、交通費入れて10000円ちょい。

 

 

 

 

なんか高いなぁ、と思い始めてきた。

 

 

シッターさんはなるべく同じ人が来るようにアレンジしてくれていて、

素晴らしく穏やかで優しい雰囲気の年配の方だったので、

私もめちゃくちゃ信頼していて、何度かお願いしたのだけれど。

 

なんどか利用するうち、システムに疑問をもちはじめた。

 

やりとりが全て電話なのも微妙にタイムラグを生むし、

 

(リクエストの電話をする→翌日くらいに折り返し、手配済みの旨でんわがかかってくる→前日にシッターさん本人から確認の電話がかかってくる)

 

育児中は不意にかかってくる電話に出るのが難しいし、シッターさんが確定するまでに1日以上かかるときもあってソワソワする。

 

リクエストした日にちや時間が、すべて口頭で行われ、確認メールなどもないのでちょっとこころもとない。

 

 

そして支払いは月末に請求書が郵送されてきて、銀行振込のみ。

これがまた、めちゃギリギリに届く。締切まで猶予が2~3日しかない。

 

銀行まで往復40分かけて抱っこ紐とベビーカーで子供2人連れていかなきゃいけない身にとっては、お天気や体調によってすぐには出られなかったりもする。

 

 

ほかのシッターさん会社はないのかな?

 

と思い、ネットで検索した結果、知ったのが「キッズライン」。

 

 

Airbnbみたいに、最初に自分の情報や身分証などを登録して、

リクエストする日時と条件を入力したら、近所に住んでいてマッチングするシッターさんが一覧で見れて、自分で選ぶ。相手の経験や時給などが明確で、事前のやりとりだけで、情報量はかなり多く共有される。

 

これは!

 

いい!!!!

 

 

というわけで、次回はキッズラインのお話を引き続きしようと思います。


モデルで女優、イラストも文章も書ける、菊池亜希子ちゃんが好きです。

年は私の一つ下かな。

 

知ったきっかけは・・・なんだっただろう、「みちくさ」というお散歩本だったかな。

 

ゆるりと肩の力の抜けた可愛らしい絵で見開き2ページ、自分で歩いて取材した街を紹介する連載をまとめた「みちくさ」。

 

 

 

彼女が紡ぎ出す言葉は、なんでもないのに、なんかいい。

 

肩の力が入りすぎず、等身大で、ささやかなものごとに気づける感性があり、

ほどよいバランスの自意識を持っている。

いつでもフラットで、こちらがどんな気持ちの時にもすっと読める。

 

とくに1人で過ごす夜更けや、旅の道中や、喫茶店でのひとときに最高にあう。

 

自分が好きなものごとを集めた小さな世界を、大事に育てようという気持ちが湧いてくる。

 

 

 

 

彼女が紡ぎ出す絵も、すごくいい。

 

さくらももこみたいな、人間や動物の肩がまるくて細い線で、落書きみたいなのに

真似ができない。どうぶつも、まちも、おじさんも、思いつきで書いたようなスピード感もあるのに、輪郭線がぴったりとはまっている。

 

なにを描いても柔らかくて、やさしいのにきりっと独立していて、かわいらしさもかわいらしすぎずに絶妙なあんばい。

 

なにかの本で、しろくまを刺繍してる写真を見かけた。

 

その繊細な線のイラストが現実的に刺繍糸でつむぎだされて、しろくまの毛並みも立体的になり、そこで命を灯したみたいに佇んでいてなお素敵だった。

 

 

 

彼女が着る服も、来ているシチュエーションと表情も、やっぱりいい。

 

「おしゃれのはなし。」という本は、時がすぎてもぜんぜん色褪せない。

マスからのモテを意識した女性らしさや、流行とは一線を引いているせいだろうか。

当時私も20代後半になり、これからのおしゃれはどうしよう?

いままでの服では、シルエットや色合いが似合わないものが出てきて、

でもおしゃれは好きだからあきらめたくなくて、

 

おきにいりのお店を年齢的に卒業してしまい、そのつぎにぴたっとくるお店が見つけられなかった時期に、菊池亜希子ちゃんの世界は、ああこういうの素敵、かわいいな、お洋服を愛している気持ちが伝わってくるな、私もこういうおしゃれなら、ずっとこの先も楽しめるな、と思わせてくれた。

 

 

 

自身が編集長を務め、10号まで発売されている「マッシュ」も、とても好きだ。

 

ポーランドの旅にまつわる写真やエッセイも、「かける」「男子」など、その号のテーマにあわせたいろんな企画も、そこから知ったキーワードも私の世界を少しずつ広げてわくわくした気分を持ってきてくれる。

 

 

そんな彼女は近年、結婚してお子さんを出産されたようで。

 

私も少し前に結婚、出産したので、おなじライフイベントをおなじ時代に経験した彼女がこれからどんなふうに発信を続けていくのか、自身の世界をどんなふうに描いていくのかに、とても興味があります。

 

 

なれそめにも書いたけれど、私はよしもとばなな作品が好きだ。

きっかけは、中1くらいのときに塾の国語の文章題に「つぐみ」が出てきたことと、

同時期に一つ年上の姉もよしもとばななを知り、「この本面白いよ、“バファリンのCMみたいに…”ていう表現が出てくるんだよ」と、「うたかた/サンクチュアリ」を勧めてくれたことだったと思う。

それまで小説といえば、本棚にあった星新一、筒井康隆くらいしか読んだことがなかった。

読みやすくてちょっとだけ大人の世界で、架空の世界に混ざる「バファリン」みたいな現実のリアリティに親しみやすさを感じ、好きになって読みつづけている。


当時、横浜市のはじっこの新興住宅地に住む中学生だった私には、そのディティールつひとつが魅力的だった。

なんといってもすぐにうかぶのは、

キッチンに同時収録されている短編の、

恋人を亡くした主人公が、マラソンしていて出会った不思議な女性にさそわれて、夜明けに川のほとりで恋人の幻影に再会するという幻想的なシーンのあとの、

早朝に駅前のドーナツショップでコーヒーを飲みながらおしゃべりする、ところ。

私が住んでいた町には住宅と国道とコンビニ一件しかなかったし、当時はまだドーナツショップに行ったこともなかった。

いまでも、ミスドでコーヒーを飲むときに、あの小説みたいだなあと思う。

同様に、カツ丼を食べるときには「キッチン(正確にはキッチン2)、に出てくる、白木のカウンターの、ちょっとご飯が固めの、玉ねぎの煮え具合や卵の火の通り具合まで完璧なカツ丼やさん」を思い出すし、

ケンタッキーのチキンフィレサンドとコーラは、病み上がりに年下のかわいい男の子がお見舞いがてら持ってきてくれるものだし、

トトロを見たら、糸井重里のお父さん役は下手くそだねえと話してるときに不意にインターフォンがなってビクター犬の大きな置物が届くものだし、

高級住宅街にある本格的なパン屋さんには、人々の品の良い食欲が集まるものだし、

花火をみたら鰻が食べたくなる。

そうやって数々のリアリティあるエピソードが今でも私の人生にはちりばめられていて、

その後、失恋やうつ病、人生につまづくたびによしもとばなな作品を手にとり、なんどもそっと助けられてきた。






ところで今日は、息子の0歳さいごの日だった。

 

明日で1歳。ものすごく大きな区切りの日だ。

 

おめでとう!生まれたときから一年で、身長2倍、体重3倍となりすくすく大きく成長してくれた息子、よく頑張ったね、1歳おめでとう。大きくなってくれてありがとう!

 

そしておねえちゃんである娘も、おねえちゃん記念日からちょうど1年だ。

わずか1歳1ヶ月で姉になり、出産に伴う入院中は私の実家で祖父母と一緒に頑張っておるすばんをしていてくれた娘。

 

新生児の弟をはじめて目にした時はなんだこの生き物は・・・?と少々怯えた様子だったけれど、まだ数えるほどしかないボキャブラリの中で、さっそく弟を「ねんね」と名付け、この子はいつも寝てるから名前は「ねんね」だ、と認めていつも一緒にいてくれた。ありがとう、おねえちゃんも1年おつかれさま、よくがんばったね!

 

 

そして夫も、私も、互いの両親も、みんなで力を合わせてよく頑張った1年だった。

 

2ヶ月も育休をとって家族を支えてくれた夫、

検診のつきそいから産後のサポートまで行ってに引き受けてくれた両親×2、

あいだをあけずに2回の妊娠・つわり・安静・入院・陣痛・出産・新生児期・授乳・夜泣き・などなどを通った私の身体と心も、よく頑張った。

 

みんなおめでとう〜!年子での妊娠が発覚としたときに、うまれたあとにきっと一番大変なのは、とにかく最初の1年、とにかく息子が1歳になるまでが最初の大きな大きな山場だろうと思っていた。

 

その1年が!今日で終わる!!!!

 

 

おめでとうありがとう酒がうまい。

 

となるはずだったが、先月家庭内で流行った風邪が昨日・今日で復活の兆しを見せ、

 

夫、娘、息子が体調を崩している。

 

今日、夫の両親を招いてするはずだったお祝いもキャンセル、

特別なごはんや甘いものや部屋の装飾や記念写真、、ぜんぶ断念。

 

まあ、鼻たらしながらもごきげんで遊んでいる息子の笑顔が救いかな。

 

 

そしてこの1歳という区切りは、いよいよ移住への段取りが始まることも意味している。

 

息子はつかまり立ちを始めていて、両手をひいてあげるとのっしのっしと力強く歩み始める。

 

私たちも、いよいよ、自分の足で新しい道を歩きはじめる。

 

 

 

2013年秋。 

 

その年の夏に長野県のど田舎ゲストハウス「梢の雪」で出会った人と、

Facebook messenger でぼちぼち連絡を取り合い、

山が好きなら東京近隣でもいっしょに登りましょう、という話になり

秋に奥多摩トレッキングという形で再会した。

 

ちょうど私はその年、学生時代のサークルの先輩に誘われて登山デビューをしていて、

登山靴やリュック、トレッキングポールなど一式揃えたばかりだった。

 

新宿駅の一番前の車両で待ち合わせ、で、出発時間ぎりぎりに登山スタイル(赤を基調とした)の彼と再会し、奥多摩までの道中も、到着後のトレッキングの最中も、ずっとなんだかんだいろんな話をした。

私の職場にいるじいさんばあさんの話、認知症をどうとらえるかという話、適応・不適応とはなにかという話、

お互いの学生時代から大変だった就活の話、私は最初の職場が全く合わずうつ病になった話、彼は海外旅行とバックパッカーの話、、

 

なかでもよく覚えているのは、私がよしもとばななの小説が好きで、中学生の頃からずっと読んでいる、ほぼ全部読んでいるという話をしたら

「へえ、どの小説の、どういうところが一番好き?」と興味をもって訊いてくれたこと。

 

 

「え、そんなこと、きいてくれるんだ。」とびっくりした。

 

親しい同性の友人か、家族でも滅多に自分の好きな小説について話したことがなかった。私が接していた同世代の異性は主に大学時代のサークル仲間かバイト仲間が主だったから、もっとノリのいい話、皆が共通に知っているメディアの話、映画や音楽などのエンタメの話、誰かの噂話やお互いの仕事の話が多かった。

 

 

 

小説は長年、自分の中で長年楽しむだけのもので

そういうことを声に出して誰かに話すこと自体がほとんど始めてだったので、

そのときも新鮮すぎてうまく表現できなかったけれど、嬉しかった。

 

彼はよしもとばなな自体にはそんなに詳しくなかったけれど、

かなりの読書家で、吉本隆明の晩年の講演会に行ったことがあるよという話をしてくれた。

 

一緒に歩きながら話をしていると、

だんだん初デートであるとか知り合ったばかりの異性であるということからくる緊張感が薄れ、文化人類学の話やら社会学の話、心理学の話、ひたすら会話に夢中になった。

 

 

夕方、下山したあとはタクシーで事前に予約してくれていたごはんやさんに向かった。

 

(早起きだったこととトレッキングの疲れもあり、タクシーの中で私はこっそり仮眠をとった。昔から車に乗るとすぐ眠くなる体質で、このあとまた元気に喋るためにもそっと休憩しただけのつもりだったが…のちに聞くところによると仮眠はバレバレで彼は「まじか!寝るのかよ!って思った」そうだ。そりゃそうだ。すまんかったな…)

 

そこでも時間を忘れるくらい色々な話をして、当然のように次の登山の約束をした。

日がとうに暮れ真っ暗になった道を駅まで歩き、途中まで電車でいっしょに帰り、

別れるときには「じゃあ!今日はありがとう」となぜかすごくさわやかに握手を求められた気がする。

 

まあそんなかんじでこの後も、山であってはひたすら喋り、を繰り返していた。

話がつきない、お店に入って目の前のお皿が全部からになってもそこから2時間くらいずっと話していられる。特に歴史や世界の話、これまでとこれからの日本の話、自分たちがいま置かれている環境の話とこれから進みたい未来の話について、とにかくどんなことでも。

 

それが一番、この人といると楽しいな、結婚したいなと思った決めてだったかもしれない。

 

幸いにも彼もそのように思ってくれていたようで、

 

奥多摩のつぎの、2回目のデートで付き合いましょうとなり、

そこから二週間で(!)結婚しましょうとなり、

そこから1〜2ヶ月の間にお互いの両親への挨拶をすませ、

 

2015年3月に両家顔合わせをすませ、

 

6月に入籍・同居スタートとなった。